会田誠が語る「アート」の未来

「取扱い注意作家」「タブーを扱う美術家」。これまで何度もそんな枕詞で紹介されてきた会田誠だが、ついに待望の美術館での初個展が実現した。出品数約100点という大ボリュームで、大学時代の記念碑的作品から、幅17.5メートルにおよぶ最新絵画まで、多彩な会田ワールドにまとめて浸れる初の機会でもある。そして、一見ただ過激な部分にばかり目がいきがちになるかもしれないが、美少女、戦争、社会問題、エログロ、ナンセンスなどを、美術史と接続しながらラディカルに扱うその手つきは、実は希有なバランス感覚と知性に支えられている。それらを「良し」とするかどうかは、観る者に委ねられるのかもしれないけれど……。いま会田はかつての枕詞を払拭する新ステージに進んでいるのか? またそんな彼から見た、現在とこれからの「アート」とは? 森美術館で2013年3月31日まで開催中の最新個展『天才でごめんなさい』会場で話を聞いた。

『天才でごめんなさい』は、リトアニアの飲み屋で思いついたものをダメもとで送ってみたら採用されちゃいました(笑)。

―今回の『会田誠展:天才でごめんなさい』は、謙虚なのか不遜なのかわからない謎めいたタイトルですね(笑)。

会田:美術館から「タイトル候補を早く出して欲しい」とずっと催促されていたんですが、そんななか別の展覧会で出かけていたリトアニアの飲み屋で、ふと思いついたんです。それをダメもとで送ってみたら採用されちゃいました(笑)。

会田誠『ハート』2011年 竹、紐、和紙、アクリル絵具、リンシードオイル、電球、鉄  550×φ325 cm 電気制御盤制作:勢濃 徹 制作協力:張 嘉巖『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 Courtesy: Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉修 写真提供:森美術館
会田誠『ハート』2011年 竹、紐、和紙、アクリル絵具、リンシードオイル、電球、鉄  550×φ325 cm 電気制御盤制作:勢濃 徹 制作協力:張 嘉巖『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 Courtesy: Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉修 写真提供:森美術館

―ちなみにどうして「天才でごめんなさい」?

会田:自分はもともとコツコツ作るような職人的アーティストに憧れていたはずなのに、気がついたらいわゆる天才っぽくやってしまっていたな、という自嘲と反省もこめて……でしょうか。どこか勘とノリで作っていて、真面目に考えて練っていないところもありまして。

会田誠『灰色の山』2009-11年 アクリル絵具、キャンバス 300×700 cm タグチ・アートコレクション蔵 制作協力:渡辺篤 Courtesy: Mizuma Art Gallery
会田誠『灰色の山』2009-11年 アクリル絵具、キャンバス 300×700 cm タグチ・アートコレクション蔵 制作協力:渡辺篤 Courtesy: Mizuma Art Gallery

―なるほど。でも展覧会場に大貼りされた「いかにすれば世界で最も偉大な芸術家になれるか」の十か条なんかは、かなり挑発的ですよね? 「同じことは――いや似ていることさえ、二度と繰り返すな」「天才芸術家にとって過去の奴らなんて、みんな取るに足らない下手っぴばかりだ」「芸術家にスケジュールや納期という概念はない」などなど。

会田誠『灰色の山』(部分)2009-11年 アクリル絵具、キャンバス 300×700 cm タグチ・アートコレクション蔵 制作協力:渡辺篤 『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 Courtesy: Mizuma Art Gallery
会田誠『灰色の山』(部分)2009-11年 アクリル絵具、キャンバス 300×700 cm
タグチ・アートコレクション蔵 制作協力:渡辺篤
『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 Courtesy: Mizuma Art Gallery

会田:あれは個展にお決まりのアーティストステイトメント(作家による宣言文)を求められて、その代わりとして書いたものです。最初は『天才でごめんなさい』の「ごめんなさい」に比重をかけて、「ごめんなさい20連発」みたいなのを書いてみたんですが、つまらなくてゴミ箱行きにしました。だったらということで、今度は「天才」寄りに、ふんぞり返る系にした結果ですね。書きながら色々なアーティストの顔が脳裏をかすめつつ……たとえば村上隆さんのお顔などもチラチラと(笑)。まぁ、この十か条のどれかひとつでも本気でやらかしたら、美術家としてダメだとわかって書いたものなので、だから村上さんの色々な言葉を全部裏返したギャグみたいなものでもあります。

会田誠
会田誠

―そうなんですか。本気にする若い美術家志望もいたりして(笑)。

会田:でも、僕が新宿歌舞伎町で運営していたバー「芸術公民館」に集まっていた飲み仲間には、あれを地でいっているような人たちもいます。ちゃんとした発表はしていないのに、マインドだけは芸術家である人とか(笑)。彼らも僕にとっては大切な友人たちです。村上隆さんみたいなアーティストと芸術公民館の仲間たちとの狭間にいる、そんな自分の状況も我ながら不思議で、あの十か条はそんな心境から出てきたものとも言えますかね。

好き嫌いは別として、自分の作品はわかりやすいほうだと思う。

―意外というか、今回が美術館での初個展だそうですね。学生時代の記念碑的作品から最新の大作まで、100点以上が一堂に会する大規模なものですが、この個展について思うことは?

『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 2012/11/17-2013/3/31 Courtesy: Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉修 写真提供:森美術館
『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 2012/11/17-2013/3/31 Courtesy: Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉修 写真提供:森美術館

会田:まず、個展が決まって過去作品を全てリストアップしてみたら、思ったより少ないことがわかって(苦笑)。まだまだ頑張んなきゃいけないし、サボれないみたいだなと。内容については……自分はたぶん、時間軸に沿って成長・変化していくタイプの作家ではないと思うんです。だから展示も、前半こそ初期作品が中心ですが、全体的には通称「18禁部屋」「大作部屋」「混沌部屋」みたいな形にして、隣り合う作品の制作時期もバラバラになっています。

『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 2012/11/17-2013/3/31 撮影:渡邉修 Courtesy: Mizuma Art Gallery 写真提供:森美術館(左側:『鴬谷図』)
『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 2012/11/17-2013/3/31 撮影:渡邉修 Courtesy: Mizuma Art Gallery 写真提供:森美術館(左側:『鴬谷図』)

―時間軸に沿って成長・変化しない、というのは?

会田:例えば新作の大きな絵画『ジャンブル・オブ・100 フラワーズ』(「百花繚乱」の直訳)を描いたのは、昔作った『鴬谷図』(極彩色の風俗チラシを大量にコラージュした日本画風作品)の出来に満足できていなかったので、そのリベンジで今度は女の子を描いたような気持ちもあります。いっぽう、もうひとつの大きな絵『電信柱、カラス、その他』は、大震災を受けて作ったと思われそうだし、そう感じてもらってもいいのですが、実際に着想したのは20年以上前なんです。

『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館  2012/11/17-2013/3/31 Courtesy: Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉修 写真提供:森美術館(左側:『ジャンブル・オブ・100 フラワーズ』)
『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館  2012/11/17-2013/3/31 Courtesy: Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉修 写真提供:森美術館(左側:『ジャンブル・オブ・100 フラワーズ』)

―この巨大絵画は、傾いた電信柱の下で何か大変なことが起きているのを暗示しますね。カラスが口にくわえているものをよく見ると、さらに恐ろしい連想が……。

会田:かつて『雲古蜚蠊(うんこ・ごきぶり)図』というのを描いたすぐ後に、ゴキブリの次はカラスだなと思いついて。どうせなら実物大に描いて、絵もデカいほうがいいと考えていたのが、今回実現できたんです。震災が起こり、今回は描くのをやめようかとも思ったものの、やはり描くことにしました。その理由は言葉ではうまく説明できないんですけど。

会田誠『電信柱、カラス、その他』2012年 六曲一隻屏風/アクリル絵具、キャンバス、パネル 360×1020 cm Courtesy: Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉修 写真提供:森美術館
会田誠『電信柱、カラス、その他』2012年 六曲一隻屏風/アクリル絵具、キャンバス、パネル 360×1020 cm Courtesy: Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉修 写真提供:森美術館

―この作品は、安土桃山時代の絵師・長谷川等伯筆の国宝『松林図屏風』を意識して描かれてもいますね。会田さんが小学5年生のときに描いた絵に、ピカソの絵をパロディに自分の学校から見た街の風景を描くというものもあります。過去の名作と自ら生きる世界をつなぐ姿勢や、長年温めたアイデアがあるとき具現化するあり方などは、会田さんの創意が時間を超えてつながっている、とも言えるんでしょうか?

会田:う〜ん、どうでしょう。僕の中ではつながってるというより、時間が流れていないような感覚ですかね。

会田誠『紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)(戦争画RETURNS)』1996年 六曲一隻屏風/日本経済新聞、ホログラムペーパーにプリントアウトしたCGを白黒コピー、チャコールペン、水彩絵具、アクリル絵具、油性マーカー、修正液、鉛筆、襖、蝶番、その他 174×382 cm 零戦CG制作:松橋睦生 高橋コレクション蔵、東京 Courtesy: Mizuma Art Gallery
会田誠『紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)(戦争画RETURNS)』
1996年 六曲一隻屏風/日本経済新聞、ホログラムペーパーにプリントアウトしたCGを白黒コピー、チャコールペン、水彩絵具、アクリル絵具、油性マーカー、修正液、鉛筆、襖、蝶番、その他 174×382 cm 零戦CG制作:松橋睦生
高橋コレクション蔵、東京 Courtesy: Mizuma Art Gallery

―ただ、会田さんの作品に、流れていない=停滞しているという印象はなく、初期からテーマも表現手段も多彩であることが今回の個展を見るとわかります。エログロやタブーを扱う作家と言われてきましたが、決してそれだけではないですし。また「会田さんは絵画がいい」という人も多そうですが、用いているメディアは多彩だし、かつご自分のことをコンセプチュアルアーティストだと称することもありますね。

会田:コンセプトありきということを言った第一の意味としては、自分の場合、絵具と筆と画布のピュアな戯れ、みたいな意味で純度の高い「画家」ではないと思うからなんです。じゃあ何が混ざってるんだ、というときに、コンセプトというか、わかりやすく言えば「ネタ」なんだろうなと。絵画は、自分が一番表現しやすいメディアではありますが、必要なら「これはSFX大作映画とかにしたほうがいいのかな」とかもあり得ると思います。

会田誠『犬(雪月花のうち“月”)』1996年 岩顔料、アクリル絵具、和紙、パネル 100×90 cm 高橋コレクション蔵、東京 Courtesy: Mizuma Art Gallery
会田誠『犬(雪月花のうち“月”)』1996年 岩顔料、アクリル絵具、和紙、パネル 100×90 cm 高橋コレクション蔵、東京 Courtesy: Mizuma Art Gallery

―会田さんの作品で、過激だったり、人によっては見たくないものだったり、そういう物議を醸しそうな要素が多いのは、実は作品を観る側とのコミュニケーションを求めてのことでもあるのでしょうか?

会田:自分の作品に対して、何かわかりやすい反応がほしいというのは確かにあります。ただ、作品に個人的なメッセージを直接持ち込んでいるわけでもないんです。たとえば大震災後にいろんな人がツイートした原発や放射能関連の発言を並べた『モニュメント・フォー・ナッシングIV』も、何か自分の主張を出したかったのではなく、実際にあのときの分裂状態に感じた驚きを、そのまま形にしてみたものです。

会田誠『モニュメント・フォー・ナッシング IV』(部分)2012年 アクリル絵具、紙、合板、木ネジ 570 × 750 cm『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 Courtesy: Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉修 写真提供:森美術館
会田誠『モニュメント・フォー・ナッシング IV』(部分)
2012年 アクリル絵具、紙、合板、木ネジ 570 × 750 cm
『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 Courtesy: Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉修 写真提供:森美術館

―個展会場では、あの作品を見つめるように巨大彫刻『考えない人』が座しているのも印象的でした。今回の個展では隣り合う作品同士による新しい意味合いや屈折みたいなものも、興味深いところではないかと思います。

会田:好き嫌いは別として、なんだかんだ自分の作品はわかりやすいほうだとも思っています。今回の個展全体も、六本木ヒルズに観光にきたおばちゃんや、クリスマスでやってきたカップルがわけもわからず入ってきたらどう思われるかわかりませんが(笑)。不道徳な部分もあるかもしれませんが、全体的には割にアミューズメントというか、現代美術の入口としてはいいものとも思うので。

『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 2012/11/17-2013/3/31 撮影:渡邉修 Courtesy: Mizuma Art Gallery 写真提供:森美術館(手前:『考えない人』、奥:『モニュメント・フォー・ナッシング IV』)
『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 2012/11/17-2013/3/31 撮影:渡邉修 Courtesy: Mizuma Art Gallery 写真提供:森美術館(手前:『考えない人』、奥:『モニュメント・フォー・ナッシング IV』)

―僕は地方から東京に出てきて、「現代美術にふれてみよう」と初めて「NADiff」(アートショップ)に出かけた先で、最初に開いた本が『ミュータント花子』で。「東京は恐い所だ」と思いました(笑)。でも確かに会田さんの作品には、まず「何だこれ!?」と引きつけられて、そこから「これって一体どういうなのか?」と考えることのできるものが多いですね。今回の個展では作品に添えた解説もご本人の言葉で、そこにもヒントがありそうです。

会田:ま、僕の作品を入り口にもっと複雑なことをやってる作家さんたちのファンになってくれて、共存共栄というか現代美術シーンの活性化の一助になれればと……。今回の出展作品でいえば『?鬼』(「みんなといっしょ」シリーズ)みたいに、ぱっと見では僕自身さえどう捉えていいかわからないような、そういう作品のほうがホントは芸術の高度な方向かと思ったりもするんです。そこは反省点でもあるのですが、でもああいうのはまだ、描こうと思っても毎回は描けないですね。

作家はお金のこともちゃんと考えるべしという意見もわかるし、ま、実際は僕も薄暗い開かずの間みたいなところで色々考えてますけれど(笑)。

―ここからは、会田さんにとっての「アート」について伺えたらと思います。これまで美術館での個展がなかったのは、「取扱い注意作家」と言われた作風も一因かと思いますが、とはいえコマーシャルギャラリーに所属し、富裕層といわれる人々や美術館に作品を販売して活動されているという現状は、ある意味、現代のアーティスト活動の王道ともいえます。ご本人としてはそうした仕組みと共に生きることをどう感じていますか?

会田:そうですねぇ。まぁ……お酒、じゃなかった(笑)、お金のことはあんまり考えない作戦にしてるんです。いつも僕の脳内に幻の「お客さん」みたいなのがいて、バイトで食いつないでいた無名時代には、それがせいぜい10人だったのが、やがて千や万単位になっても、やっぱりただその「お客さん」に向けて作品を作るだけというか。綺麗ごとかもしれませんが、仮に絵が1億円で売れようと、『ミュータント花子』が手売で一部500円だろうと、作るという点では同じというか。作家はお金のこともちゃんと考えるべしという意見もわかるし、ま、実際は僕も薄暗い開かずの間みたいなところで色々考えてますけれど(笑)。ただ僕の場合、金と創作を結びつけて考えるとロクなことがなかったのも事実だから、できるだけそうしないでいようかなと。

会田誠『滝の絵』 2007-10年 アクリル絵具、キャンバス 439×272 cm 国立国際美術館蔵、大阪 Courtesy:Mizuma Art Gallery
会田誠『滝の絵』 2007-10年 アクリル絵具、キャンバス 439×272 cm 国立国際美術館蔵、大阪 Courtesy:Mizuma Art Gallery

―作品を売ることで生計が立つようになる、その前後での気持ち的な変化はあまりなかった?

会田:ときにサブカルチャー的なイメージとかを使いつつ、できあがった作品は結構高い値段で売るっていうことには、確かに矛盾も感じるんですけど……。ただ僕は割と寡作なこともあって……つまり怠け者ってことですけど(頭をポリポリ)、トータルの年収はそんなに多くなくて、贅沢してるわけでもないと思うんです。なので、そのへんで罪悪感を免れているというか、ごまかして生きてます(苦笑)。だからもしサブカルの人たちが「けしからん」と言ってきたら、やっぱり「ごめんなさい」と言うしかないですね。

―「もっとお金があれば、こんな作品が実現できるのに……」みたいなことはないですか?

会田:ないですねぇ。いつもそこにある条件の中でやってきましたから。チャレンジングな人は若いうちから借金して、ハイリスクハイリターンを狙うのでしょうが、僕はキャンバス買うお金がないから襖に絵を描こうかなってタイプでしたし。それでこんなにノロノロしているのかもしれませんけどね。

会田誠

美術とはある意味時代遅れで、滅びゆく文化なのかもしれないと感じています。でも、生きた化石みたいなものであるがゆえに、利用できる何かがあるんじゃないかとも思ってて。

―「(現代美術家になったのは)単なる巡り合わせのようなもの」「クライアント相手の仕事とかは、きっと胃が痛くなる」というお話も以前ありましたね。

会田:美術が依頼仕事と違っていいところは、作品がスベッても成功しても、売れても売れなくても自己責任というか、それにかなり近い自由な状態も選べるということでしょうか。ギャラリーとは運命共同体的なところもありますが、いまのところは僕一人が責任負えるくらいの規模かなとも思いますし。でも今回の森美術館はそうでもないのかな……(笑)。

―今回のような大規模個展を開催したことで、現代美術界のステージを上がりつつある、みたいな感覚はあります?

会田:個展自体にはやる気で臨みましたけど、ステージとかそういう感覚はあまりないです。前からよく言っていますが、美術というのは形態的にも産業的にも古臭いもの。18、19世紀みたいな雰囲気を残して一部のパトロン的金持ちが芸術家を支える構造とかも、ある意味時代遅れで、滅びゆく文化なのかもしれないと感じています。でも、そういう生きた化石みたいなものであるがゆえに、利用できる何かがあるんじゃないかとも思ってて。

―パトロンに関連して言えば、今回、富豪がポーンと大金を提供するような形と対照的に、クラウドファンディング的に不特定多数のサポーターから小口で資金を募る「平成勧進プロジェクト」の試みもありましたね。

会田:あれは美術館側が中心に進めてくれたアイデアで、実際は大口スポンサーが付かなかったゆえの苦肉の策という一面もあるのかと。でもまぁ今後も可能なら、こういう形があってもいいとは思いますね。お客さんから大金ではない額を頂いて、映画やCDみたいに作り手に還元されるなら、こんなにいいことはないんでしょうけれど。ただ、色々難しい点もあるでしょうね。

―今回は個展に合わせて取材も色々受けていらして、村上隆さんとの初対談もありましたね(『美術手帖』2013年1月号)。そこで村上さんはお二人の違いを、会田=「現代美術」、村上=「コンテンポラリーアート」とまとめていました。いわゆる「国際仕様」のアートに準拠して闘うかどうか、という風にも読めましたが、会田さんの側の実感はどうなのでしょう?

会田:そうですね……。僕は非常にあいまいな立場のままやっているのですが、あわよくば、西洋中心のアートのほうが、外部からの影響で変わることもあり得るだろうとは思っています。もちろん僕の力ひとつでなんてあり得ないし、僕が生きているうちに実現するかもわかりませんが、自分がその一部となる可能性も含めて。美術って概念も17世紀から色々変化してきたわけですし、完全に固定されたものではないので、今後もそれは起こり得ると思うんですね。村上さんのおっしゃる、「コンテンポラリーアート」の世界では僕は劣等生、もしくは部外者かもしれません。だからといって、こちらがククッとあちらに合わせていくというより……村上さんの作戦はそれだと思いますが、彼のような人が既にいるという点でも、僕はそんなにあちらに合わせたりせず、かといって喧嘩腰というわけでもなく、あまり変わらずこのままやっていけたらと考えています。

「アートとエンターテインメントは違う」と言い放ったあの人に、「あのときはああ言ってたけど、私はもう過去の人間だわ」と、いつか言わせてみたい(笑)。

―かつて母校・東京藝術大学の老教授に「入る大学を間違えたね」と言われ、「オマエの100倍は真剣に毎日『日本にとって美術とは何か』ってことを考えてんだよ!」と心中で憤慨したエピソードもありますね。その会田さんも今は学生たちを教える場に立つことも増えています。個展の最後に登場する共同制作『モニュメント・フォー・ナッシングII』も、2008年から美大を主な舞台にして進められてきたものだとか。美術教育という面では、今の日本の状況をどう思いますか?

会田:基本的には、誰かが悪いというよりは、現代美術を教育するということ自体が難しいことなんじゃないですかね。親方から弟子にそのまま技術を伝える、みたいな世界でもないですし。僕の美大生時代は、担任だった榎倉康二先生を反面教師として学んだというのがあります(笑)。あと大学院では「油画技法材料研究室」というマニアックな専攻を選んだので、その手の知識はある程度役立ってますが、そこまで大きいものとは言いにくいですね。だから美大は……何にもないよりも、あったほうが何かしら学生の役に立つこともあるかも、くらいの存在でいいんじゃないでしょうか。美大を通過せずやっていく人たちも沢山いますし。

会田誠+21st Century Cardboard Guild『モニュメント・フォー・ナッシング II』2008年− ダンボール、その他 サイズ未定 Courtesy: Mizuma Art Gallery
会田誠+21st Century Cardboard Guild『モニュメント・フォー・ナッシング II』
2008年− ダンボール、その他 サイズ未定 Courtesy: Mizuma Art Gallery

―いっぽう、大学ではない専門校の「美学校」で会田さんが受け持ったクラスからは、Chim↑Pomや遠藤一郎さんなどが輩出されていますね。

会田:彼らにしても、僕が色々教えたという感じではないですから。強いて言うなら酒の席での話とかを通して、「他山の石」というか、何かしら感じたことはあるのかなと思います。

―たとえば作品の売買がなされるマーケットの規模など、日本の現代美術シーンはアーティストが生きて行く上では色々と厳しい状況にあるとの意見もあると思うのですが?

会田:もちろん、土壌が貧しいゆえにダメになる、という可能性もあるでしょうね。でも理想というか希望としては、養分の少ない荒れ地に育った雑草が強い生命力を持つ、みたいなことも一か八か起きてくれたらいいな、とは思います(笑)。例えるなら、THE BEATLESの歴史が「4人が育ったリバプールは大不況下で造船業がポシャって、みんなヤサグレてる中で……」みたいな感じで始まるように。

―ご自身の今後の展望はありますか? たとえば、森美術館は海外からの来場者も多いそうです。会田さんの脳内の「お客さん」の中にも海外の観衆は含まれるんでしょうか。

会田:海外の人たちが自分の作品をどう見るのかな、というのはいつもどこかで考えています。間違っているかもしれないけど……今の時代、一般の人々レベルでは、欧米やアジアも関係なく、実は色々な面で近づいてきているのではと感じます。これは良くも悪くもですが、感性の面とかでもそうだし、みんな同じマックやスタバを飲み食いしてる、みたいな面でも。むしろ、美術史とかに詳しい頭の良い美術関係者のほうが、僕のことを受け付けないのかもなと。

会田誠

―そこは、できれば、あちら側に合わせることなく認めさせたい?

会田:う〜ん、そのあたりを少しずつでも切り崩していくのは、多少野心が燃えないこともないです。具体的に顔が浮かぶ人も何人かいるんですけどね。ニューヨークで滞在制作していた頃、僕の作品を見て「アートとエンターテインメントは違うのよ」と言い放ったヨーロッパ出身の女性キュレーターがいて……もう名前忘れたけど、ああいう人に「あのときはああ言ってたけど、私はもう過去の人間だわ」とか、いつか言わせたい気持ちはちょっとありますね(笑)。

イベント情報
『会田誠展:天才でごめんなさい』

2012年11月17日(土)〜2013年3月31日(日)
会場:東京都 六本木 森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
時間:10:00〜22:00(入館は閉館時間の30分前まで、火曜は17:00まで、1月1日は22:00まで)
料金:一般1,500円 学生(高校・大学生)1,000円 子供(4歳から中学生)500円
※会期中無休

プロフィール
会田誠

美術家。1965年新潟県生まれ。1991年東京藝術大学大学院美術研究科修了。美少女、戦争、サラリーマンなど、社会や歴史、現代と近代以前、西洋と東洋の境界を自由に往来し、奇想天外な対比や痛烈な批評性を提示する作風で、幅広い世代から圧倒的な支持を得ている。主な展覧会に『六本木クロッシング:日本美術の新しい展望2004』(森美術館、2004年)、『ビリーフ』(シンガポールビエンナーレ、2006年)、『バイバイキティ!!! 天国と地獄の狭間で―日本現代アートの今―』(ジャパン・ソサエティ、ニューヨーク、2011年)、『ベスト・タイム、ワースト・タイム 現代美術の終末と再生』(第1回キエフ国際現代美術ビエンナーレ、ウクライナ、2012年)など。また小説やマンガの執筆など活動は多岐にわたる。



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