「渋谷系」とはなんだったのか? 野宮真貴×Boseが語り合う

数年前から続いている「1990年代ブーム」にともなって、目下のところ何度目かの「渋谷系再評価」が進み、その動きは今や世界的に広がっている。北欧のクラブでは毎晩シティポップのレコードがスピンされ、細野晴臣のニューヨーク公演は大成功を収めた。マック・デマルコやデヴェンドラ・バンハートらが、その細野をフェイバリットアーティストに挙げたかと思えば、タイラー・ザ・クリエイターが新作の中で、山下達郎の“FRAGILE”をサンプリングして話題となったのも記憶に新しい。

折しも今秋、渋谷カルチャーを象徴する「渋谷パルコ」がリニューアルオープンする。パルコといえば、ピチカート・ファイヴがグランバザールやP'PARCOのCMに出演したり、スチャダラパーがP'PARCOのオープン記念に小沢健二と“今夜はブギー・バック”のライブを行なったりと、渋谷系とは浅からぬ仲と言えよう。

そこで今回CINRA.NETでは、野宮真貴とスチャダラパーのBoseという、渋谷系の当事者同士による対談を敢行。古今東西の音楽を等価で並べ、新しい解釈で構築し直す「サンプリングミュージック的手法」を、日本で初めて意識的にやり始めた「渋谷系」というムーブメントが今、再び注目を集めている理由について、一緒に考えてもらった。

当時、自分から「渋谷系です」と名乗るのはダサいイメージがあった。(Bose)

―そもそも「渋谷系」とはなんだったのか?というところを、当事者のお2人にお話しいただけたらと思うのですが。

Bose:ライターさん的にはどんな感じなんですか、渋谷系って。

―僕はBoseさんと同い年なので、まさにリアルタイムで渋谷系を浴びてきました。HMV渋谷店に足繁く通い、太田店長(太田浩。カリスマバイヤーと呼ばれたうちの1人)セレクトの売り場に思い切り影響を受けたリスニング体験をしてきています。

Bose:なるほど、渋谷系を謳歌していたのですね(笑)。確かに僕らも「渋谷系」って呼ばれてましたよ。“今夜はブギー・バック”を出した頃(1994年)ですよね。どこからどこまでが渋谷系なのかはよく分からなかったですけど。

左から野宮真貴、Bose

Bose:ただ、僕が思うのは、渋谷系とは信藤三雄さん(アートディレクター、フォトグラファー。これまで1000枚以上のCDジャケットのデザインを手がける)がデザインしていたCDのことなんじゃないかなと。僕らは違うけど(笑)。

野宮:そうそう。それも要素として大きかった。

Bose:その中でもフリッパーズ・ギターの存在がでかくて、それに付随したものとして僕らもなぜかいた。TOKYO No.1 SOUL SETや、挙げ句の果てにはキミドリも渋谷系に入ってて。え、キミドリも? ってびっくりした記憶がある。

―暴力温泉芸者やEL-MALOも渋谷系って言われていましたからね。

Bose:そうなんですよね。やっぱり信藤さんのデザインと、太田さんの品揃えにみんな惑わされたってことですよ。

―以前、野宮さんも、「渋谷系とは、実は信藤三雄さんが手がけたアーティストのことを言うのではないか」とおっしゃっていましたよね。

野宮:そう。なぜなら、音楽性はそれぞれ違っていて、共通点といえば「信藤さんが手がけたアートワークの作品」ということくらいだったんですよね。もちろん、全ての作品が信藤さんデザインというわけではなかったけれど。

「HMV渋谷の太田店長を中心としたムーブメント」という側面も確かにありました。太田さんがセレクトした売り場には、いわゆる「渋谷系」と呼ばれるアーティストの作品と一緒に、彼らが影響を受けたとされる過去の作品も並べられていたんですよね。ちょうどあの頃、CDの端境期ということもあって、再発ブームが訪れていたのも大きいかもしれないです。

野宮真貴(のみや まき)
「ピチカート・ファイヴ」3代目ボーカリストとして、1990年代に一斉を風靡した「渋谷系」ムーブメントを国内外で巻き起こし、音楽・ファッションアイコンとなる。2016年より「野宮真貴、渋谷系を歌う。」というコンセプトでアルバムリリースやライブを積極的に行う。2019年はデビュー38周年を迎え、音楽活動に加え、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイストなど多方面で活躍中。

―確かに。ルーツを遡って聴いてみたり、プロデューサーやセッションプレイヤーなど横のつながりをチェックしてみたりっていう音楽の楽しみ方は、あの売り場で学んだと言っても過言ではないかもしれません。

野宮:ただ、呼ばれていた当人たちは別に「渋谷系」を名乗っていたわけでもないんですよね。私も今はもう、自分から言っちゃってますけど(笑)。

Bose:今言うとウケますからね(笑)。ただ、少なくとも当時、自分から「渋谷系です」と名乗るのはダサいイメージがあったと思う。

Bose(ぼーず)<br>ラップグループ、スチャダラパーのMC担当。1990年にデビューし、1994年“今夜はブギー・バック”が話題となる。以来ヒップホップ最前線で、フレッシュな名曲を日夜作りつづけている。2017年に“ミクロボーイとマクロガール/スチャダラパーとEGO-WRAPPIN'”、“サマージャム2020”の2曲を発売。2018年4月にライブ会場限定CD『スチャダラパー・シングス』を発売した。
Bose(ぼーず)
ラップグループ、スチャダラパーのMC担当。1990年にデビューし、1994年“今夜はブギー・バック”が話題となる。以来ヒップホップ最前線で、フレッシュな名曲を日夜作りつづけている。2017年に“ミクロボーイとマクロガール/スチャダラパーとEGO-WRAPPIN'”、“サマージャム2020”の2曲を発売。2018年4月にライブ会場限定CD『スチャダラパー・シングス』を発売した。

「そうじゃないもの」っていうアプローチで戦う意識はあった。(Bose)

―個人的な「渋谷系」の定義を言わせていただくと、「古今東西の音楽を等価で並べ、新しい解釈で構築し直す『サンプリングミュージック的手法』を、日本で初めて意識的にやり始めた人たち」だと思っているんです。

Bose:そうかもしれないですね。ちょうど1980年代の終わり頃からDJが台頭してきて。「サンプリング」という概念が登場したことで、音楽の作り方は大きく変わりました。そのちょっと前の「バンドブーム」とは明らかに違う作り方というか。そもそも僕らは楽器をいじれないし。

―それを逆手に取って、いわゆる旧態依然としたバンドには出来ないカウンター的な音楽の作り方を、スチャダラパーもピチカート・ファイヴもしている印象でした。

Bose:「そうじゃないもの」っていうアプローチで戦う意識はありましたね。とはいえ、「レコーディング」と称してスタジオでレコードを聴いているだけだったりしたけど(笑)。

野宮:そう! 今じゃ考えられないね。スタジオに集まって、レコードを聴いてからなにを作るか考える、みたいな。小西(康陽)くんはスタジオに大量のレコードを持ち込んで、ゴダール(ジャン=リュック・ゴダール。フランス、スイスの映画監督)の映画を流しながらレコーディングしていました。

Bose:なんなら、そこで流れてきた映画のセリフから一部をサンプリングして、その場で取り込んじゃうみたいなね。

―当時はとにかく、リスナーもミュージシャンも、どれだけレコードを買っているかを競っていましたよね。

Bose:レコードに関する武勇伝は当時色々あったなあ。小沢(健二)くんとレコ屋へ行くと、レア盤に3,800円までは出すんだな、とか。小西さんが、お店の棚のここからここまで買っていったとか。

野宮:あははは!

Bose:テイ(・トウワ)さんは、中身も見ずに箱買いしていったらしいとかね。そこまでいくと都市伝説ですけど(笑)。

―野宮さんは渋谷で遊んだりしていましたか?

野宮:事務所が渋谷にあって、そこへ通うくらいだったかな。パルコにもよく買い物へ行ってましたね。パート3には小さいけど面白いお店が結構たくさん入っていて。ちょっと派手なお洋服を、衣装に使ったりもしていたし。パルコブックセンターにも、おしゃれなアートの洋書がたくさん置いてあって、それを眺めるのも楽しみの一つでした。

―映画館も面白いところがたくさんありましたよね。

Bose:今はWWWになった「シネマライズ」で、おしゃれな映画を観ていましたね。『ブルーベルベット』(1986年、デヴィッド・リンチ監督)もあそこで観たんじゃなかったかな。

あの頃は実家暮らしのミュージシャンが多かった気がする。(Bose)

―「渋谷系」という言葉が使われだしたのが1993年らしく、ちょうどその年にピチカート・ファイヴは“東京は夜の七時”を、スチャダラパーは翌年に“今夜はブギー・バック”をリリースしているんですよね。当時のことで、なにか覚えていることはありますか?

Bose:最初、小沢くんがフリッパーズ・ギターを解散してすぐくらいに、ANIとSHINCO兄弟の家に遊びにきて。「どうやってサンプリングしてんの?」みたいなことを尋ねてきたので「最近、このAKAIのサンプラー買ったんだけど」みたいな話をしたら、「じゃあ僕も同じの買おう」って(笑)。

そんなところから始まった気がしますね。一緒に曲を作ろうという話になったのは、それこそパルコのイベントに一緒に出たのがきっかけじゃなかったかな。

―当時は曲作りもコタツの中で、ミカンとノートを用意してやっていたとか(笑)。

Bose:そうそう、ANIたちの実家でやっていましたからね。家族が全員寝静まった後に、夜中歌詞を書いたり曲を作ったりしてたから、すげえ小さい音でやんなきゃいけなかった(笑)。当時、小沢くんちも近かったから、お互いの家によく遊びに行ってました。思えば、あの頃は実家暮らしのミュージシャンが多かった気がするな。

(パルコは)どこか、渋谷系のアティチュードと似ている部分がある気がする。(野宮)

―“東京は夜の七時”はどのようにして生まれたのですか?

野宮:当時、『ウゴウゴルーガ』という朝のシュールな子ども番組があって。その夜番組として『ウゴウゴルーガ2号』が始まったときに、テーマソングとして書かせてもらったのがこの曲なんです。番組が夜の7時からの放送だったから、“東京は夜の七時”というタイトルにしたの。

2018年には、ピチカート・ファイヴ解散後初めて小西康陽とタッグを組み、“東京は夜の七時”をカバーした

野宮:当時はすごく無茶なことやってましたね(笑)。私が新宿の駅前で、小山田くんが大坂城の前で歌って。それを合成して生放送でお送りするという『かがやけ!ウゴウゴヤングかようさい』とか。司会がキダ・タローさんで!(笑)

Bose:そういうことも含めて「渋谷系」だったのかもしれないですね。僕らは特にお笑いが好きだったので、日本のクレイジーキャッツも好きだし、英国のモンティ・パイソン(20世紀を代表するコメディーグループの1つ。1969年から83年まで活動。2013年に一時再結成)も好きだし。そういうのを組み合わせたものがやりたいなって、漠然と思っていました。

スチャダラパー“スチャダラパーのテーマ PT.2”を聴く(Apple Musicはこちら)。曲中でハナ肇とクレージーキャッツ“無責任一代男”がサンプリングされている

―音楽だけじゃなくて、ファッションやアートも含めての現象というか。

野宮:そう。1990年代は、渋谷109を中心とした「ギャル文化」がメインストリームにあって。安室奈美恵ちゃんの厚底ブーツとかも流行り始めた頃だったけど、渋谷系はその対極でした。ファッションはフレンチカジュアルで、女の子たちはアニエスベーとか着ていて。

Bose:あれは雑誌『オリーブ』の影響だったのかな。

野宮:ピチカート・ファイヴの当時のビジュアルイメージは、60'sルックなんです。1960年代カルチャーの影響は、1990年代のファッションや音楽、映画にも及んでいました。そんななかパルコも、P'PARCOのCMに私たちを起用したり、そのオープン記念ではスチャダラパーが、“今夜はブギー・バック”を披露したり。

―ちょっとオルタナティヴな存在でしたよね、パルコって。

野宮:どこか、渋谷系のアティチュードと似ている部分がある気がしますね。過去のいいものと、新しいアートを紹介するような役割がパルコにもあったと思うから。似た者同士だからこそ、起用してくれたのかなって。

―当時の「気分」みたいなものは、どんなふうに記憶していますか?例えば“東京は夜の七時”を聴くと、ウキウキするような曲調なのに、<待ち合わせたレストランは / もうつぶれてなかった>というラインがあって。移り変わっていく東京の「無常観」が表れているなと思うんです。

Bose:実はすごいことを歌っているんですよね(笑)。

野宮:確かに「東京」を表していますよね。ただ、あの頃はバブルが弾けていたとはいえまだまだ余裕があって。アートワークに凝ったり、海外で撮影やレコーディングしに行ったり、自由にいろんなことをやらせてもらいましたね。

Bose:そうですよね。僕らみたいな変なCDがいっぱい出ていても大丈夫なくらい、まだ豊かな時代だった気がする。

様々な音楽への「入口」としても、渋谷系の果たした役割は大きかったのかもしれない。(Bose)

―最近は、若い人たちの間で「渋谷系」の再評価が進んでいます。そのことについては、どのような見解をお持ちでしょうか。

Bose:ほぼ20年周期で回っている感じはしますよね。1970年代にユーミンがやっていたことを、1990年代の僕らが影響受けて、そこから20年経って今の子たちがシティポップをやっているという。

あと、今は昔の音楽を分析しやすいんじゃないかな。「こんな機材を使って、こう演奏すれば、こういう音になる」みたいな情報が、ネットですぐ探せますからね。僕らの頃は、「どうやったらこんなサウンドになるんだろう?」と思っても、試行錯誤を繰り返すほかなかったから。

Bose:僕も講師を務めていた京都精華大学で、高野寛さんが授業を受け持っていたときに、渋谷系を全く通ってこなかった20歳くらいの生徒が作ったデモを聴いて「きっとこういうの、好きだと思うよ」と、フリッパーズ・ギターを聴かせたら、めっちゃハマったみたいで。渋谷系っぽい曲を作るバンドに変貌したらしいんですよ(笑)。その子たちにとって渋谷系は、ものすごく新鮮な音楽性だったんでしょうね。

野宮:そういえばGLIM SPANKYの(松尾)レミちゃんも、親御さんが渋谷系好きで、幼い頃から家で聴いていたんですって。ご自身の声質を活かすために、バンドでは1970年代ロックをベースにした音楽を選んでいるけど、元々は渋谷系周辺の音楽が大好きだと言ってました。

―音楽だけでなく、ファッションやアートを含めた表現というところにこだわっているという意味では、GLIM SPANKYも渋谷系のアティチュードを引き継いでいると言えるかもしれないですよね。

野宮:確かに。

Bose:そもそも渋谷系が様々なジャンルを含んでいるので、そこから本格的にソウルミュージックにハマる人もいれば、ソフトロックを極める人もいたりしますからね。そういう、様々な音楽への「入口」としても、渋谷系の果たした役割は大きかったのかもしれないですね。

私が1960年代に憧れたように、1990年代に私たちがやってきたことに憧れてくれたり「いいな」と思ってくれたりするのは嬉しいこと。(野宮)

―今の若い子たちがYouTubeなどで、古今東西の音楽を等価で並べて聴く感覚は、最初のほうで話した渋谷系の音楽の聴き方にかなり近いものがあります。

Bose:そうなんですよね。で、それをどうやって自分が作りたい音楽へ落とし込むのか、そこのセンスが優秀な人たちが渋谷系だったり、その流れを受け継ぐ今の若い子たちだったりするのかもしれない。いくらでも音楽は溢れているけど、なんでもいいわけではなくて、そこからどうチョイスするかという。

―その辺りのセンスって、お2人はどうやって培われてきたものだと思いますか?

Bose:それって言葉で説明するのはなかなか難しい(笑)。「どうしようもなくそれに惹かれてしまう」としか言いようがないし……フェチ?(笑)DJも、選曲の傾向が同じようでも実はちょっとずつ違っていて、そこが個性だったりもするし。野宮さんはどうですか?

野宮:私は好きなものが結構決まっていて、それが「1960年代のポップカルチャー」だったりするんですよね。音楽、映画、アート、ファッション、インテリアも含めて。

やっぱりあの時代のものって、今でも常に新しいというか、古くならない魅力があって。そういうものに影響され、新しい解釈を加えることがピチカート・ファイヴの1つのテーマだったと思うし、その「解釈の仕方」にセンスが現れるのかもしれないですね。

野宮:そうやって新たに作られた「渋谷系」と呼ばれるカルチャーが、今の若い人たちに受け入れられ、そこに彼らなりの解釈が加わって、また1つアップデートされたのかなって思います。私が1960年代に憧れたように、1990年代に私たちがやってきたことに憧れてくれたり「いいな」と思ってくれたりするのは嬉しいことだし、これからもそう思われる存在でいたいですね。

―北欧で日本のシティポップが流行っていたり、細野晴臣さんのニューヨーク公演が大成功を収めたり、マック・デマルコが細野さんの大ファンだったり、タイラー・ザ・クリエイターが山下達郎をサンプリングしたり。渋谷系と呼ばれる人たちのセレクト感覚やエディット感覚が、ここ最近は海外にも広がっているように思います。

Bose:達郎さんが世界レベルでもスタンダードだったというのは痛快ですよね。僕らがカッコいいと思っていたものが、彼らにとっては「今」だったんだなっていう。そういうズレも含めて面白い現象だなと思います。

タイラー・ザ・クリエイター“GONE, GONE / THANK YOU”を聴く(Apple Musicはこちら)。曲中で山下達郎“FRAGILE”がサンプリングされている

「東京が、世界で最もかっこよくなった時代」の象徴が、渋谷系だった。(野宮)

―さて、パルコの今年のコピーは「50年目の、新しいパルコ。」です。リニューアルオープンする渋谷パルコも含め、これからのパルコにどんなことを期待しますか?

野宮:渋谷はファッションやアートの発信場所で、その象徴となるのが公園通り沿いのパルコだと思うんです。「そこへ行けば、なにか面白いものに出会える場所」、そう思わせてくれたパルコがこれからどう生まれ変わるのか、とても楽しみですね。

今って、渋谷もファストファッションが主流じゃないですか。もちろん、トレンドのものが手軽に手に入るのは、それはそれで良いと思う。けれど、一方でトレンドとは関係なく本当にかっこいいもの、本当にいいもの、他では手に入らないものを、パルコが教えてくれるといいなって思います。

―今も昔も若者の街であり続ける渋谷で生まれた「渋谷系」とはなんだったのか、改めて最後にお聞かせいただけますか?

野宮:渋谷系が生まれる前の日本の音楽といえば、海外に憧れて模倣していたものが多かったのだけれど、1990年代になってようやくそれを消化して、自分たちなりの新しい音楽を生み出し、「日本が、東京が世界で一番かっこいい」って胸を張って言えるようになったと思うんです。

私自身、そう思いながらワールドツアーをやっていました。例えばニューヨークのバーニーズへ行くと、普通にピチカート・ファイヴが流れていたりしましたからね。

Bose:そうですよね。ファッションでも裏原宿カルチャーが生まれ、エイプ(A BATHING APE)も含め、僕らの友達が作ったブランドが一気に世界を席巻しましたから。

野宮:「東京が世界で最もかっこよくなった時代」の象徴が、渋谷系だったのだなと思います。

サイト情報
『パルコ50周年キャンぺーンサイト』

2019年1月1日からスタートしたパルコの50周年キャンペーン「50年目の、新しいパルコ。」の特設サイト。同サイトでは、インタビュー企画や謝恩企画など、随時情報が更新中。

プロフィール
野宮真貴 (のみや まき)

「ピチカート・ファイヴ」3代目ボーカリストとして、1990年代に一斉を風靡した「渋谷系」ムーブメントを国内外で巻き起こし、音楽・ファッションアイコンとなる。2016年より「野宮真貴、渋谷系を歌う。」というコンセプトでアルバムリリースやライブを積極的に行う。2010年に「AMPP認定メディカル・フィトテラピスト(植物療法士)」の資格を取得。2019年はデビュー38周年を迎え、音楽活動に加え、ファッションやヘルス&ビューティーのプロデュース、エッセイストなど多方面で活躍中。『野宮真貴 渋谷系ソングブック』(ユニバーサル ミュージック)、『赤い口紅があればいい」』幻冬舎)が好評発売中。

Bose (ぼーず)

ラップグループ、スチャダラパーのMC担当。1990年にデビューし、1994年“今夜はブギー・バック”が話題となる。以来ヒップホップ最前線で、フレッシュな名曲を日夜作りつづけている。2017年に“ミクロボーイとマクロガール/スチャダラパーとEGO-WRAPPIN'”、“サマージャム2020”の2曲を発売。2018年4月にライブ会場限定CD『スチャダラパー・シングス』を発売した。



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