奥山大史監督って?インディーズ映画でシネコン上映の快挙

「死後の世界は、どうなるのか?」という問いを、誰もが一度は思い浮かべたことがあるだろう。そんな大きなテーマを突きつけるのは映画『僕はイエス様が嫌い』の監督、奥山大史。

ミッション系の小学校に転入してきた主人公のユラは同級生のカズマと交流し、新しい生活にゆっくりと馴染んでいく。そのかたわらには、小さくて寡黙な「イエス様」の存在があった。人びとの暮らしを覗き見しているかのようにリアルで美しい映像と、独特の存在感のイエス様との調和は、懐かしさや切なさ、ときにシュールな笑いをもたらしながら、物語はカタルシスを迎える。

そうした本作は、学生時代の奥山が作ったインディペンデント映画でありながら、海外の映画祭で高い評価を受け、国内でも異例のTOHOシネマズ 日比谷で5月31日より上映されることになった。国内外から注目を集める奥山監督が作品に込めた自身の記憶、そして彼の死生観について語ってもらった。

神様って、数多くある概念のうちのひとつなのかな。

―『僕はイエス様が嫌い』というタイトルが示すとおり、この映画は「信仰」をひとつの大きなテーマとして扱っています。普段はなかなかメディアで語られない領域だからこそ、まずは奥山監督自身の宗教観について教えてください。

奥山:海外の映画祭でも「結局あなたは神様を信じているんですか?」と聞かれることが何度もありましたが、毎回「信じています」と答えてきました。僕自身が幼稚園から大学までミッション系のスクールに通い続けたので、それが大きく影響していますね。キリスト教の洗礼を受けている信者ではありませんし、狭い意味での宗教を深く信仰しているわけではないけれど、自分たちの常識を超越するなにかがあるとは思ってるんです。

ただ、映画にそういう感覚をストレートに投影したというわけではなく、多くの人がさまざまな形で神様をなんとなく信じているけれど、「それって本当はなんだっけ?」と考えるきっかけになったらいいな、と思って作りました。

奥山大史(おくやま ひろし)
1996年東京生まれ。初監督長編映画『僕はイエス様が嫌い』が、第66回サンセバスチャン国際映画祭の最優秀新人監督賞を史上最年少で受賞。学生時代に監督した短編映画『Tokyo 2001/10/21 22:32~22:41』(主演:大竹しのぶ)は、第23回釜山国際映画祭に正式出品された。

―自分のことを仏教徒と自覚していなくても、お葬式では仏教徒的な慣習を行ったりもしますよね。

奥山:そうですね。宗教とか神様とかって、数多くある概念や哲学のうちのひとつなのかな、と。

僕は実際にキリスト教のスクールモットーに影響を受けながら小学校に通い続けていたのですが、とある出来事があって、「神様って本当にいるのかな?」と考えるようになりましたね。

―どういった出来事があったのでしょうか?

奥山:小学校5年生の頃、仲のよかった友達が亡くなってしまったんです。それは本当に悲しかったし、いろいろなことを考えざるをえなかった。

―そのとき考えたことについて、話せる範囲で教えていただけますか?

奥山:それまで、身近な人が亡くなるという経験がなかったんです。おじいちゃんもおばあちゃんも元気だったからこそ、人が死んでしまうということがすごく衝撃的で。なのに、友達がいなくなって1か月、2か月と経てば日常が戻ってくるんですよ。

出来事が起きた直後はみんなナーバスになって、たとえば小学生が気軽に使う「死ね」っていう言葉を口にしなくなったんです。けれどそれは一時的なもので、時間が経つとすぐに戻りました。そのとき、「自分が死んだあとの世界はどうなるんだろう?」っていうのをずっと考えていました。

―それから、「死」というものについて考えるようになったんですね。

奥山:死後の世界にすごく興味を持って、よく調べていました。宗教や宗派によって「死後の世界のあり方」が大きく異なるんです。天国と地獄だけじゃなくて、「無になる」という考え方もある。大学生になって、改めてこの映画を作ろうと思ったときに、信仰を題材として扱うからには死後の世界というものに対する自分なりの捉え方を改めて明確にしておきたい、と思いましたね。そういった問いかけを映画の中に込めています。

「神様はいない」と思う人は、「神様が嫌い」だと思わない。

―幼い頃、奥山さんはどんな子どもだったんですか?

奥山:「カートゥーン ネットワーク」というアニメチャンネルにハマっていました。『ピンクパンサー』(1969年初放送)とか『トムとジェリー』(1940年初放送)とか『エド エッド エディ』(1999年初放送)とか。取り憑かれたように毎日見ていて、親が心配してましたね。幼稚園ぐらいから友達と遊ぶよりもそれを見るほうを選んでいて。考えてみると、映画にもカートゥーン ネットワークの影響があるなって思います。

―それはどういう部分でしょう?

奥山:作中のイエス様は、1回も喋らずにちょっとシュールな笑いをとってたりするんです。それって、まさにカートゥーン ネットワークで放送されるアニメの話法なんです。そもそもイエス様っていうあんまりいじっちゃいけないものをいじっているかのように見せるのもそうですね。タブーをちょっとだけいじるというか。

『エド エッド エディ』は、日本ではあまり知られてないんですけれど、すごい人気番組で、顔を描いた板きれをずっと持っているジョニーって男の子がいるんですけど、板に向かって、「おい、板っきれ!」って話しかけるんです。ユラとイエス様の関係も、そういうところから来てるのかもしれません。もともと意図していたわけではないんですけどね、あとから思い当たったんです。

―海外の映画祭でも多数受賞されていますが、どのように受け止められましたか?

奥山:『サン・セバスティアン国際映画祭』『ストックホルム国際映画祭』『マカオ国際映画祭』『ダブリン国際映画祭』。この映画で4つの映画祭を旅しましたが、国ごとに全く異なる反響がありました。『サン・セバスティアン国際映画祭』では日本語がわかる人がいて、「これって英題は『JESUS』だけど、もともと『I hate Jesus』ってタイトルじゃないの?」っていわれて、ちょっとドキッとしたんです。

でもその人は続けて「神様はいないって思う人は神様のことを嫌いだと思わないもんね。だから、嫌いになれるっていうのは、それぐらい存在を信じているってことだよね。英題もそのままでいいのに」っていってくれて、自分でも「I hate」がつくと過激すぎるだろうかと悩んでいた部分だったので、映画を観た方から、そういう意見が出たことはすごくうれしかったです。

ストックホルムでは日本の雪の映し方とか、子どもの成長とか、そういったことに興味を持ってくれて、最終的にストーリーではなく撮影に関する評価を頂いたので、うれしかったですね。この映画は基本的にワンシーン・ワンカットで撮ってるんです。その手法は、ストックホルム出身のロイ・アンダーソン監督(代表作に『さよなら、人類』がある)に影響を受けているんですけど、その人のスタジオでご本人に会えたんですよ。それがすごく幸せな時間で、一番の感動でしたね。

―どんな話をしたのでしょう?

奥山:ロイ・アンダーソン監督は写真や絵画からの影響を受けていて、彼の好きなエドワード・ホッパーという画家の画集を見ながら一緒に話しました。この絵は、あのカットと構図が似ているな、という発見もあって。彼は唯一無二のオリジナルだと思っていたんですけど、実は様々なものからインスピレーションを受けて、それを自分の表現としてひとつにまとめているということがよくわかりました。

―そういった出会いの中で、インスピレーションを得たと思うのですが、今後海外を意識していく、ということはありますか?

奥山:本作に関しては海外の映画祭で受賞したことがきっかけでいろんな人に観てもらえて、やっとスタートが切れたという感じです。学生の卒業制作がTOHOシネマズでロードショーされることは、なかなかありません。それが実現できた背景には、やはり海外映画祭での評価が大きかったように思います。もちろん受賞がゴールではないですが、作品を遠くまで届けるためのジャンプ台として、これからも出品していきたいと思います。

「誰もが共感しそうなこと」よりも「こんなこと感じるのって自分だけかも」と思ってしまうことのほうが、なぜか共感が集まりやすいんです。

―インタビューをしていて感じるんですけど、奥山さんって落ち着いていますよね。感情的になったりすることはありますか?

奥山:感情……常にこの感じですね。「うれしい!」とか「悲しい!」みたいに強く揺さぶられることはあんまりないんですよ。感情に起伏がないのかもしれません。

―お話を聞いていてもそんな印象があります。

奥山:すごく怒ったり、大泣きしたりとかって、小さい頃からあんまりないんですよね。この映画のオーディションでも、感情を素直に表に出さない、自分に似た子を選ぼうと思っていました。

本音と建前がなくてなんでもいえちゃう人より、感情がふとしたときに出てきてしまうような人を主人公にしたいんです。日本人って、忖度とか建前が多くて、それはいいこととは限らないけど、そういうことも含めて映画にしたいと思っているんです。

『僕はイエス様が嫌い』スチール

―この映画って、感情の繊細な部分に強く訴えかけてきますよね。でも、奥山さん自身はすごく落ち着いている。それがどうしてなのか知りたくて。

奥山:僕は小さい頃の記憶が、不思議としっかり残ってるんです。「あのとき、こう思ったな」とか、「なんとなく、こう感じたな」とか。決してわかりやすい気持ちではないんですけど、些細で具体的なことをしつこいくらい覚えてるんですよね。

―物語を描く人は、感情や記憶を自分の引き出しの中に収納しておいて、それを適切に取り出して使う、というような話を聞いたことがあります。

奥山:そういうところはあるかもしれません。映画を作るときは「自分だけかな」って思うような感情の動きを、あえて入れ込むようにしてますね。「誰もが共感しそうなこと」よりも「こんなこと感じるのって自分だけかも」って思うことを入れるほうが、なぜか共感が集まりやすいんです。

たとえば初めて誰かを好きになってドキドキする感覚のように、わかりやすく共感されやすいことってあるじゃないですか。そういう「誰にでも理解できる感情」はなるべく映画に出さないようにしています。この映画にも恋愛の要素を加えることはできたんですけど、そうすると少年たちに対して「性の目覚め」みたいなものを求められちゃう気がして、どうしても既視感のあるものになってしまう。

『僕はイエス様が嫌い』スチール

―2人の美しさとか関係性の繊細さは、まさにこの映画にしかない新鮮さだと思います。ユラくんには、奥山さん自身の姿を投影しているのでしょうか?

奥山:そうですね。自分がユラくんぐらいの年齢のときに抱えてた「神様」や「信仰」に関する違和感や感情は、大学生になっても解決してなかったので、映画に撮りたいと思ったんです。脚本を書いて、そのときのことを思い出すために母校に行って、先生と話して……。映画が完成して、見てくれた方々と話して。そういうことを繰り返す中で、自分の中でなにかが整理された気がしています。

―忘れるのって、寂しいけれど救いでもあるんですよね。人が生きていく上で大切なこと。だから、覚えているということの苦しさもあると思います。

奥山:そうですね。本当に自分勝手な話ですけれど、小学生のときの友達にちゃんと別れを告げるために、必要な作業だったのかもしれません。きっと、この映画を作ることが、自分の人生を前に進めてくれたんです。

作品情報
『僕はイエス様が嫌い』

2019年5月31日(金)からTOHO シネマズ日比谷で公開
監督・脚本:奥山大史
出演:
佐藤結良
大熊理樹
チャド・マレーン
佐伯日菜子
北山雅康
上映時間:76分
配給:ショウゲート

プロフィール
奥山大史 (おくやま ひろし)

1996年東京生まれ。初監督長編映画「僕はイエス様が嫌い」が、第66回サン・セバスティアン国際映画祭の最優秀新人監督賞を史上最年少で受賞。学生時代に監督した短編映画「Tokyo 2001/10/21 22:32~22:41」(主演:大竹しのぶ)は、第23回釜山国際映画祭に正式出品された。



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