畠山直哉のゆっくり考えるススメ「写真家は過去と付き合う仕事」

8月15日から公開される『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』は、東日本大震災以降の畠山直哉の姿をとらえたドキュメンタリー映画だ。本編は、畠山本人が生家の見取り図を描くシーンから始まるが、その家はもうない。彼の故郷である陸前高田市気仙町は津波に呑まれ、多くの人が亡くなった。畠山の実母も亡くなっている。

「都市と自然」をテーマにきわめて理知的な写真を手がけてきた畠山だったが、震災を境に、陸前高田を被写体とする個人的な写真を発表しはじめる。映画は、彼の変化を静かな目線で眺めながら、被災地と写真家の関係を2年という時間をかけて追ったものだ。今回、公開に先立ち畠山直哉にインタビューする機会を得た。震災で向き合った故郷の姿、未曾有の経験を写真で発表する際に生まれた「美しさ」への疑問。さまざまなテーマが織りなすインタビューとなった。

映画の冒頭に映っているのは、まだ何も知らない自分なわけです。その4日後に陸前高田の状況や、母が亡くなっていることもすべて理解するんですけど、映像を見て「ああ、このときの直哉は何も知らない」と。

―『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』では、冒頭に海外のテレビ番組の映像が登場します。東日本大震災が起きた直後の3月14日、故郷の陸前高田にバイクで向かう畠山さんを、新潟県の道の駅でノルウェーのテレビ局スタッフが偶然インタビューしたもので、こんな映像があったのかと驚きました。

畠山:震災から1年後くらいに僕の所属するギャラリー(タカ・イシイギャラリー)に突然連絡が来て、ヨーロッパであれがオンエアされていたことを知りました。あの映像に映っているのは、陸前高田や家族に起こったことをまだ何も知らない自分なわけですよ。その4日後にすべてを理解することになるのですが、「ああ、このときの直哉は何も知らない」と思いました。ショッキングな体験でしたね。

畠山直哉
畠山直哉

―映画では、あまり知られていない畠山さんの姿が多く登場します。バイク好きなところとか、陸前高田の同級生と方言で話すところとか。

畠山:写真を撮っているところとかね(笑)。普段人前ではべらべらしゃべってばかりいるから、写真を撮る人だってことを忘れられちゃっていると思うんですよ。知人たちからは「やっぱり写真撮ってるんだね!」とたくさん言われました(笑)。もともと写真は、見ている人に撮影者のことをあまり意識させないものですからね。

―畠山さんは文筆家や講演者としても活動されることが多いですから、そういう印象があるのかもしれませんね。でも「写真が撮影者のことを意識させない」というのは、きわめて冷静に、ニュートラルな客観性を保って撮られている畠山さんの作品の性質ゆえかもしれません。これは映画を見た感想なのですが、「じっと物事を見る人だ」という印象を受けました。それは、畠山さんの作品の核、制作態度にも関わってくるものではないでしょうか?

シリーズ『Underground』より、Tunnel#6205(1998年)
シリーズ『Underground』より、Tunnel#6205(1998年)

シリーズ『BLAST』より、#5416(1998年)
シリーズ『BLAST』より、#5416(1998年)

畠山:それは写真家として、当然と言えば当然ですね。写真家の仕事って撮影じゃなくて、見ることなんですよ。例えば、ぼんやりと町を2人で歩いていてね、「ほら、あんなものがあるよ」っていうふうに、写真家はよく気がつきます。「よく気づきますね、目がいいですね」って言われますけど、写真家だったら「まあ仕事ですから」って言いますよ。

最近は「美しい」という言葉に対して、人がどのレベルで言っているのかが気になってしょうがない。美しくないものでも、美しいと言ってしまう場合がありますよね。

―畠山さんは、19世紀から20世紀のあいだに発達した欧米のモダニズムアートの文脈で、写真表現に取り組んできました。つまり、写真に個人的な感情を反映させるようなタイプではなく、主体性が強くならないよう、機械的に事物を叙述していくような写真です。

畠山:僕が師事した大辻清司さん(戦後の前衛美術運動にも関わった写真家。日本の現代写真表現に実作・理論の両面で大きな影響を与えた)は欧米の美術動向に影響を多く受けた人で、そういうセンスを、瀧口修造(戦前戦後の美術批評を牽引した美術評論家、詩人)みたいな周囲の前衛芸術家を通じて身につけていました。僕が写真に期待しているのもまさにその部分です。自分の個人的な背景を人に見せたいとか、自己実現とか、そういうことには興味がありません。

―1990年代に発表された、『LIME WORKS』は、畠山さんの手法が確立されたシリーズと言えます。いくつかは生家近くの石灰石鉱山を撮影したもので、ご自身の生まれ育った環境も多く影響しているのではないでしょうか?

シリーズ『LIME WORKS』より、LW41408(1994年)
シリーズ『LIME WORKS』より、LW41408(1994年)

畠山:自己実現から離れたいなどという以前に、物事というのはもう少しシンプルな理由から始まるものです。撮りたいとか、行ってみたいとか、そういうことですね。たとえば『LIME WORKS』の表紙の写真は、工場の中に案内してもらって、一番高いタワーの上にのぼったら、そのときちょうど日が暮れて、工場のあちこちにランプが灯り始めたんです。そのときに「素晴らしい光景だな」って思って撮りました。

―「美しい」と思った。

畠山:まあ単純に言えばそうですね。でも最近は人がその「美しい」という言葉に対して、どのレベルで言っているのかが気になってしょうがない。美しくないものでも、美しいと言ってしまう場合がありますよね。例えばメキシコにエンリケ・メティニデスという報道写真家がいました。彼が撮ったものに、ブロンドのファッションモデルみたいな人が交通事故に遭って、電柱に頭が挟まって絶命している写真があるんですね。死んでいるのに顔のメイクが完璧で、まるでバービードールが電柱に挟まっているみたいなんです。本当に目が釘付けになるんですけど、それを「美しい」と言ってしまったら何か変でしょう?

畠山直哉

―ざわっとしますね。

畠山:見事な写真なんですよ? でも悲劇の表象にスペクタキュラー(壮観)とかビューティフルという言葉を使うと、道徳的にまずい感じがする。そういう体験を、僕はここ4年間ずっとしています。

―東日本大震災以降ですね。

畠山:津波の後に撮られた、故郷の陸前高田の写真を公開して観客からよく言われるのは「あなたの写真を美しいと感じるけれど、そう感じてしまうことに居心地の悪さを感じる」ということ。それが、僕にとって非常に切実な問題として2011年以降わきあがってきているんです。他人から言われる「美しい」という言葉に対して懐疑的になりますし、画面を「美しく」仕上げてしまっている自分の写真術に対しても、いつも自問しないといけない状況が生まれてしまっている。だからといって、汚い写真を撮るという選択もできない。誰だって、自分が気になったものにしかカメラのシャッターは押せないから。僕の写真は、夕日が当たっていたり、霧が出ていたり。とろんとした色彩の写真もけっこう撮りますから、そういうものを見て「美しい」と思われるかもしれないけれど、僕はそのことで何を実現したいんだ? と今も自問しているんです。

『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』より
『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』より

―これまでも、これからも。

畠山:僕が故郷の悲劇的な状況を「美しい」とも捉えられるような写真で表現していることのとりあえずの答えとしては、亡くなった人に、死化粧を施すじゃないですか。汚い状態でお棺に入れるんじゃなくて、着飾らせたり、青白い顔に紅をさしたり、今までの思い出ができるだけ美しくなるように努力しますよね。それに近いことをしているのかなと思っているんです。

もしも芸術の本質が「クリエイティブであること」と定義するとしたら、僕の行っていることを芸術と呼べるのかどうか?

―これまできわめて理知的に写真に接してきた畠山さんが、「死化粧」という言葉を使うのはちょっと意外な気がします。

畠山:それは陸前高田が、よく知っているところだから。思い出と重なっているものだから。肉親の思い出も、親戚や友だちの思い出も含まれている。僕のまわりでいろんな人が亡くなっていますからね。悲しいですよ、それは。

―芸術には癒しや弔いの効果もあるということでしょうか?

畠山:アートセラピーなんて言葉があるように、芸術における治癒の効果ってものがある。僕がそれを自分で行ってるかどうかはともかく、芸術にはそういう議論を可能にする性質もあるってことでしょう。ただ、僕にはそもそも「僕が行っていることは芸術か?」という疑問があります。外界の出来事に対して、ただ反応しているだけではないのか? という疑問があるんですよ。それよりは建築家の伊東豊雄さんが『みんなの家』(東日本大震災の被災地に住民たちが集まるための公共の場を作ったプロジェクト。畠山も参加し、第13回『ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展』で金獅子賞を獲得した)でやっているように、被災地で困っている人のために議論して、建築を作ることのほうが、もっとクリエイティブで、芸術的な行為かもしれない。もしも芸術の本質が「クリエイティブであること」と定義するとしたら、僕の行っていることを芸術と呼べるのかどうか。

畠山直哉

―自身の「レスポンス」の姿勢に疑問を持っている?

畠山:知人のキュレーターが、3.11後の日本の芸術表現について海外で講演したときに、それらのほとんどが震災へのレスポンスかアクティビズムで、コンセプチュアルな表現はないのか? と質問されたそうです。確かに僕みたいなタイプの仕事はずいぶんあると思うんですけど、カタストロフィーの核心部分を批判するような、例えばハンス・ハーケや河原温(ある1日の新聞記録などを収めた箱に、日付を描く『デイト・ペインティング』で知られるアーティスト)のような仕事をしている日本人アーティストはあまりいないですよね。ただ、写真術は伝統的にレスポンスのアートでもあるんです。過去の巨匠たちの素晴らしい作品も「外界への反応」と言えるものが多いし、その総体が写真史を作っている。だから写真の場合「レスポンス」がそれほど問題だとは思われていないところがあるのですが。

震災以降、「前を向こう」みたいなことがよく言われていたけれど、僕自身は後ろを向いて、背中を前に向けて進んでいる実感があるんですよ。

―映画の話に戻りますが、ラストカットで畠山さんが遠くにある建物を眺めていますね。あれはどういう場所なのでしょうか?

畠山:ああ、キャピタルホテル1000ですね。1980年代に「リゾート構想」というのがあって、歌手の千昌夫さんも出資して、高田松原のそばに建てたホテルがあったんです。だから「1000」。彼も陸前高田出身なんですよ。津波の時に4階部分くらいまで波が押し寄せて建物を壊さざるをえなくなっちゃったんだけど、やっぱりもう1回建て直しましょうということになったんです。そこで、市街地が一望できる岬の突端みたいな高台を造成して新築したんですよ。それを眺めていたんですね。

―真新しい建物をじっと眺めて、振り返って手前に戻ってくるカットで映画は終わります。それは監督の意向だとは思うのですが、畠山さんが震災後に出版した写真集『気仙川』のあとがきにある「『後ろを向いたまま』後ずさりするように歩いているような気がする」という記述を思い出しました。

畠山:震災以降、「前を向こう」みたいなことがよく言われていたけれど、僕自身は後ろを向いて、背中を前に向けて進んでいる実感があるんですよ。写真を撮って、暗室でプリントをするというのは過去の時間と付き合っているということですから、後ろを見ているということ。写真家は常に過去と付き合って、今の時間に過去を呼び出す毎日を過ごしています。

『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』より

『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』より
『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』より

―後ろを向いていると、どこに行くかわからないのではありませんか?

畠山:それは誰にもわからないよ(笑)。今から5分後に何が起こるかなんて、誰にもわからない。断言できない。津波もそうだった。その日の朝まで、あんなことになるなんて誰も思ってはいなかったと思いますよ。みんな会社や学校に行ったり、農作業に行ったりして。午後2時40分くらいにものすごい地震がきて、15~6メートルの波が押し寄せるなんて誰一人想像してないんです。それを言い当てることのできる人は、この世に誰一人いないのよ。

最近は大量の情報が本当にスピーディーに行き交っていますけど、言葉のスピードを落とさないと表れない意味って絶対にあるんですよ。

―映画の中で畠山さんは、「過去について考える」ということをしきりに発言していますね。この映画を見返すことも過去の自分を振り返る経験だと思うのですが、ご覧になってどのような感想を持たれましたか?

畠山:自分を見るのは耐えられないよね。醜い男だな~って思います(笑)。

―いや、でも畠山さんおしゃれじゃないですか。

畠山:ちょっと可愛い服を着たりしてますかね(笑)。僕は普段は対人的な羞恥心や恐怖心をあんまり抱かないほうなんですけど、ああいうふうにカメラに撮られている自分を見ているとさ、「ああ、俺ってこんなふうに見えるんだなあ」って思いますよね。映像になれば、海外で見ることも可能になりますよね。そのときに、海外の観客の視点を想像することも可能になるわけで「極東の島の、東の沿岸でこういう目にあった奴がいるんだなあ」という、遠い話にも見えてきます。僕自身は震災のことを遠い話になったとはまったく思わないけれど、映像になるとすごく遠い出来事みたいな感じもしてくる。

『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』より
『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』より

―それは映画の中でも言及している、当事者性の問題に関わってくることですね。月並みな言い方ですが、畠山さんが写真をまとめ、文章を書き、映画でインタビューに答えるということの一つひとつが、過去に触れることで当事者性を獲得することとも言えるかもしれません。

畠山:自分一人でモヤモヤと考えを巡らしているだけじゃ不十分で、気持ちを文章に書いてみたり、人と話してみたりすることにはポジティブな部分がありますよね。最近はSNSなんかで大量の情報が本当にスピーディーに行き交っていますけど、ゆっくり喋ってみることで生まれる言葉や意味が絶対にあるんですよ。そうすることで窮屈な概念と概念の間に少し隙間が生じてきて、空気が流れ始める。そうやって頭の熱が少し取れるんです。

―「熱」というのはなんでしょうか?

畠山:震災後に特に強く感じている「じゃあ私はどうしたらいいんだろう?」という強迫的な感じです。今、国会周辺で起こっている動きを見ても、僕たちの国が良くない方向に引っ張られていってしまうんじゃないか? という不安や焦りを感じます。自分たちも行動しなくちゃいけない。そのためにはゆっくりしていられない、というような。安保法制に関しては確かにそうなんですけど、でも、僕にとっての陸前高田のように、時間をかけて考えて、風景を眺めているとね、まずモヤモヤした感情があることに自分で気がつけるし、そこから進むと、切羽詰っていたはずの現実に少し隙間ができて風が流れ始める感覚がある。『気仙川』を出した頃は、未来の風景を思い描くことなどまったくできなかったけれど、時間をかけて風景を眺め、そうやって獲得した自分の言葉が、今になって気持ちを少し楽にしてくれている感じがします。

畠山直哉

―畠山さんは、震災後約4年をかけて撮り続けた写真をまとめた新刊『陸前高田2011-2014』のあとがきで、切実に手に入れたいと願っているのは、昔のような晴れがましい「新しさ」ではないと書いています。「新しくなどなくともよい。ただ『明日』を感じさせるものでありさえすれば」とも書かれていて、それが畠山さんの持っている「未来」の実感のように感じられました。先ほどおっしゃっていた、陸前高田の写真に施した「死化粧」というのは、場所や人のことをゆっくり考えるための時間を、写真に含ませるということではないでしょうか? だからこそ、震災前は絶対に発表しなかったプライベートな写真を使って、昔の陸前高田の風景を見せようとした。

畠山:『陸前高田2011-2014』以前、僕が一か所の撮影だけに4年間集中するなんてことは、なかったんですよね。陸前高田は、自分の生まれ育った場所だから、こうやって時間をかけているんです。これは個人的な事情に立脚した仕事ですから、もう写真がどうのというよりもっと言葉、歴史的なものなんですよ。震災以降、僕の作風が変わったという人がいるけれど、けっして作風なんかの問題じゃないんです。美術史がどうとかアートがどうとか、そういうお話と少し次元が違う、そこからはみ出してるような出来事なんですよね。撮影者がテーマを探して撮りに行けるようなものではない。世間で信じられているアーティストの首尾一貫性とか、そんなことはまあ、置いといていいんですよ。だって、何の気なしに撮っていた写真が、母の遺影になってしまうことがあるんですよ。それが写真というものの1つの側面なんです。それを「作風」として語ることは無意味でしょう? 写真という場所は、一枚岩じゃありません。言葉のスピードを落として、ボキャブラリーを増やして、慎重に話さないとうまく議論ができないことが世の中にはあると思うんです。

作品情報
『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』

2015年8月15日(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督・撮影・編集:畠山容平
出演:畠山直哉
配給:CINEMACTION 豊劇 -豊岡劇場-

書籍情報
『ヴァガボンズ・スタンダート04 畠山直哉』

2015年3月7日(土)発売
著者:畠山直哉
価格:1,620円(税込)
発行:平凡社

『気仙川』

2012年9月4日(月)発売
著者:畠山直哉
価格:3,456円(税込)
発行:河出書房新社

プロフィール
畠山直哉 (はたけやま なおや)

岩手県陸前高田市出身。大辻清司の影響で写真をはじめ、大学卒業後は東京に移り活動を続ける。出版には1983年の『等高線』、1996年の『ライム・ワークス』『Citta in negativo』など。1997年に写真集『ライム・ワークス』、写真展『都市のマケット』により第22回木村伊兵衛賞受賞。2001年には世界最大の国際美術展である『ヴェネツィア・ビエンナーレ』に日本代表の一人に選ばれている。同年、写真集『アンダーグラウンド』により第42回毎日芸術賞を受賞。2012年、個展『Natural Stories』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。2012年『気仙川』、2015年『陸前高田2011-2014』を刊行。



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