学び続けた美術史と、規則性から生まれる独創性。矢野恵司の制作のヒミツ

本の挿絵やCDジャケット、チラシやポスターなど、ごく身近にあるさまざまなものに描かれ、私たちの生活を豊かにしてくれるイラスト。とくに家で過ごす時間が増えた昨今こそ、その面白さに気づく機会も多いのではないでしょうか。そんなイラストの描き手の発想の根源に迫るべく、3人のイラストレーターの制作現場や日々のワークスタイルを紹介する連載「イラストレーターの仕事風景」。

連載の最後に登場するのは、イラストレーター・矢野恵司さん。中村佳穂のジャケット、劇団ロロのフライヤーイラストを手掛けるなど、多方面で活躍しています。イラストに通底するのは、古典的な絵画や仏像から影響を受けたという、独特な線と色味。

芸術家系で育んだ感性や、学び続けて得た知識、日々大切にする規則正しさ。それらが合わさって生み出される作風について語ってもらいました。今回も新作ペンタブレット「HUAWEI MatePad 11」で特別にイラストを描き下ろしてもらっています。

美術家系に生まれ、画家の祖父に憧れた子ども時代。東京藝大に現役合格するまで

ー矢野さんは幼いころから絵を描いていたんですか?

矢野:保育園のころからですね。虫歯になって痛くて泣いていたときにも、泣きながら絵を描いていたと母から聞きました(笑)。絵を描いているときだけは、違う世界にいけるような感覚が強かったんですよね。祖父が画家だったのでその姿に憧れがあって、ぼくも画家になりたいと小学生のときから思っていました。

ーそこから芸術の方面にまっすぐ進んでいくのでしょうか?

矢野:そうでもなかったです。高校3年生の進路を考えるときには、通訳になりたいと思ったんですよ。英語が全然できないのに(笑)。理由も「外国に行きたい」という安易なものでした。兄に「外国になら旅行で行けば?」と言われて「そうか!」とハッとするんですよね(笑)。そこから、自分が本当に好きなものが何だったかを思い返していきました。

もともと家族も美術が好きだったので、家族旅行で美術館に行くことが多くて。そこで出会った、法隆寺の『百済観音像』と、東京都近代美術館の高村光太郎さんの『手』という彫刻に衝撃を受けて「これだ!」と思いました。それで、母に「彫刻家になりたい」と伝えたら意外にもとても喜んでくれました。

ー一般的な家庭では、彫刻家よりも通訳のほうが理解されそうな気がしますが、矢野さんの家庭ではそうではなかったんですね。家族みんな、芸術に理解があったのでしょうか?

矢野:ぼくに向いている仕事が何か、家族はわかってくれていたのかもしれませんね。画塾をやっていた祖父にも相談したら「彫刻は職に就くのが難しいから、デザインか建築にしておけ」と言われたんですけど、ぼくは頑なで。

美大受験のために勉強して、だんだんとデッサンが上達するにつれて祖父もわかってくれて、絵を教えてくれるようになり、そこから美大進学のために祖父との二人三脚の生活が始まりました。

高校3年からは東京の美術予備校に通うことに決めて、高知から一人で東京に出て、夏と冬の講習を受けることになりました。

ー初めての東京はいかがでしたか?

矢野:正直なところ、高知ではぼくより絵が上手い高校生はいないと思っていたんですけど……東京は化け物ばかりでした。そういう焦りもあって、予備校でひたすら勉強をしたんですけど、その結果、ぼくの絵がガラッと変わってしまったんです。

―おじいさんから教えてもらった絵ではなくなった?

矢野:そうなんです。奥行きや立体感を描くときに、祖父の教えは「面を丁寧に連ねて立体感を出す」という方法だったのですが、予備校では「色の濃淡で空間を感じさせる」手法を学びました。当時のぼくは、東京の手法のほうが最先端だと感じていたこともあり、スタイルがそっちに寄っていったんですよね。

だから東京から帰省後、祖父は変わってしまったぼくのデッサンを全部消してしまったんです。そのときの祖父の悲しい顔はいまでも印象に残っています。そこから試行錯誤して「面と色を同時に重ねる」手法を取り入れるようになり、いまの自分の絵の輪郭が生まれました。そのおかげで、無事に東京藝術大学に入学することもできたという感じです。

転機となった仏像との出会い。そして任天堂へ入社

ー矢野さんは東京藝大に現役合格しているんですよね。大学生活はいかがでしたか?

矢野:苦労が多かったです。浪人期間がないぶん、周りの学生よりも勉強した時間が短いから、明らかに実力不足で。なので猛勉強しました。

そんななか、大学2年生のときに行った京都・奈良で見た仏像との出会いは、大きな転機になりました。『見仏記』(いとうせいこうとみうらじゅんの共著による紀行文のシリーズ)にハマって、その本を読みながら日本各地や東南アジアの仏像巡りをしました。

ーそこから、現在の活動にはどうつながっていくのでしょう?

矢野:大学3年生あたりから、「本当に彫刻で食べていけるのか?」という不安が生まれてきて。彫刻作品は場所をとるので、制作場所も保管場所も必要だし、輸送のコストも高い。おまけに、なかなか売れにくい。そこから、彫刻以外の分野、とくに平面での表現やデジタルの領域に興味を持ち始めました。

その後大学院に進学してからは、絵本や漫画をつくってみたり、兄と一緒にアニメーション作品をつくったり。それらをポートフォリオにまとめて就活をして、任天堂に就職しました。

ー任天堂ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか?

矢野:キャラクターデザイングループの3Dチームという部署に配属されました。既存のキャラクターをひたすら3DCGにモデリングするルーティーンワークで、正直、面白みを感じられない時期もありましたね。

その後「amiibo」というフィギュアとゲームが連動するプロジェクトの担当になってからは、部門を跨いで仕事ができるようになって、違う能力を持ったプロが集まって仕事をする一体感を知ったし、いろいろな人と仕事で交われるのが楽しかったです。

ー個人の創作的な喜びというより、仕事をみんなで進めていくことの面白さを実感していったんですね。

矢野:そうですね。ただ、自分で何かを創りたいという想いも残っていたんですよね。そんなときに、社内のグラフィックやイラストを手がける部署の方にPhotoshopの使い方を詳しく教えてもらったんです。それまでは、自分の頭のなかにあるイメージを再現できないもどかしさを感じていたんですが、だんだんとイメージに技術が追いついてきて、これなら自分の描きたいものをそのまま表現できると思い、イラストレーターとして独立することにしました。

イラストレーターとして活動開始。矢野のイラストに感じる独特の湿度のわけ

ー大企業を退職し、フリーランスのイラストレーターとしての活動が始まるわけですね。

矢野:はい。いろんなイラストを試行錯誤していくなかで、初めて多くの方に認知してもらえたのが「顔」のシリーズでした。作品に手応えもあって「TIS(東京イラストレーターズ・ソサエティ)というコンペに入選もして。そこからさらに突き詰めていき、その翌年に大賞をいただいたんです。

ー「顔」シリーズの作品は、一見して「この世ならざるもの」という印象を受けました。仏像にも通じるような畏怖を感じるというか。

矢野:たしかに。ぼくは能面が好きで、「顔」には影響を与えているのかもしれません。能面は光の入り方や見る角度に寄って表情が変わるんです。見る人によって悲しく見えたり、楽しそうに見えたり、そういう顔を描いてみたかったというのはあります。

ー霊的なものを捉えたい、みたいな意識はありませんか?

矢野:強く意識しているわけではないんですけど、インクの粒子のグラデーションって、湿度っぽさを持つんです。それは浮世絵に近い。だからそういう印象になっているのかもしれません。

―浮世絵からも影響を受けているのでしょうか?

矢野:浮世絵を代表とする伝統絵画からは影響を受けていますね。あとは、奈良時代の仏像と、ピカソやゴッホの作品です。

ーたしかに仏像と伝統絵画は矢野さんの絵に通じる気がします。

矢野:ぼくが仏像や19世紀の芸術家などを参考にしているのは、風雪に耐えて生き残ってきているものには強度があるからなんです。普遍性とも言えるかもしれません。

19世紀には写真という表現が登場して、「見たそのまま描くなら写真でいいじゃないか」という写実主義を否定する流れが生まれました。そして20世紀初頭、パリは2次元でしかできない面白さを追求する実験場になりました。ぼくはこの時代の画家が大好きで、彼らの絵にとても影響を受けています。

―どのような影響を受けたんでしょうか?

矢野:例えば、複数の視点を同時に1つの画面に描く、キュビズムという画法があるんですが、ピカソはそれを顔で表現しているんです。この画法に興味を持っているので、最近描いているイラストにはこの手法を積極的に取り入れています。

劇団ロロや中村佳穂との出会い

ー矢野さんといえば、劇団ロロのフラーヤーイラストや、中村佳穂さんのジャケットイラストも手掛けられています。これらはどういった経緯だったのでしょう?

矢野:ロロのフライヤーは、アートディレクターの佐々木俊さんに指名していただいたのが始まりです。佐々木さんのディレクションで、舞台上から見える観客を描きました。できるだけ人種や性別、職種などの幅を拡張してほしいとオーダーだったので、多種多様な属性の人物を描いています。

ーよく見ると細野晴臣さんや渡辺直美さんがいたりしますね。

矢野:そうなんです。宇宙人とかもいますよ。

―中村佳穂さんのジャケット制作は、どんな経緯だったのでしょう?

矢野:ぼくの個展に、佳穂さんが来てくださったんです。そのあと連絡があり、3か月連続でリリースする作品のジャケットを連作で描いてほしいというお話をいただきました。

佳穂さんやほかのメンバーのみなさんとLINEグループのなかでアイデアを詰めていったんですけど、つねにアイデアが飛び交っていて、セッションしながらつくりあげていくような、とても楽しい制作でした。

矢野さんの1日のタイムスケジュールを紹介

―今日は矢野さんの仕事場にお邪魔していますが、お部屋のこだわりはありますか?

矢野:マンションの一室を、兄二人と一緒に事務所として使っています。ベランダが広いのがすごく気に入っていますね。ぼくの作業部屋は畳なので、寝転んだりもできます。

―1日の仕事のタイムスケジュールを教えてください。

8:00〜9:30 準備
9:30〜10:00 移動
10:00〜12:00 出社、イラスト制作
12:00〜13:00 昼食
13:00〜20:00 イラスト制作
20:00〜20:30 移動
20:30〜24:00 帰宅、夕食、入浴、自由時間
24:00〜8:00 就寝

ー会社員のような生活ですね!

矢野:兄二人と同じオフィスで仕事をしているので、ちゃんと会社のように規則をつくっています。遅刻するときは連絡をするし、まさに会社員みたいな働き方だと思います。

お昼休みには10分昼寝して、夕方にはベランダに出てラジオ体操をすることもあります。任天堂では15時に社内でラジオ体操が流れていたんですよ。

ーかなり規則正しく行動されてますね。

矢野:そうですね。徹夜も絶対にしないです。漫画家の荒木飛呂彦さんや秋本治さんも規則的な生活をしながら制作されていると聞いたこともあります。マグリットは背広を着て制作していたという話ですが、ぼくはさすがにそこまではしてません(笑)。

ー規則性のなかで独創的なものをつくるというのは、一つの方法論なのかなと思います。

矢野:ちゃんとした日常があるから、そこからはみ出せるというのはあるのかもしれません。

矢野さんのイラストを支える、愛用グッズ3点

ー矢野さんのイラスト制作に欠かせない、お気に入りのアイテムを3つ教えてください。

その① 肩マッサージ器

矢野:タイ式マッサージ店で買ったものです。仕事中、肩や首が疲れたらこれを使ってマッサージしています。任天堂時代から使っている、お気に入りです。

その② スティックタイプのお茶とキャラメルマキアート

矢野:温かい飲み物を飲みながら制作することが多いので、デスクにはポットを常設しています。

その③ お昼寝用マット

矢野:折り畳めてて場所をとらないので、すごく便利で愛用しています。10分間の昼寝はこれを使っています。少しの時間でも昼寝をすると、その後の作業がはかどります。

好きなことと得意なことどちらに進むか。ぼくは得意なほうに進むのがいいと思います

―「HUAWEI MatePad 11」を使ってイラストを描いていただきました。普段はペンタブレットを使用して制作をされていますが、「HUAWEI MatePad 11」の使い心地はいかがでしたか?

矢野:ペンの強弱を感度よく認識してくれる点がよかったです。線の緩急を思い通りにつけることができました。

ーどんなイメージで制作されたのでしょう?

矢野:この絵も、さっき言ったように最近意識して取り組んでいるキュビズムの手法で描いてみました。目を見ていただくと横顔と正面から見た顔の、視点が二つあるんです。

―矢野さんの経験から、これからクリエイターを目指す人にアドバイスをいただけますか?

矢野:何かのプロになるには1万時間必要で、大体10年かかる、という定説は信じているかもしれません。継続して筋肉をコツコツとつけていくのは大事だと思います。ぼくも、続けてきたからいまがあるのだと思いますね。

あとは五角形で示すバランスのチャートがあるとしたら、ひとつ突出していたら、それでいいと思っています。何かひとつ秀でるものがあれば、きっと人から見つけてもらえる。

ーバランスよりも特化が大事だと。

矢野:好きなことと得意なこと、どちらを仕事にしたらいいかっていう話がよくあるけど、ぼくは得意なほうに進むのがいいと思っています。

ーそれはどうしてですか?

矢野:得意なことをやると、褒めてもらえることが増えるんですよね。そんなに努力しなくてもいい成果が出ることが多い。それで褒めてもらえると、だんだんと好きになっていくと思うんです。そうなれば、結果的に幸せですよね。

―今後はどんな表現に挑戦していきたいですか?

矢野:いま取り組んでいるキュビズムのような、2次元だからこそできる表現の模索は引き続き取り組んでいきたいです。彫刻もまたやってみたいので、たとえば「顔」のシリーズを立体化するとか、イラストをベースに表現の幅を広げていきたいと思っています。

製品情報
HUAWEI MatePad 11

高精細なディスプレイを搭載した約11インチのタブレット。アメリカの老舗オーディオブランドHarman Kardonによるサウンドチューニングが施されており、画質だけでなく音質も高い品質となっている。タッチペンやキーボードと組み合わせて使うことで、ビジネスやクリエイティブの作業にも活用できる。
プロフィール
矢野恵司 (やの けいじ)

1988年、高知生まれ。三人兄弟の末っ子。東京藝術大学彫刻科卒業、同大学院美術解剖学研究室修了。株式会社任天堂でデザイナーとして勤務後、2017年よりイラストレーターとして活動を開始。主な仕事に、資生堂プロモーションDM、中村佳穂シングルジャケット、劇団ロロのチラシビジュアル、三井のリハウスの広告イラストなど。



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