震災もコロナも乗り越えた20年。Spotify O-EAST店長が語るライブハウスの生存戦略と、新たな変化

数多くのライブハウスが点在する渋谷のなかにあって、道玄坂・円山町に位置するSpotify O-EASTとSpotify O-nestはつねに大きな存在感を放ってきた。今年でO-EASTビルの建て替えからはちょうど20年。新型コロナウイルスのパンデミックによって一時期は閑散としていたものの、いまは徐々に客足が戻り、かつての活気を取り戻しつつある。

この20年を振り返ると、「ライブハウス」はさまざまな社会の変化と向き合い続けてきたといえる。インターネット/SNSの普及、度重なる災害、都市の再開発、外国人居住者の増加……そんな時代の変遷のなかで、ときにスケープゴートとして扱われることも少なくなかったように思うが、それでもライブハウスはカルチャーの拠点として、コミュニケーションの現場として、非日常を体験できる空間として、愛と笑いの夜を積み重ねている。

実際にライブハウスで働く人たちは、そんな場所をどのように守り抜き、どのような未来を見据えているのか。2000年に上京してO-nestで長らく店長を務め、2019年からO-EASTの店長を務める岸本純一(現在はO-EAST、O-WEST、O-Crest、O-nestを統括する立場も兼任している)に、ライブハウスの過去と未来について聞いた。

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00年代のO-nestが独自のシーンを育んだのは、「自分がちゃんといいと思えるアーティストに出てもらいたい」というシンプルなこだわり

―まずは岸本さんがライブハウスで働き始めた経緯を教えてください。

岸本:もともとは大阪の江坂にブーミンホールというライブハウスがあって、いまはESAKA MUSEという名前に変わってるんですけど、そこでスタッフとして働いたのが最初です。その次に尼崎のライブハウスで照明をやって、「もう大阪を出たいな」と思っていたときに、ちょうどO-nestに働き口があるというのを聞いて、東京に来た感じです。

―O-nestに来てからは翌年にブッキングマネージャーになり、30歳手前で店長になられたそうで、環境が大きく変わったのではないでしょうか?

岸本:O-nestで働き始めてからは……毎日必死でしたね。現場から入ったので、タイムテーブルのチェックとか転換をやったりしながら、その合間でデモテープを聴いて、ブッキングをして、みたいな感じで。

店長になってからは、ちゃんと自分で良さをわかっているものをやりたいと思って、自分がわからないものはやらない感じにしてしまったので、急に空き日が増えましたけどね(笑)。

―自分がいいと思えるアーティストにだけ出てもらうようにしたと。でも空き日が増えるのはライブハウスの経営的にはあまりよろしくないですよね。

岸本:月間の売り上げも減りましたし、そういう部分では上の人からすごく怒られました。なので当時人気のあったアーティストをいろいろ勉強しようとはしたんですけど……あんまりよくわからなくて。日本のバンドは全然詳しくなかったので、あんまりピンと来なくて、その分海外のほうを掘っていく感じになりましたね。

―空き日を出さないことを最優先にして、一日5~6バンドをブッキングして、ノルマを取って、それで経営を成り立たせるようなやり方をしているライブハウスも昔からありますが、岸本さんとしては「自分がちゃんといいと思えるアーティストに出てもらいたい」というのがこだわりだったわけですね。

岸本:もちろんノルマをもらうときもあったんですけど、そういうことでビジネスを成り立たせるのは嫌だし、限界があるなと思ったんです。そういうルールって、そもそもちょっと強引なんじゃないかって思ってる部分もあって。もともとぼく自身が昔バンドをやっていて、ノルマのある会場にはほとんど出なかったので、「ノルマってなんなの?」っていう出演者目線の疑問はつねにあって。友達の多い人はたくさん呼べると思うんですけど、友達の少ない人は呼べないですよね。でもぼくの勝手な考えとして、友達が少ない人のほうが結局いい音楽をつくったり、売れたりしてるんじゃないかなって(笑)。

―友達の少なさは、音楽そのものと真剣に向き合っていることの裏返しと捉えることもできそうですもんね。結果的にはそうやってこだわりを持ってブッキングをしていったからこそ、00年代、O-nestは海外アーティストの来日公演がひとつの色になり、その周りに集まる日本人アーティストも個性のある人ばかりで、一部では「ネスト系」とも呼ばれていたように、音楽好きが集まるライブハウスになっていきました。

岸本:ぼく個人としては、とにかく日々ちゃんとやりたいと思ってやってただけなんですけどね。シーンをつくりたいとか、ジャンルで分けたいとかもなかったですし。ただ、思い出はいっぱいあるかなっていう、実際はそれくらいの感じなんですよ。

2008年にO-nestで開催されたnhhmbaseのライブ映像。当時、O-nest周辺に集まる音楽ファンから支持を集めた。現在も活動中

「ライブハウスは必要ないのかもしれない」電力不足にあえぎ、無力さを噛みしめた東日本大震災

―今回の記事ではこの20年を振り返りつつ、現在と未来を語っていただきたいのですが、2003年からの最初の10年を振り返ったときに、やはり2011年に発生した東日本大震災は非常に大きな出来事でした。当時の状況を振り返っていただけますか?

岸本:もちろん当日の公演はナシになりましたし、それ以降も一か月くらいは公演ができなくて……「エンターテイメントは無力なんだな」って、すごく感じましたね。まず必要なのは水や食料といった生きていくためのもので、それが充実してやっとエンターテイメントの順番が来る、それをすごく実感しました。エンターテイメントは生活をしていくうえで一番に必要とされるものではないんだっていう……無力だなと思いました。

―それまではそう感じたことがなかった?

岸本:「第一に優先されるべき選択肢ではないんだな」っていうのはそれまで感じたことがなかったので、その衝撃は大きかったですね。「ライブハウスは世の中から必要とされてるんだ」みたいにはしばらく思えなかったです。震災発生当初は関東全体の電力が非常に切迫してましたし、それをエンターテイメントに使うのはどうなんだろうっていう気持ちがずっとあって。「まずは生活に困ってる人たちが使うべきだ」と思っていたので。

―東北では復興に向けて『東北ライブハウス大作戦』(※1)のような動きも起きたり、ミュージシャンが支援物資を持って被災地に行ったり、ある種のライフライン、集まる場所にライブハウスがなっていたようにも思います。

岸本:復興支援に参加したミュージシャンたちは本当に素晴らしかったと思います。楽器を変えれば電力を使わなくても、なにかしら表現することもできますしね。ただあの状況でライブハウスを動かすことに関しては、やっぱりライブハウスはめちゃくちゃ電力を必要とするので、そこがどうしても引っかかってました。

とはいえ、そういったミュージシャンたちの活動を見て、電力の問題さえ解決すれば、ライブハウスは日常を忘れて発散できるという意味でみなさんのお力にはなれるんじゃないかと改めて思いましたし、それはいまもずっとそう思ってますね。

ドキュメント作品『東北ライブハウス大作戦ドキュメンタリームービー』のトレイラー映像

※1:東日本大震災発生から3か月後となる2011年6月、ライブPAチーム「SPC peek performance」が中心となって立ち上げたプロジェクト。被災した三陸沖沿岸地域にライブハウスを建設することを目指して活動し、さまざまなアーティストや音楽ファンからの支持を集めた。2012年には宮古、大船渡、石巻にライブハウスをオープンさせた。

2012年ころから増加しはじめたサーキットイベント。街と人を音楽でつなぐきっかけに。

―たとえば2005年から開催されていた『SYNCHRONICITY』が2012年からO-EASTとduo MUSIC EXCHANGEの2会場で開催されるようになったり、『YATSUI FESTIVAL!』が2012年に初開催されたりと、このころからO-Group周辺でもサーキットイベントが増加しはじめました。ライブハウスの運営にどのような影響を与えましたか?

岸本:サーキットイベントは一時期めちゃめちゃ増えて、月に1~2本あるような状態になってました。もちろんコロナでしばらくできなくなっちゃったんですけど、いまはまたちょこちょこ増えてきています。

2012年に開催された『SYNCHRONICITY'12』からDE DE MOUSE + his drummerのライブ映像。会場はduo MUSIC EXCHANGE

岸本:サーキットイベントに関しては、せっかく街のなかにライブハウスがあるわけだから、もっと街の人たちともコラボレーションできるようになるといいなっていうのがすごくあって。理想としては、サーキットイベントをきっかけにこの場所に足を運んでくれるお客さんに、もっとこの街自体を楽しんでもらいたい。それはずっと課題で、これからも考えていきたいです。ライブの前にランチをしたり、終わった後にお酒を飲みながらライブの感想を話したり、そういうことができる場所が周りにはたくさんあるので。

―実際に自治体への働きかけや取り組みなどはしているのでしょうか?

岸本:まだそんなにはできてないんですけど、まずO-EASTだと渋谷百軒店(※2)の商店街がすぐ横にあるので、そこの組合の方々とお話はさせてもらっていて、普段飲みに行くときも極力、百軒店に行ってます(笑)。ちっちゃいタウン誌みたいな、マップみたいなものをつくりたいと思っていて、それを見せたら飲食代がちょっと安くなるとか、そういうのをサーキットイベントの来場者全員に配ったりしたいなって。特にこれからはインバウンドの人たちとか、海外からのお客さんをちゃんと取り込んでいかないと厳しくなっていくと思うので、そういう人たちにも街を楽しんでほしいです。

※2:渋谷百軒店は1923年の関東大震災後、被災した下町地域の店舗を誘致する目的で開発されたエリア。大いに賑わっていたが、第二次世界大戦時の空襲で全焼。戦後には飲食店や映画館が数多く林立する繁華街として復興し、一時期は渋谷の中心地的なエリアだった。

ライブハウスを訪れる客層はどう変わった?

―この20年での渋谷という街自体の雰囲気や人の変化をどう感じていますか?

岸本:海外の人は明らかに増えましたよね。しかも、ただ旅行に来ただけじゃなくて、実際に住んで、東京で仕事をされている海外出身の方がすごく増えていて。

―留学生も増えましたよね。

岸本:そういう人たちに向けてもっとわかりやすく間口を広げていかないといけないんじゃないかっていうのはありますね。昔は「間口を広げないと」みたいな意識はあんまりなかったんですけど、いまはそこをちゃんと準備しないといけないなって。

―現状ですでにお客さんの層に変化はありますか?

岸本:O-EASTでは変化をすごく実感してます。この間の落日飛車(Sunset Rollercoaster)は海外のお客さんがめちゃめちゃいて、やっぱりインバウンドじゃなくて、日本に住んでる外国人の方たちが集まってるんだろうなっていう、その熱量をすごく感じました。

台湾発のシティポップバンド・落日飛車(Sunset Rollercoaster)の代表曲“My Jinji”のPV

岸本:昔は旅行者が多かったと思うんですけど、いまは日本に住んでいて、みんな普通にプレイガイドでチケットを買っている。アイルランドのバンドが出たら、アイルランド出身の人たちが結構集まってたり、この前、深夜に開催した南米のコミュニティーのDJイベントなんかは、見た感じアジア系は一人もいなくて、スペイン語ばっかり聴こえてきたり。お客さんの出身地や国籍がめちゃくちゃ多様になってるんですよね。

―そういった人たちに対して、もっと街自体を楽しんでもらえるような取り組みをしたいと。

岸本:そうですね。ライブだけ見てすぐに帰っちゃうのはもったいないなって。百軒店もそうだし、その周辺も含めて、新しい飲み屋さんとか面白いお店がいっぱいできてるので、そういうところでもっと楽しんでもらえるように、そのきっかけになりたいと思ってます。

営業をストップさせたコロナ禍。雌伏のとき、「未来のエンタメ」を見据えて導入したものとは

―コロナ禍におけるライブハウスの動きについてもお伺いしたいと思います。まずは感染が加速度的に広がった2020年当時の状況を振り返っていただけますか?

岸本:はじめはホントになにがなんだかわからなくて。ライブをやるにもどう判断したらいいかわからないので、出演者やイベントの主催者の判断にわりと委ねていて、「やりたくない」っていう人と「絶対やる」っていう人と、二極化してましたね。緊急事態宣言以降は営業をストップしましたけど、当時はこんなに長く続くとは思ってなくて、半年とかで終わると思ってたので……「まさか、こんなことになるとは」と思ったのは覚えてます。

新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言発令の影響を受けて、ライブハウスやミニシアター、劇場といった場をはじめ、苦境に立たされた日本の文化芸術の発信地を守るためのアクションを起こす『WeNeedCulture』。DOMMUNEで配信されたプログラムには小泉今日子、スガナミユウ、土田英生、渡辺えりらが出演した

―経営が厳しくなって閉店してしまったり、クラウドファンディングで支援を募って危機を乗り越えたり、ライブハウスごとにいろいろな動きがありましたが、O-Groupとしてはどんな動きがありましたか?

岸本:あのとき、音楽業界全体でライブ配信を始めましたよね。各地のライブハウスでも、カメラを買ったり、スイッチャーを買ったりして、いままでそんなのやったことなかったけど、みんな見よう見まねでやり始めて。

ただO-EASTとO-WESTに関しては、それを所有してもあんまり使われることがないのかなと思ったんですよ。っていうのは、収録チームが持ち込んでくるので。

―O-EASTやO-WESTに出るようなある程度の規模感のあるアーティストだと、ちゃんと収録チームがいて、自前の機材があると。

岸本:そうですね。なので、所有はしないで、その代わり回線を太く、速くしたりはしました。当時はぼくらも今後のライブハウスのあり方をすごく考えて、一時期は「お客さんを入れて商売するのはどうなんだろう?」って考えてしまうくらい、追い詰められました。

そういうなかで、近い将来に向けてなにが最適な準備なのかを考えて、O-EASTにLEDビジョンを常設で入れたんですが、それがものすごく大きかったです。エンターテイメントとして表現できる領域を広げたかったんですよね。海外の人たちの話を聞くと、「なんで日本のライブハウスにはLEDビジョンがないの?」って言われることが多くて、上海とかだとどこのライブハウスにもLEDがあるんですよ。逆に、ドラムとかはないんですけど。

―楽器は持ち込みなんですね。

岸本:そうそう。その代わりLEDはある。そういう話を聞いて、「やっぱりいるでしょう」っていう。コロナ禍になって、お客さんを入れての活動ができなくなったから、新しい技術を取り入れたエンターテイメントがどんどん増えて、VTuberもそうだし、いろんなエンタメの楽しみ方が増えた。そういうものに対応するためにも、先手を打ちたかったんですよね。「DX」みたいな言葉が流行ったなかで、「じゃあ、ライブハウスのDXってなに?」みたいなことを考えると、意外ともうやってるなと思ったんですよ。みんなもうワイヤレスも使ってるし。さらにその先をいくとしたら、LEDしかないんじゃないかと思ったんです。

―「ライブハウスのDX」は面白いテーマですね。O-nestに関してはいかがですか?

岸本:O-nestはムービングライトを導入したんですけど、それはほかの会場にはすでに導入されてて、O-nestは入れてなかったんです。というのも、O-nestは昔から「アナログ感」を大事にしてきた会場だったからで。音響卓もずっとアナログを使ってたんですけど、いよいよアナログが厳しくなってきて、デジタルに変えようってなったときは、ずっと出てくれてたある出演者の人に「デジタルに変えるならもう出ない」って言われたりもしました。

―難しいところではありますけど、時代の変化に対応することは必要ですよね。出演者にしても、20年前はバンドが多かったと思うんですけど、アイドルの出演が増えたり、ラッパーの出演が増えたり、トラックを流すタイプのライブも増えたでしょうからね。

岸本:トラックミュージックは昔に比べてはるかに増えて、質も高くなったし、説得力も上がったと思います。昔だったら「カラオケでしょ?」みたいな感じで、実際なんの説得力もなかったりしたけど、いまは音圧も含めてちゃんと成立してる。だったらそれにも対応して、映像だったり、いろんな演出の部分だったりで幅を広げる必要があると思いました。

2022年に開催されたVTuberピーナッツくんのライブツアーダイジェスト。東京公演はO-EASTで開催され、LEDビジョンが活用されている

緊急事態宣言から3年。再検討と内省によって気づいた、現代にマッチした新たな需要

―緊急事態宣言からは約3年が経過して、客足を含めたライブハウスの現状はどうなっていますか?

岸本:まだ元通りには、なってないですね。もちろん、客足は元に戻ってほしいと思いつつ、出演者のほうは明らかに表現方法が変わってきていて、ライブハウスがそれにどう対応するのかがこれからは大事だと考えています。コロナ禍ではSNSをどう使うのかが各アーティストにとってすごく重要なことになりましたよね。昔はまずライブハウスに出て、そこから広げていくのが普通だったけど、いまはまずSNSでアピールをして、そこから集客に結びつけていくほうが主流なんだなっていうのが実感としてあります。

Spotifyみたいなサブスクサービスや、YouTubeみたいな動画サイトが一般化したからだと思うんですけど、来日系にしても、昔だと初来日はO-nestだったのが、いまだと初来日O-EASTで完売みたいな、情報が世界レベルで均一化していて、お客さんのほうが情報を得るのが早かったりもする。コロナの前から徐々に変わっていたとは思うんですけど、いまはもう確実にそうなってますね。

―そういった状況に対して、O-Groupとしてはどうアプローチしていきますか?

岸本:そうですね……バンドに関してはこれまでもやってきたわけですけど、これまでと違う表現方法でちゃんと成立してる人たちに対しては、ちょっと形を変える必要があるかもなって。

たとえば、いまはDJバーが結構増えていて、そういう新しい人たちはそっちのほうが接点が多いのかなと思っていて。先端の人たちに出てもらうには、もはやO-nestのキャパでも大きすぎるのかもしれない。100人でパンパンみたいなほうが、これからの人たちにとっては気楽にやれて、その役目をいまはDJバーが担っているのかもしれなくて。

―SNSで人気を得て、最初から大きな規模のライブハウスに出る人たちと、DJバーのようなより小さなサイズから始める人たちと、二極化してるのかもしれないですね。

岸本:だから、もっと特化しないといけない部分もあると思っていて、たとえば、O-nestとO-Crestは250人キャパなので、O-EASTの考え方とは全然違う考え方でやりましょうっていう話をしています。O-nestやO-Crestは新しい人たちが集まる場所として、いかに間口を広げられるかに特化して、逆にO-EASTはエンターテイメントの質の高さを求めることに特化していく。で、ジャンルに関しては実際にそこで働いてる人たちが決めればいいと思ってます。

―いまのO-Group全体の出演者のジャンル感はどうなっているんですか?

岸本:コロナ禍でバンドがあまり活動してなかったのに対して、アイドルはすごく活動をしていたので、一時期は割合としてアイドルが増えたんですけど、いまはまたバンドも戻ってきて、O-EASTはだいぶフラットになったと思います。

ヒップホップとかDJに関していうと、O-EASTはステージが横に広いので、人数が多い公演はすごく映えるんですけど、DJとかトラックメイカーはポツンとした印象になっちゃって、昔はそれで敬遠されがちだったのかなとも思っていて。でもいまはLEDビジョンがあるので、ステージに一人でもビジュアル的に申し分ないし、O-EASTは照明を吊ってるトラスが下げられるので、より空間を狭めることもできて。Night Tempoは毎回必ずLEDで映像を出してやっていて、いつもたくさんの人が集まっている。あれはコロナ前だったら見られなかった、いまの時代の風景だなとすごく思いますね。

韓国のDJ/プロデューサーであるNight Tempoが竹内まりや“プラスティック・ラブ”をリエディットした楽曲のPV

ライブハウスのリアルな課題。自分たちのことだけでなく、街と人をつなぐエンタメのハブになりたい

―CINRAとしては無料イベントの『exPoP!!!!!』を2007年からO-nestで開催してきた(2022年12月からCINRAサポートのもと、NiEWが運営を引き継いでいる)わけですが、岸本さんにとって『exPoP!!!!!』はどんなイベントだといえますか?

岸本:たしか一番最初はチケット代を取って始まったと思うんですよね。そのときはあんまり上手くいかなかったけど、無料にしてから一気に人気イベントになりました。出演者も当時からO-nestとめちゃくちゃ親和性があって、ホントに「一緒にやってる」っていう感じでしたね。毎月やってたし(隔月開催期間、コロナ禍による一時休止期間もあり)、ちゃんと話もできるし、単なる持ち込みのイベントだと思ったことは一度もなくて、O-nestにとってもすごく重要なイベントです。

『exPoP!!!!!』出演後にビッグになったアーティストはたくさんいるし(※3)、無料で開催を続けている面白さもある。結果として、非常に画期的なイベントだったし、これからもそうだと思ってます。

2023年1月に開催されたNiEW presents 『exPoP!!!!! volume147』に出演したパジャマで海なんかいかないのライブの模様。

※3:『exPoP!!!!! 』にこれまで出演してきたアーティストは、King Gnu、あいみょん、SEKAI NO OWARI、中村佳穂、カネコアヤノ、折坂悠太、Suchmos、SIRUP、CHAI、ちゃんみな、羊文学、相対性理論、cero、曽我部恵一、Nulbarich、never young beach、indigo la End、クリープハイプ、Yogee New Waves、AAAMYYY、フレデリック、君島大空、水曜日のカンパネラ、向井太一、D.A.N.、田我流、C.O.S.A.、gummyboy、雨のパレード、WONK、吉澤嘉代子、きのこ帝国、神聖かまってちゃん、GEZAN、SEVENTEEN AGAiN、シャムキャッツ、Bialystocks、TENDRE、蓮沼執太、ミツメ、BiS、新しい学校のリーダーズ、さとうもか、Tempalay、赤い公園、No Buses、Omoinotake、NIKO NIKO TAN TANなど多数

―では最後に改めて、今後はどんなことを大事にしてライブハウスに関わっていきたいとお考えですか?

岸本:これだけ長い期間この場所で商売をさせていただいて、もう自分たちのことだけを考えるのではなく、街と一緒になにかをするっていうことも含めて、ちゃんとエンターテイメントのハブになっていきたいと思っているので、そのための運営の仕方をこれからも模索していきたいです。そのためにはさっきも言ったように、もっと間口を広げる必要があって、それは出演者だけではなく、スタッフにしてもそうで、いろんな人たちがここで働いてみたいと思えるような環境づくりも必要だと思います。

―これも改めてですけど、岸本さんの思うライブハウスの一番の魅力はどこだと思いますか?

岸本:魅力というか、ライブハウスの一番得意な部分っていうのは、「大音量が出せる」っていうこと。そこが一番の武器だと思うんです。ほかの場所でこんな音を出したら絶対にクレームが来るわけで、ありえない環境だと思うんですよ。まずはそれを武器にして、いろんな人たちが集まるハブになれたらいいなと思いますね。

―スマホ一台でいろんなエンターテイメントが楽しめても、やっぱり生の大音量はライブハウスでしか味わえないですもんね。ちなみに、スタッフの間口も広げたいというお話でしたが、どんな人材にライブハウスに来てほしいとお考えですか?

岸本:ライブハウスの仕事には大事な要素が2つあって、1つはちゃんと日々管理をしながら運営していくこと。もう1つは独創的な考えを持ってクリエイトしていくこと。ホントはその2つを兼ね備えている人が理想ですけど、そんなスーパーマンはなかなかいないから、そのどちらかでもいいので、自分の意見を持って取り組める人に集まってもらえると嬉しいです。

どの業界もそうですけど、人手不足は絶対に起きてくると思うので、我々ライブハウスも「音楽が好きだから」だけじゃなくて、ちゃんと安定した生活ができるし、ちゃんと稼げる場所であることも提示していかないとと思っていて。ミュージシャンの人は売れたら稼げるけど、裏方のスタッフが稼げるビジョンはまだそんなに描けていない気がするので、そこもぼくらの役目かなと思います。ここからもっと大きな会場にステップアップすることもできるし、このキャパでやり続けたい人はそれもできるし、そういう選択肢も含めて、ちゃんと提示していけるようになっていきたいですね。

プロフィール
岸本純一 (きしもと じゅんいち)

地元大阪のライブハウスで照明スタッフとして働き始め、2000年に上京してnestで現場スタッフとして働く。翌年からブッキングマネージャーになり海外アーティストの招聘も始める。その後店長になり、2019年からO-EAST店長。O-EAST、O-WEST、O-Crest、O-nestを統括する立場も兼任している。



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