横浜の街で育んだ感性を糧に アジカン後藤正文×GREENROOM代表

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、あらゆる音楽イベントが中止となり大きなダメージを受けた2020年。そこからいかに音楽文化を立て直していくのかを考えるにあたって、横浜という街の積み重ねてきた歴史は大きなヒントになるかもしれない。

ペリーの来航(1853年)を起点に港町として発展し、1859年の開港を機に、アメリカをはじめとする外来文化の影響を色濃く受けてきた横浜は、ブルース、レゲエ、ヒップホップなど、雑多な音楽ジャンルが共存しながら、独自の文化を形成してきた。ウイルスによって人々の距離が遠ざけられ、壁が生まれてしまった現代に対し、常にオープンで、混ざり合うことの力を示してきたのが、横浜という街なのだ(参考文献:有隣堂『横浜歴史と文化 開港150周年記念』)。

そこで今回横浜の音楽文化について語り合ってもらうべく、「横浜のバンド」というアイデンティティのもと活動を続けてきたASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文と、GREENROOM代表の釜萢直起による対談を行った。横浜アリーナで開催され、日本と海外のバンドを繋げたASIAN KUNG-FU GENERATION主催の『NANO-MUGEN FESTIVAL』も、大桟橋から赤レンガへと会場を移しながら、サーフカルチャーの魅力を発信し続ける『GREENROOM FESTIVAL』も、その背景には横浜という街の音楽文化がある。そして、そこには土地を愛する人々の情熱があると、この対談から確かに伝わるはずだ。

左から:釜萢直起(GREENROOM)、後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION) / この日の取材は横浜開港資料館で実施した。同館は、現在の横浜の街のあり方を決定づけた横浜開港につながる歴史的瞬間を描いた、『ペリー提督・横浜上陸の図』にも登場する「玉楠」が中庭に生い茂っている。

後藤正文が1990年代半ばに触れた横浜の音楽文化と、アジカン結成当時に抱えていた想い

―まずはお二人それぞれから横浜の音楽文化に対する印象を話していただきたいと思います。後藤さんは静岡県のご出身ですが、横浜市にある関東学院大学の軽音学部でASIAN KUNG-FU GENERATION(以下、アジカン)を1996年に結成して、当初は横浜のライブハウスをメインに活動していたんですよね。

後藤:そうです。横浜の音楽は明らかに東京とは違う流れというか、不良っぽい文化だと思うんですよね。古くはシェルガーデン(横浜市中区山下町にあったライブハウス、1982年にオープンし1999年に閉鎖)に松田優作さんが出ていたり、歴史的にブルースやロックの系譜もある。

―本牧(横浜市中区南東部の地区。太平洋戦争後、米軍住宅施設「横浜海浜住宅地区」として接収された歴史を持ち、日本におけるジャズをはじめとするアメリカ文化の発信地でもあった)を中心とした、ザ・ゴールデン・カップスからクレイジーケンバンドに至る系譜がありますよね。

後藤:そうそう。あの流れがあるし、ヒップホップやレゲエもすごく盛んで。自分が大学生のときは、CLUB 24(横浜市中区蓬莱町にあったライブハウス、正式名称はCLUB 24 YOKOHAMA。1989年にオープンし、2007年に閉店)の土曜日にアジカンが出て、そのあとに今の『横浜レゲエ祭』の前身のイベントが開催されていたりして。

当時すでにヒップホップのシーンもあったと思うし、ストリートとの関わりは深いと思います。ただ、僕らみたいなバンドには難しかったんですよ。

―難しい?

後藤:当時の横浜のライブハウスはパンクとかメロコアが盛んで、F.A.D YOKOHAMA(横浜市中区山下町にあるライブハウス、1996年にオープン)もパンクやハードコアのイメージだったから、アジカンでは出る場所がなかった。

それで下北沢に出て行ったら、自分たちと似たようなバンドがいっぱいいて、「こっちのほうがやりやすい」とは思ったけど、横浜のパンクバンドは羨ましいというか、カッコいいなとずっと思ってました。

後藤:自分の中にパンクスピリットがあるってことは、この年になって自覚したというか、今は胸を張って言えますけど、やってる音楽性は違うし、どう考えてもバキバキの不良ではなかったから、当時の横浜では「お客さんの側にいるしかないのかな?」みたいには思ってましたよ。

―それでも活動の基盤は横浜だったわけですよね。

後藤:横浜は東京からちょっと離れてるので、友達の誘いにおいそれと参加はできないんですよ。細美くん(ELLEGARDEN、the HIATUS、MONOEYESなどで知られる細美武士)とかから電話が来て、「今飲んでるから来いよ」って言われても、「出て行っただけで終電なくなるから」みたいな(笑)。

だから、アジカンは東京からの誘いにはあんまり乗らずに、横浜で積み上げてきた気持ちがあるんですよね。ライブをするために東京には行ってたけど、でも「東京のバンド」っていう気持ちはなくて。

ASIAN KUNG-FU GENERATION“粉雪”(2002年)を聴く(Apple Musicはこちら

―帰属できるようなシーンはなかったけど、横浜という土地に対しては帰属意識があった?

後藤:大学の先輩からブルースをよく聴かされたから、アジカンもその流れとは無縁ではないと思うけど、自分たちがやってたのはブルースロックではないですよね。そういう難しさもあったし、根無し草ではあったと思います。

でも、ずっと能見台(横浜市金沢区の住宅地。能見台駅は、関東学院大学や横浜市立大学にもほど近い金沢文庫駅の隣駅)の街のスタジオでチクチク曲を作って、東京からの誘惑にも負けずに(笑)、自分たちだけで音楽を育て上げてきたというかね。能見台のスタジオは穴倉みたいなもので、そこで午前中から練習したり、めちゃくちゃストイックにやってたので、横浜市にはバンド初期の頃の思い出や想い入れはすごくあります。

「オールしたあとの朝の港の風景は、ある意味、原風景」――『GREENROOM FESTIVAL』初開催に至るまで、代表・釜萢が浴びてきた横浜という街のカッコよさ

―釜萢さんは出身が東京の町田市だそうですが、いつ頃から横浜に来るようになりましたか?

釜萢:中学生くらいからスケートボードを始めて、サーフィンを始めたり、バイクの免許を取ったりして、横浜に遊びに来るようになりました。町田からは横浜線1本でも来れますしね。

当時はPrinceがプロデュースした箱(横浜市中区新山にあったライブディスコGlamSlam、1991年にオープンし1993年に閉店。1995年、その跡地にYokohama Bay Hallが誕生した)や、CIRCUS(横浜市中区山下町にあったディスコクラブの老舗・名店)があったので、よく遊びに来てましたね。

もう少し大きくなってからは、Yokohama Bay Hallとかで、レゲエ、ロック、レイヴ、いろんなライブを観ました。そこにはいつも港があるっていうか、オールしたあとの朝の港の風景は、ある意味、原風景な感じがします。

―学生時代からのストリート / サーフカルチャーへの関心は『GREENROOM FESTIVAL』にも直接的に繋がりますね。

釜萢:あと横須賀のベース(米軍基地)もあって、昔からアメリカの文化が入ってきてたので、元町にもクラブがたくさんあって、よく遊んでました。

山下公園の前に車で集まって、みんなで大黒(ふ頭)に行ったり、そこには音楽と車、ファッションやライフスタイルがひとつに紐づいていたような気がする。そういうカッコよさは横浜ならではだと思いますし、湘南とも東京とも違うし、他の街にはなかなかないんじゃないかな。横浜には中華街があって、ベースがあって、いろんな人が集まってるからこそ生まれる面白さがある街だと思いますね。

後藤:雑多な交わりがありますよね。僕がちゃんと生きてこれたのは、コリアンタウンのカラオケ屋のバイト代がよかったからと言っても過言じゃない(笑)。最初、福富町(横浜市中区にある市内有数の歓楽街で、韓国系の店舗が多い)でバイトして、その次は中華街のカラオケ屋でバイトして、大学の学費も払ってましたから。

釜萢:僕、JRA(横浜市中区伊勢佐木町にあるJRAエクセル伊勢佐木は福富町にほど近い)の近くの喫茶店でバイトしてましたよ。夜の街で働いてるお客さんが出勤前にコーヒーを飲みに来て、その人たちの愚痴を聞く、みたいな(笑)。

後藤:夜の街という感じはありますよね。

―不良文化というお話もあったように、そこから面白い音楽も生まれていたんでしょうね。

後藤:不良がオシャレなのはいいことですよね。ただのワルじゃない、不良に文化があるのは横浜っぽい感じがします。

『GREENROOM FESTIVAL’06』より

「ちょっと足を踏み出せば越境できる環境だった」――後藤の体験を通じて、文化が雑多に交流する横浜の実像を垣間見る

―ライブハウスやクラブ以外に、横浜にはライブバーの文化もありますよね。

釜萢:サムズアップやストーブス(2軒とも所在地は横浜市西区南幸)、ロースカ(横浜市金沢区片吹にあるThe Road and The Sky)とか、確かにライブバーは横浜の文化っぽいイメージがありますね。名物店主がいて、ライブがあって、楽しく酒が飲めるっていう、ライブハウスともまた違う文化なのかなと思います。

後藤:サムズアップのあの感じってありますよね。金沢文庫にもロックやブルースが好きな人たちが集まるバーがあって、よく先輩に誘われました。そういう先輩たちから音楽に対するアティテュードを教わったりもしたので、横浜のブルースの血はアジカンにも流れてると思っています。

ASIAN KUNG-FU GENERATION“新世紀のラブソング”(2009年)を聴く(Apple Musicはこちら

―ライブバー、ライブハウス、クラブには繋がりはあったのでしょうか?

後藤:僕は基本ライブハウスにずっといたので、繋がりはあまりわからなかったんですけど、バイトでLOGOS(横浜市中区元町にあった横浜 CLUB LOGOS、HADESの名前で1994年にオープンし2012年閉店)ってクラブのホームページの更新をやっていたことがあって。

LOGOSではケツメイシの人たちがずっとイベント(『JOY RIDE』)をやっていたり、サ上とロ吉(サイプレス上野とロベルト吉野。横浜市戸塚区俣野町にある団地・ドリームハイツ出身のヒップホップグループ)が『建設的」っていうイベントを平日にやったりしていました(関連記事:サ上とロ吉、泣き笑いの20年 パイセン・YSIGサイトウと振り返る)。その一方で、横浜のキャバクラグループの女の子の写真の更新もしてたり(笑)。

―やっぱり夜の街の匂いがありますね(笑)。

後藤:そのときはちょうど脱サラをして、アジカンをやりながらウェブデザインの会社でバイトをしていた時期で、ヒップホップのコンピレーションCDのサイトデザインもやったりしていて。

当時はまだ日本人のヒップホップアーティストに対して、そんなにアンテナを張ってなかったんです。でも、クラブやレーベルまわりの音源とかを聴かしてもらうこともあって、「こういうカッコいい人もいるんだな」って思ったことを覚えています。だから、ちょっと足を踏み出せば越境できる環境だった。

―後藤さんに近い人だと、SPECIAL OTHERS(横浜市港北区岸根町にある岸根高等学校出身のジャムバンド)はライブバーやクラブとも当時から接点がありそうですよね。

後藤:SPECIAL OTHERSは生粋のあのへんの人たちですよね。音楽はオーガニックだけど、メンタリティはB-BOYだから。ちょっと売れたらすぐ外車乗るみたいな価値観で(笑)。

SPECIAL OTHERS“DANCE IN THE TSURUMI feat. 後藤正文”(2011年)を聴く(Apple Musicはこちら

後藤:SPECIAL OTHERSは、やけのはら(横浜出身のラップミュージシャン、DJ)が高校の同級生で、関係が近いサ上とロ吉は横浜高校(横浜市金沢区能見台通にある横浜高等学校)なんですよね。だから、僕らが使ってた能見台のスタジオの近くを通って学校に行ってたと思う(笑)。

そのスタジオが三笠公園(横須賀市)でフリーのライブをやっていたんですけど、そこにアジカンも出させてもらったりしましたね。パンクバンドばっかりだった気がする。トリはLINKっていうバンドで、すごい人気があった。

―面白いですね。やっぱり様々な文化層や集団が雑多に隣接してたんだろうなと想像します。

後藤:僕は大学から横浜に入ってきた人間だから、何かを一緒にやっていたわけではなかったけど、ちょっと踏み込めば繋がることはできただろうし、土地としては確実に繋がっていたと思いますね。

「横浜のような、それぞれの『カルチャー』が混ざっていた『大きな入れもの』に対する憧憬の眼差しはあります」(後藤)

―釜萢さんは他にどんなところでよく遊んでいましたか?

釜萢:高校のときとかは、とりあえず「シァル下」(横浜市民の定番の待ち合わせスポット。シァルとは1962年に開業した横浜ステーションビルの商業施設で、2011年に閉店。その後、2014年よりルミネとして営業を行っていたが、再開発を経て2020年に横浜CIALとして復活した)に集まって、そこから遊びに行く感じでした。町田の中学の友達が横浜の高校に行って、横浜にみんなで何となく集まって、ライブハウスとかクラブに行く流れでしたね。

―その頃は「不良への憧れ」みたいな感覚もありましたか?

釜萢:いや、別にヤンキーでもないし、ただ音楽やファッション、スケートやサーフィンに興味があるって感じでした。中高はそこまで音楽どっぷりって感じでもなく、バンドをやってたわけでもないし、みんなでスケートをして、洋服を見に行くとか、そんな感じでしたね。

『GREENROOM FESTIVAL’08』より

―音楽により深く関わるようになったのはどういうきっかけだったんですか?

釜萢:ライブの現場に関わるようになったのは、もともと『warp MAGAZINE』っていうストリート系の雑誌を出してる会社に入社して、最初の現場が『WARPED TOUR』(ハードコアを筆頭に、メタル、ヘビーロックといったアーティストが出演するロック / エクストリームスポーツの都市巡回型フェスティバル)だったので、そこからですね。いろいろな要素がジャンルの枠を超えて混ざり合ったストリートカルチャーが当時から好きだったんです。

後藤:当時、僕の周りにもラジカセで音楽を聴いてるようなスケーターの友達がいて、Beastie Boysを教えてもらったりしました。

釜萢:日本版の『warp MAGAZINE』の創刊号(1996年7月号)の表紙がBeastie Boysだったんですよ。で、特集で勝新太郎が載ってたり(笑)。

―すごい組み合わせ(笑)。

後藤:1990年代に憧れるのは、やっぱり分かれてない感じがあるからですよね。音楽が音楽だけじゃなかったし、パンクスにしても、B-BOYにしても、そこには必ずファッションが結びついていて、スケートカルチャーもあって豊かだった。今も続いていることではあるけど、ネットによってみんなの関心が細分化していて、大きなうねりにはなりにくいというか、コミュニティが狭くなってる感じがする。だからこそ横浜のような、それぞれの「カルチャー」(文化層)が混ざっていた「大きな入れもの」に対する憧憬の眼差しは今もありますね。

ASIAN KUNG-FU GENERATION“或る街の群青”(2006年)を聴く(Apple Musicはこちら

『GREENROOM FESTIVAL』が横浜の街から学んだ、オープンであることの重要性

―『GREENROOM FESTIVAL』は「サーフカルチャー、ビーチカルチャーをルーツに持つ、音楽とアートのカルチャーフェスティバル」として2005年にはじまったわけですが、会場を横浜にした理由を教えてください。

釜萢:それはもう、とにかく大桟橋が好きだったんです。カリフォルニアで『GREENROOM FESTIVAL』の原型となるフェスを観て、すぐ日本でもフェスをやりたくて東京や湘南とかいろいろと考えたんですけど、大桟橋を見たときに、「ここでスケートしたらヤバいな」って思ったんですよ。波みたいにも見えるし、「こんな建築物がこの世にあるの?」って(笑)。

スケーター、サーファー目線で見たら、とにかくヤバい場所だったんです。ウッドでできてるから、馬鹿でかいサーフボードにも見えるし、巨大な波にも見えて、こういう場所がある横浜という街自体もカッコいいなって思ったんですよね。

『GREENROOM FESTIVAL’07』より

釜萢:海に突き出ているというか、海に浮いてるみたいな感じも、サーフカルチャーを始めとする海辺の文化を表現するのにはベストだと思ったし、全てがハマったんです。

後藤:この間アジカンのビデオ(“ダイアローグ”)を大桟橋ホールで撮ったばっかりです。喜多くん(ギターの喜多建介)が「ここはデートスポットとして間違いない」って言ってました(笑)。

ASIAN KUNG-FU GENERATION“ダイアローグ”(2020年)を聴く(Apple Musicはこちら / Spotifyはこちら

後藤:『GREENROOM FESTIVAL』は本当に場所がよくて、散歩に来た家族連れとかもちょっと聴けるのがいいんですよね。

―無料エリアも充実していますからね。

後藤:半分開いちゃっているというか、閉鎖的じゃなくて広がりがあるというかね。無料でチラッと聴いた人が、来年はお金払ってこようと思うこともあるだろうし。大きな会場に全部閉じ込めて、「絶対音漏れはさせない」「金払ってないやつには絶対聴かせない」みたいな感じじゃない、大らかさがすごくいいなと思います。

釜萢:アジカンに出てもらった2018年には、The Wailersがボブ・マーリーの曲を歌って、Sublimeが“Santeria”を歌って、日本とカリフォルニアで見てきたものが両方そこにあって、すごく印象に残っています。

ビーチは絶対的に開いているわけで、だからこそフェス自体も開いていたいと思っているんです。物理的にもそうですけど、音楽もファッションもアートもフィルムもあるという状況に対しても絶対に壁は立てたくない。そういうことを横浜でやれてよかったなと思っています。

―さきほど話に出た有料エリアと無料エリアがあるというのも、フェスの開かれた雰囲気に繋がっていますよね。

釜萢:チケットを買わずにずっといる方もいますけど、それもアリだと思います。ただ、一番奥にはミュージックチャージとしての有料エリアがあって、最高のライブが待ってる。ちゃんと段階を作れればいいかなと思います。「0か100か」じゃないほうが、伝わりやすいと思うんです。アートとか映画を観たあとにライブを観ると、絶対感じ方も変わるから、そこは体験としていろいろミックスしていきたいんです。

後藤:本当にそうですよね。『コーチェラ』(アメリカ・カリフォルニア州で開催されている『Coachella Valley Music and Arts Festival』)も、全体としてアートっぽいというか、音楽だけではないですからね。ファッションもアートも絡んでるし、そこには文学の流れもある。「音楽」が前には出ているけど、実際には繋がりがあることを体感できるのが大事というか。

釜萢:Suicidal Tendencies(アメリカ・ カリフォルニア州出身のハードコアバンド)とDogtown(ハードコアスケートボードの代名詞的ブランド)みたいに、一緒に組んでアパレル展開をしたり、音楽とスケートブランドが一つの塊として情報を発信してるし、それはサーフブランドも同じで。音楽とファッションが近いというか、僕らもいろいろな繋がりや、そこから感じる匂いは伝えていきたいんですよね。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「横浜のバンド」としての由縁――東京ではない場所の価値と、地域性を触れることで得られる豊かさ

―横浜はまさに、雑多に隣接し合ういろいろな要素が繋がりながら発展してきたバックグラウンドがある街ですもんね。

釜萢:今はうちのアートギャラリーもMARINE & WALK YOKOHAMA(横浜市中区新港にある野外モール)にあるし、横浜とずっと一緒にやっていく覚悟はすごくあります。フェスは365日のうちの1日だけどその日だけじゃなく、お店を作ったことで常に「横浜と一緒に」って気持ちでいる感覚なんですよね。

だからこそ『GREENROOM FESTIVAL』では、港ににぎわいを作れるように、クルーザーをDJシップにしたり、横浜ならではのコンテンツをどう作っていくのかはすごく考えています。海沿いを歩きながら何個もステージが観れるのって、本当に気持ちいいですからね。

―フェスが街づくりの一端を担っているような印象もあります。

後藤:自分が若かったら、絶対デートで行ってたでしょうね(笑)。肩肘張らない感じもいいし、「文化」って堅苦しい感じじゃなくて、本当に「カルチャー」って感じで、そういう雰囲気が居心地のよさにも繋がっているような気がします。

―アジカンも横浜アリーナで『NANO-MUGEN FESTIVAL』を開催したり、メジャーデビュー10周年のライブを横浜スタジアムで開催したり、メモリアルなライブを何度も横浜で開催してきたわけですが、改めて、バンドと横浜の繋がりをどう感じていますか?

後藤:やっぱり、僕は「東京ではない場所」としての価値を見ていたというか、中央集権的な「東京が中心」って考えがあるけど、本当はそうじゃなくて、いろんな街に面白いものがあるはずなんですよね。「俺たちは横浜なんだ」みたいなプライドも一種の反骨心として存在していて。

釜萢:それはあるなあ。

後藤:もちろん、恩もありますしね。先輩にブルースのことを教えてもらってなかったら、今の自分たちの考え方はなかったと思う。アジカンはいっぱいセッションをするんだけど、それ自体もそうだし、「人の演奏をよく聴け」っていうのも先輩たちの教えで。そういう考えが根づいているのは自分たちにとってすごく大きくて、他の街で活動していたらこうはなってなかったと思うから、そういう意味での愛着もものすごくあります。

ASIAN KUNG-FU GENERATION“夕暮れの紅”(2004年)を聴く(Apple Musicはこちら

音楽文化の大きな流れに身を置き、継承し、シェアし、パスを出すことに自覚的だった、後藤正文とアジカンの25年

―10月にKT Zepp Yokohamaで開催されたライブ(君島大空、羊文学、東郷清丸らが出演した『Tour 2020 酔杯2 ~The Song of Apple~』)でも下の世代のアーティストをゲストに呼んでいましたが、そうやって「下の世代に伝えていく」というようなことも、横浜で育ったからこそ身に着いた感覚なのでしょうか?

後藤:フックアップの文化は日本だと、特にロック畑では遅れていると思うので、それを新しいやり方でやりたいとは常に思っています。やっぱりね、シェアしないと広がっていかないと思うんですよ。「俺たちは十分儲けた。はい、終わり」じゃ何も繋がっていかない。

閉じることが一番よくないから、知識でも経験でも何でも持っている人が次の人にパスを出すのが一番いいことだと思う。僕たちは幸いにも少しヒットしたけど、それも預かっているもので、ある種の富みたいなものはどんどん次にパスしていかないと、呪われると思う。次々に面白い人が出てきたら、それはリスナーとしての自分の楽しみにもなりますからね。

―『NANO-MUGEN FESTIVAL』では日本のバンドだけで閉じてしまわないように、自分たちで海外からバンドを招いて開催していたわけで、その開かれ方は『GREENROOM FESTIVAL』にも通じるし、やはり港町である横浜らしいとも言えるなと。

後藤:昔はモアーズ(横浜駅西口にあるショッピングモール・横浜モアーズ)にTOWER RECORDSがあって、ビブレ(横浜市西区にある商業施設・横浜ビブレ)にHMVがあって、そこで買った海外のアーティストのCDを聴いてイメージが広がっていったと思うし。自分が生まれ持ったものだけでできることなんてなくて、混ざり合って、咀嚼して、自分なりの表現になっていくわけで。そういうことはすごく大事だと思う。一色になっちゃうのが一番怖いから。

『GREENROOM FESTIVAL』では、僕たちがThe Wailersのあとに出るのはおこがましいことだと感じつつ、ありえなかったはずの交流が生まれたら嬉しいと思ってステージに立ちました。アジカンを観に来た人が、「さっきのバンドなんだろう?」って、レゲエの虜になるかもしれないし、そういう越境のチャンスでもあったんじゃないかと思います(2018年の『GREENROOM FESTIVAL』でアジカンは、The WailersとSublime with Romeに挟まれる形で出演した)。

ASIAN KUNG-FU GENERATION“ナイトダイビング”(2008年)を聴く(Apple Musicはこちら

2021年も困難な状況が続くと見込まれるからこそ、オープンであることの可能性を信じていたい

―2020年はコロナの影響であらゆるフェスやイベントが中止となり、音楽業界全体が大きなダメージを受けました。ウイルスは人を遠ざけ、壁を作るものでもあって、だからこそ、開かれていて、混ざり合っている横浜のような場所の存在価値がこれからますます高まるようにも思います。横浜の可能性、2021年以降のお二人の展望についてはどのようにお考えですか?

釜萢:海外アーティストをブッキングするときに、はじめの頃は「横浜でやってる」と言っても反応がなかったんですよ。でも今は逆にみんな横浜を認識してくれていて、出演したミュージシャンに「ロケーションが最高だ」と言ってもらえるようになったんです。

なので、とにかくフェスを続けて、いろんなミュージシャンが横浜の海沿いのステージに立ち続けていくことで、横浜の文化に少しでも貢献できたら嬉しいです。歴史的建造物の赤レンガ倉庫をバックに、海の向こうには横浜ベイブリッジがかかっていて、みなとみらいの夜景も見えるーーそんな場所、他にないと思うし、しかもそれが街のど真ん中なんですよね。東京のど真ん中でこれはやれないと思うから、そこは横浜の懐の広さだとも思います。

―港を中心に発展してきた横浜だからこそのロケーションですよね。

後藤:空港からも近いですしね。自分が来日アーティストだったら、『フジロック』の会場に着くまで不安になると思うんですよ。「え、遠くない?」って(笑)。その意味でも、『GREENROOM FESTIVAL』は都会だから、アーティストみんな喜ぶと思いますよ。

釜萢:ホテルが揃っているのは、アーティストを呼ぶうえで大きいかな。

後藤:街にじんわりと溶け込んでるフェスですよね。『GREENROOM FESTIVAL』という全然違う空間を打ち立てるんじゃなくて、じんわりと街に溶けてる。やっぱり、そういうシェアの仕方が大事になっていくんじゃないかなって思います。

ASIAN KUNG-FU GENERATION“海岸通り”(2004年)を聴く(Apple Musicはこちら

後藤:閉ざして区切ろうとするから、密が生まれるわけじゃないですか? 今はシェアする強さ、繋がりの豊かさ、オープンであることの可能性をみんながどこかで感じているはず。

もちろん、フェスにもお金が絡むけど、「お金のためにやってます」って人はほぼいないと思うんですよ。こんな先が見えない状況でも、「じゃあ、やめます」とはなってないわけで、そこでもやっぱり「シェア」がすごく大事になってくるんじゃないかと思いますね。

―文化も土地も経済もシェアをして、パスを出して、バトンを繋いでいく。そのための場所としても、横浜はこれから大きな役割を担っていくのかもしれないですね。

後藤:『GREENROOM FESTIVAL』自体にもそういう機能がありますよね。これまで話したような「横浜のカルチャー」を担った昔の不良たちからのパスでもある。時代を超えた、街を使ったパスというかね。そこに参加する人に何かが少しずつ受け渡されて、それをどう活かすかはその人次第。あの場所はそういうものだと思いますよ。

釜萢:積極的にパスをしていきたいというのはすごく思っていて、フェスの開催はもちろん、映画を配給するのは魅力的な文化を伝えるためだし、アートギャラリーを経営するのもアーティストの作品を届けるためですから。そうやって横浜からパスを送り続けて行きたいと思います。

プロジェクト情報

新しい発見、ワクワクする高揚感、感性が磨かれるような感覚をいつも与えてくれる街、横浜。気軽に訪れるだけで非日常へとスイッチが切り替わり、そこには心躍るエキサイティングな体験や、穏やかでリラックスできる時間が待っています。様々な文化が溶け込んで独自に進化してきた横浜の街の魅力を、公式SNSアカウント「Find Your YOKOHAMA」で発信しています。

プロフィール
後藤正文 (ごとう まさふみ)

1976年静岡県生まれ。ASIAN KUNG-FU GENERATIONのボーカル&ギター。新しい時代とこれからの社会を考える新聞『THE FUTURE TIMES』の編集長を務める。インディーズレーベル『only in dreams』主宰。2020年12月2日、Gotch名義でソロアルバム『Lives By The Sea』をデジタルリリース。3月3日にはCDとLPがリリースとなる。

釜萢直起 (かまやち なおき)

1973年東京生まれ。町田市で育ち、中学生のときにサーフィンやスケートボートと出会う。日本の大学へ進学するも、サーフィンを諦めきれずオーストラリアへ留学。サーフィンと旅の生活を送る。帰国後、広告代理店勤務を経て、1999年に独立。株式会社グリーンルームを設立し、サーフブランドのブランディング業を主軸に、イベント業やアートギャラリー、映画の配給などに携わる。2005年に同名の音楽フェス『GREENROOM FESTIVAL』を初開催した。

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