子を手放した母親ばかりが、なぜ責められるのか。『ベイビー・ブローカー』是枝裕和が鳴らす警鐘

予期せぬ妊娠、責任と心身の苦労を母親たちは背負う。自宅にて一人で出産する孤立出産も後を立たず、非難の目は母親にばかり向く。しかし、産むことを望む女性が安心して「母親になること」を選択できるように、社会や周囲のサポートがもっと必要なのではないか。

映画監督・是枝裕和の最新作『ベイビー・ブローカー』は、育てることが困難になった赤ちゃんを匿名で預けられる「ベイビーボックス(日本では「赤ちゃんポスト」と呼ばれる)」を題材に、赤ん坊を売ろうとしていたふたりが赤ん坊の幸せを考え始めるプロセスを描く。その裏の物語として、「母になることを選ばなかった女性たちが赤ん坊と旅をして『母』になる話を描いた」と、監督は振り返る。

本作では、児童養護施設で育ってきた子どもたちへの切実な願いがあったうえで、母親に対しても「寄り添う」視点が描かれる。これまでの人生や犯した罪から自身を卑下し、母親に相応しくないという理由で子どもを手放そうと決めるソヨン(イ・ジウン)。彼女が周囲との交流によって、初めて自分の答えを選択する姿に勇気をもらう。ソヨンという人物を通じて、母親になることを選ばなかった女性たちへの思い、孤立しがちな女性たちに私たちができること、社会への思いを監督に聞いた。

女の人もすぐに母親にはなれない。前作『そして父になる』で反省したこと

─ベイビーボックスを主題にしながら、裏の物語として「母になることを選ばなかった女性たちが『母』になる話」を描こうと思われたのは、どうしてだったのでしょうか?

是枝:映画のプロットを書き始めたのが、2013年に公開した映画『そして父になる』のあとです。きっかけは、映画のインタビュー。作品が誕生した理由を聞かれたとき、女性は産めばすぐ母親になれるけれど父親は実感がなくて戸惑った、というぼく自身の話をしたんですね。そうしたら、その記事に対して「それは男の幻想だ、発言に傷つく女性もいる」とお叱りを受けました。

女の人だってすぐに母親にはなれないし、女性は生まれながらにして母性が備わっているというのは男の偏見だ、と。たしかにそのとおりだし、ものすごく反省しました。ぼくの実感を語ったつもりだったけれど、非常に浅はかで、認識に欠けている発言だったと。そこから、女性はどのようにして「母」と向き合うのか、ということを考えるようになりました。そうしてできたのが、前作の『万引き家族』です。

『万引き家族』本予告

─安藤サクラさん演じる「母親」が、虐待を受けていた他人の子どもを我が子のように愛そうとした姿は印象的でした。

是枝:彼女は、産んではいないけれども母親になろうとする。今回の映画で言うと、ぺ・ドゥナさん演じる刑事もそうです。

そうした女性がいる一方で、いろんな理由で母になることを選ばなかった、選べなかった女性たちがいる。彼女たちが赤ん坊を通じて母になることと向き合う、つまり「そして母になる」のような物語にしてみようかなと思いながら、書きました。

─母親になることを選ばなかったソヨンが、母親やそれ以外の選択肢も含めて、どういう道を選択していくのか。

是枝:そんな物語にできたらいいなと思っていました。

─なかなか難しいと思うのですが、当事者の方に取材することはできましたか? ソヨンのように一人で育てることが困難で、子どもを手放そうと決めた女性というのは。

是枝:お話は聞けなかったんですが、ソウルにある「赤ちゃんポスト」を取材中に、たまたまそこに生まれたばかりの赤ちゃんを預けに来たお母さんに出会いました。30分程でその場を去っていかれましたけど。実際にお話させて頂いたのは、養子縁組で子どもを育てているご夫婦や、母子生活支援施設(あらゆる生活上の問題を抱えた母親と子どもが一緒に入所し、生活を支援する施設)で暮らすお母さん、児童養護施設で育った人たち。

「ショックな気づきだった」。子どもへの取材を通して感じたこと

─取材を通じて出会った子どもたちは、母親に対してどのような思いを持っていると、監督は感じましたか?

是枝:いろいろな子どもたちがいるので一般論として語ることは難しいですが、以前熊本市の慈恵病院の赤ちゃんポストを特集したNHKの番組にスタジオゲストとして参加したんですね。そのときにも同じことを思いましたけれど、預けられた子どもは母親を恨むというより、自分自身が生まれたことで母親が不幸になっていないか、と考えていて。はっきり言葉にはしないけれど、つまり、自分の生を肯定できないまま大人になっていくということですよね。「生まれてきてよかったのだろうか」と疑問を抱いたまま成長する。それは大人として、結構ショックな気づきでした。

取材を重ねていくなかで、たとえ第三者だとしても、大人が「生まれてきてよかったんだよ」とはっきり子どもに言わないといけない、という気持ちが芽生えるようになりました。それが社会の責任だと思います。それで、あからさまなくらい明快に、映画のなかでセリフにしています。

─自分の生を肯定する、というのはベイビーボックス出身者に限らず、多くの人が難しさを感じる部分かもしれませんね。

是枝:そうだと思います。車で旅をしたサンヒョン(ソン・ガンホ)、ドンス(カン・ドンウォン)、ヘジン(イム・スンス)。彼らも境遇はさまざまだけれど、心のどこかで「自分が生まれてきたことで誰かを不幸にしているんじゃないか」と思っている人たちの集まりにしたつもりなので。

是枝監督が語る、IUの演技の魅力

─母であるソヨンを演じた、イ・ジウン(歌手名IU)さんの演技力も素晴らしかったです。母親にある戸惑い、怒り、痛み、いろいろな感情を見せてくれていました。

是枝:非常に繊細に、見事に演じてくれましたね。

─彼女の魅力をどのようなところに感じましたか?

是枝:彼女はやっぱり、声がいいですよね。ぼくは歌手としてIUさんの曲を聴いてこなかったけれど、韓国ドラマの『マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜』での演技力が深く印象に残って、オファーしました。脚本読みの段階で、その場にいた全員が、声の表現力の豊かさを感じていました。韓国語がわからなくても、感情が充分に伝わってきましたね。

あと、ニュアンスを的確にとらえるスピードが早い。ちょっと演出を加えると、すぐに正解を出してくれる。その勘の良さには驚きました。

─赤ん坊をのぞむ1組目の夫婦に啖呵を切るシーンが、IUさんのイメージになくて、カッコよかったです。

是枝:あそこは……じつは、アドリブ(笑)。

─そうなんですか!

是枝:大筋は脚本に書いていましたけど、後半はほとんどアドリブです。韓国の方は感情の出し方が日本人とは違うから、お任せしている部分もあって。見事でしたよね。

赤ちゃんポストの利用は日本の倍以上。韓国の家族の現状

─ベイビーボックスに預けられる子どもの数が、日本とは桁違いなことに驚きました(※)。韓国における家族の状況、利用者数の多さについても教えていただけますか?

※日本にある赤ちゃんポストは熊本県慈恵病院の1か所、2020年3月末までで累計155人が預けられた(*1)。韓国には3つのベイビーボックスがあり、毎年200人を超える赤ちゃんが預けられている(2022年3月現在)。

是枝:預ける人が多い理由もさまざまで、明確な理由がないと聞きました。中絶に対する考え方もあると思います。育てられない理由も、経済的なことや不倫関係、10代での出産など、いろんなことが考えられます。

印象的だったこととしては、韓国も少子化が進んでいたこと。半分冗談みたいに「何十年後かに韓国がなくなってしまう」と現地スタッフがぼやいていたくらい、日本以上に深刻な状況でしたね。それは、子どもを育てるには大変な状況であることが大きいと思います。

是枝:日本以上に格差社会ですし、勝ち負けがはっきりしている。『イカゲーム』が流行りましたけれど、韓国の人たちにとって「現実社会がイカゲームだ」と、スタッフが言っていました。半分冗談だろうけど、半分リアルな思いで。

実際、社会自体の新陳代謝が早くて、映画業界もそうですが若い人たちに代替わりしていました。そうすると、淘汰された50代以上の人たちは行き場を失ってしまう。自殺率が非常に高いと聞きました(※)。若い、前向きなエネルギーを感じる一方で、しんどい状況も抱えているアンバランスさを感じましたね。

※経済協力開発機構(OECD)によると、韓国の人口10万人あたりの自殺者数は24.6人で、加盟国のうちで最も高い(*2)。

もう少し早く会えていたら、捨てずに済んだかもしれない

─先ほどお話にあったNHKの番組で「家族という共同体からも地域からも孤立している母親に対して、『しっかりしなさい』と言うだけでは、これらの問題は解決しない」と監督はコメントされていました。この問題に対して、映画制作を通じて導き出した現時点の答えがあれば教えていただきたいです。

是枝:そうですね……答えを出すことは難しいですよね。慈恵病院も赤ちゃんポストを設置して15年になるけれど、いまもなお、どうしたら母親を守れるのか、ずっと試行錯誤されているんだと思います。しかも、純粋に社会全体で「どうしたらいいのか」考えられているわけではなく、制度に対して風当たりが強い部分もありますし。

─映画にあるセリフのように「赤ちゃんポストなんてあるから、母親が育児放棄するんだ」という発言もよく耳にします。

是枝:だから、ぼくが何か一つ答えを提示できるわけではないけれど、思うのは母親に責任を押し付けて、彼女たちが頼れる場所を「箱」に任せてしまった社会の問題ではないか、と。そういう視点で描いたつもりです。

サンヒョンもドンスも小悪党ですけど、ソヨンが「もう少し早く会えていたら捨てずに済んだかも」ってつぶやくじゃないですか。母親が孤独にならないように、受け入れてくれるボックスのような人間や存在が、母親には必要なんだと思います。

─ふたりが育児や突然の発熱にも一緒に対峙してくれて、ソヨンは安心していましたよね。「ひとりじゃ何もできなかった」という彼女に、サンヒョンが「全部ひとりでやらなくていいんだよ」と声をかける姿が印象的でした。

是枝:彼らが旅をするこの車自体が、もう一つのベビーボックスの在り方なんじゃないかと思っています。育児について複雑な思いを抱える母親に対して、本来であれば父親や、周りにいる人間、行政が、母親をひとりにさせないよう手を差しのべるべきですよね。現状では、社会が担うべきそうした役割をベイビーボックスに任せてしまっている。いろいろ意見があると思いますが、ぼくは役割を放棄した社会に問題があると考えています。

あらゆる人をケアできるのが、社会の在り方ではないか

─監督の考える「あるべき家族のかたち」とは、どういうものだと思われていますか?

是枝:いろいろなかたちでいいんだと思います。「こうあるべき」と個々に考えるぶんにはいいけれど、政治や社会が「こうあるべき」を押し付けてくること自体がおこがましいですよね。

シングルマザーだけでなく、事実婚や同性婚といった、あらゆる家族のかたちが存在しているのに、制度は昔から変わらない。その枠組みに入れないだけで社会の制度からあぶれてしまうのは、ひどい話だと思います。あらゆる人をケアできるのが社会の在り方だし、政治のあるべき姿だと思いますけど、現実はそうなっていませんよね。

そこに対してあきらめや抵抗のために作品をつくっているわけではありませんが、繰り返し、繰り返し違うかたちの「家族」という共同体を描いているのは、自分なりの問題意識があるからだろうと思います。

─父親の不在というのも「出産に関して父親が責任を問われない」ことに対しての、監督の違和感が表出しているのではないかと感じました。

是枝:2004年に公開した『誰も知らない』の元になった事件は、1988年に起こりました。その当時、非難されたのは子どもを産んだ母親ばかり。彼らを残していった父親たちは行方がわからないという事情もあるのかもしれないけれど、免責されちゃっていました。目の前にいる相手だけを攻撃している社会の有り様はとても安易で、本質からずれていると感じました。

それで、映画に父親らしき存在を出したんですね。今回の題材だと、より強く存在を意識させています。免責されていませんけどね(笑)。

母親を孤立させないために、必要なこと、足りないこと

─ソヨンが母になろうとするためには、サンヒョンやドンスといった存在とサポート、母親になる道筋を途絶えさせなかった刑事のスジン(ペ・ドゥナ)が必要不可欠だったと思います。実社会でソヨンのような母親を孤立させないコミュニティーをつくるために必要なこと、足りないことを監督はどう考えられますか?

是枝:そうですね……逆に何が足りないと思いますか?

─まず、血のつながった家族以外のコミュニティーを認めてほしいです。家族だからといっても、心から縁を切りたい人もなかにはいるので、そうした人たちに「家族を大事にしなさい」と語りかけるような社会のままでは救われないと思います。最近、『PLAN 75』の早川千絵監督にインタビューさせていただき「自己責任がいきすぎているのではないか」という話をしました(関連記事:カンヌ特別表彰、『PLAN 75』が描く「不寛容な社会」とは。早川千絵監督が語る自己責任論への憤り)。社会や制度のせいなのに、自己責任で個人が押し潰されてしまわないよう、個人の想いに寄り添ってくれる相談場所、血縁関係に縛られないコミュニティーを認める制度に変わってほしいです。

是枝:ぼくは、自己責任って言葉が大嫌いなんですよ。犯罪も、生活保護も、いつの間にか「それは自己責任です」って平気で使われるようになってしまいましたよね。

自己責任で免責されるのは、結局政治や社会の責任。個人に責任転嫁して、自分たちは責任を取らない状況が加速度的に起きています。そのしわ寄せが、女性と子どもという弱い立場のところに来ていますよね。

そんな苦しい状況でも、血縁を信じて、家族同士支え合いなさい、という古臭い方向に政治が向かっています。血縁を超えた関係を「家族」とは、決して認めようとしないじゃないですか。その制度が変わらないと、女性や子どもは守られないと思います。ぼくが言っていい立場なのかと考えるけれど、立場以前に腹立たしいですよね。もっと怒っていいと思います。あなたも、ぼくたちも、もっと怒って声をあげていいんじゃないですかね。

作品情報
『ベイビー・ブローカー』

2022年6月24日(金)TOHOシネマズ 日比谷 ほか 全国ロードショー

監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:
ソン・ガンホ
カン・ドンウォン
ぺ・ドゥナ
イ・ジウン
イ・ジュヨン
配給:ギャガ
プロフィール
是枝裕和 (これえだ ひろかず)

1962年6月6日、東京都生まれ。早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。2014年に独立し制作者集団「分福」を立ち上げる。主なTV作品に、「しかし・・・」(91/CX/ギャラクシー賞優秀作品賞)、「もう一つの教育~伊那小学校春組の記録~」(91/CX/ATP賞優秀賞)などがある。1995年、『幻の光』で監督デビューし、ヴェネチア国際映画祭で金のオゼッラ賞を受賞。2004年の『誰も知らない』では、主演を務めた柳楽優弥がカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞。その他、『ワンダフルライフ』(98)、『花よりもなほ』(06)、『歩いても 歩いても』(08)、『空気人形』(09)、『奇跡』(11)などを手掛ける。2013年、『そして父になる』で第66回カンヌ国際映画祭審査員賞を始め、国内外で多数の賞を受賞。『海街diary』(15)は第68回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され、日本アカデミー賞最優秀作品賞他4冠に輝く。『三度目の殺人』(17)は第74回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門正式出品、日本アカデミー賞最優秀作品賞他6冠に輝いた。2018年、『万引き家族』が、第71回カンヌ国際映画祭で栄えある最高賞のパルムドールを受賞し、第91回アカデミー賞®外国語映画賞にノミネートされ、第44回セザール賞外国映画賞を獲得。第42回日本アカデミー賞では最優秀賞を最多8部門受賞する。2019年には、カトリーヌ・ドヌーヴ、ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホークらを迎えた初の国際共同製作作品『真実』は日本人監督として初めてヴェネチア国際映画祭コンペティション部門オープニング作品に選定された。



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