『アニッシュ・カプーア IN 別府』圧倒的な視覚体験をレポート

(メイン画像:©Anish Kapoor / photo by Nobutada Omote / Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee)

国内では過去最大規模となる、待望のアニッシュ・カプーアの個展

数多くのアーティストからなる芸術祭が日本各地で開催されるなか、招聘作家を1組に絞り、その世界観を丹念に土地と結びつけることで異彩を放つ芸術祭がある。大分県の別府市を舞台に、2016年より毎年行われている『in BEPPU』だ。その第3弾として、現代のイギリスのみならず世界を代表するアーティスト、アニッシュ・カプーアを迎えた『アニッシュ・カプーア IN 別府』が、11月25日まで開催されている。

インドに生まれ、ロンドンで活動するカプーアは、虚と実、物質と非物質のような両極的な概念を一挙に感じさせる作品で知られるアーティスト。2012年の『ロンドン五輪』では記念モニュメントを制作。2015年には、過去数名しか行なっていないヴェルサイユ宮殿での個展を果たした。日本では金沢21世紀美術館に常設されている、傾いた壁に無限の闇が続くような作品『L'Origine du monde(世界の起源)』で知る人も多いだろう。

アニッシュ・カプーア『L'Origine du monde(世界の起源)』(2004年)金沢21世紀美術館蔵 写真提供:金沢21世紀美術館 © Anish Kapoor
アニッシュ・カプーア『L'Origine du monde(世界の起源)』(2004年)金沢21世紀美術館蔵 写真提供:金沢21世紀美術館 © Anish Kapoor

そんなカプーアの国内では過去最大規模の「個展」でもある今回は、木々に囲まれた別府公園内に、新作や代表作を含む3つの作品やパビリオンが点在。カプーア作品と土地はどのように共鳴するのだろうか。開幕直後の現地を訪ねた。

別府公園に建てられたパビリオンで展開される、圧倒的な視覚体験

日本有数の温泉地、別府。この土地を初めて訪れた者の目をまず引くのは、街のすぐ奥まで迫った山の存在感。そして、山肌のあちこちから狼煙のように何本も上がる、湯けむりの姿かもしれない。別府湾を背にして市街地を眺めると、この街が山と海に包まれるようなかたちで存在し、大地の熱をいつもそばに感じながら暮らしを営んできたことが分かる。

そんな別府の「ヘソ」のような場所に、今回の舞台、別府公園はある。面積27ヘクタールを超える大きな公園で、雑木林と原っぱが広がる市民の憩いの場。温泉街らしい猥雑さも残る駅前の繁華街に比べると、対象的に静かな空間が広がっている。

さっそく、会場を歩いてみよう。公園の入口で受付を済ませると、観客は各所に設置された看板に従いながら、林の中の小道を縫うように進んでいく。しばらく行くと木々の隙間から姿を現わすのが、巨大な建築型の作品『Void Pavillion V』だ。

『Void Pavilion V』外観 ©Anish Kapoor / photo by Nobutada Omote / Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee

『Void Pavilion V』は、近年カプーアが取り組んでいるという建築と彫刻を一体化させたタイプの作品で、世界初公開。体験者は次第に把握することだが、建物には表と裏、2つの入り口がある。表から入ると、目の前の壁には深い奥行きを持つ穴のような、漆黒の円が。穴の底を見つめようとする視線は、しかし焦点を定めることができない。次の瞬間、その「穴」はまるで突出するように手前に飛び出してくる——。

『Void Pavilion V』内観 ©Anish Kapoor / photo by Nobutada Omote / Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee
『Void Pavilion V』内観 ©Anish Kapoor / photo by Nobutada Omote / Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee

そう、この深く黒い円は、先述した金沢21世紀美術館の常設作品『L'Origine du monde(世界の起源)』と同じ仕掛けを持つようだ。金沢の作品を筆者は何度も経験しているのだが、にも関わらず毎回色褪せない視覚の喜びがあるのが、カプーア作品の凄みだ。「これ、穴?」。そう呟きながら歩き回る周囲の観客の反応を楽しみながら外に出ると、建物の裏手にもうひとつの扉があり、入って驚いた。表側の室内にあった黒い円。その「裏側」にどんな光景が広がっているのか。これはぜひ、会場で体験してみてほしい。

『Void Pavilion V』内観 ©Anish Kapoor / photo by Nobutada Omote / Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee

激しい暴力性を帯びた作品が、私たちの美と醜の認識に揺さぶりをかける

観客が次に向かうのは、黒い壁のパビリオン。外観に反して真っ白な内部空間を持つこの建物では、過去にもカプーアと仕事をしてきたキュレーター、飯田高誉による企画展『コンセプト・オブ・ハピネス』が展開されている。

『コンセプト・オブ・ハピネス』ギャラリー外観 ©Anish Kapoor / photo by Nobutada Omote / Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee

ミニマルな形態が生み出す、不思議な視覚体験。カプーアの作品にそんな印象を抱いていた人にとって、ここに並ぶ作品群はショックなものかもしれない。壁に飾られているのは、赤黒いシリコンの塊を薄いガーゼが包む、巨大なかさぶたのような彫刻。そして、グワッシュで描かれたマグマを思わせる激しい絵画だ。これらは、カプーアがこの数年の間に手がけてきた新作である。

『コンセプト・オブ・ハピネス』内観 ©Anish Kapoor / photo by Nobutada Omote / Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee

最初のパビリオンとのギャップに戸惑いそうになるが、対峙するうち、両者の共通性も見えてくる。彫刻を覆うガーゼは、ドロドロとした中身を隠し、同時に露出させてもいる。しばらく見ていると、視線はガーゼの表面と、奥の赤い塊を行き来する独特の不安定さを帯びてくる。この経験は、見た目こそだいぶ違うものの、平面性と空間性が同居する絵画的な質を持っている点で、『Void Pavilion V』の円とつながっている。

『コンセプト・オブ・ハピネス』内観部分 ©Anish Kapoor / photo by Nobutada Omote / Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee

キュレーターの飯田は、この展示を通して、「人類の文明化と野蛮化の奇妙な関係を問いたかった」と語る。実際、カプーアは、誰しもが楽しめる美しい作品を手がける一方で、ときに激しい暴力性を帯びた作品も作ってきた。その手の活動でよく知られるのは、2009年、ロンドンのロイヤルアカデミーでの個展だ。

この個展で彼は、赤いワックスを大砲で壁に放ち、伝統ある展示室でその巨大な塊を列車のように走らせるなどの荒技を見せて、大きな話題を呼んだ。さらに、たびたび触れている『L'Origine du monde(世界の起源)』も、19世紀の画家ギュスターヴ・クールベによる女性器を描いた同名の問題作になぞらえたものと言われる。「美と醜をどう分けられるのか」と飯田。この企画展では、そんなカプーアの過激さも存分に味わえる。

一切の不純物を含まないような「反射」が、観客の視覚を複雑に分裂させる

ひとつの物体が宿す、簡単には咀嚼できない感情、視覚の体験。それは、仮設ギャラリーをあとにした観客が最後に向かう、『Sky Mirror』にも共通していた。

ギャラリーを出て、隣接する原っぱに向かうと、広々とした緑の空間に一箇所だけぽっかりと異質な一角が見える。そこに立っているのは、頭上の空模様を映し続ける直径5メートルもの巨大な円盤状の鏡だ。こうして記述すると、単純な仕組みのようにも思えるが、その視覚体験はなかなか言語化することが難しい。

『Sky Mirror』 ©Anish Kapoor / photo by Nobutada Omote / Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee

わずかに湾曲した鏡面は、平らな鏡とは異なり、そこに映る空の像へと素直に焦点を当てることを許さず、むしろ、現実の鏡面とは微妙にズレた仮想の「平面」の存在を感じさせる。すべてを吸い込むパビリオンの黒い闇とは対照的に、ここでは一切の不純物を含まないような「反射」が、観客の視覚を複雑に分裂させる。

こうしたタイプの作品を、カプーアはこれまでニューヨークやロンドンなど、世界のさまざまな場所に設置してきた。そこに映る空の像の印象は、場所はもちろん、訪れる時間帯によっても驚くほど違う。チケットなしでも見られる展示物であることもあってか、この『Sky Mirror』は今回の芸術祭で、もっとも地元の住民に愛されているようだった。筆者が昼間に訪れたときは子どもたちが、夕方に訪れたときは犬の散歩をする女性が、巨大な鏡に映る空にじっと目を凝らしていた。

『Sky Mirror』 ©Anish Kapoor / photo by Nobutada Omote / Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee

1組の「個展」という『in BEPPU』の形式はなぜ生まれたのか

カプーアのさまざまな魅力が詰まった、今回の『in BEPPU』。はたしてその企画者たちは、どのような思いでこの芸術祭を立ち上げたのだろうか。

『in BEPPU』は2009年より3年に一度、別府で開催されていた『別府現代芸術フェスティバル「混浴温泉世界」』の後を継ぎ、2016年に始まった。多彩なアーティストが参加した『混浴温泉世界』は、各種メディアでも取り上げられて一定の成功を得た。しかし、もともと「第3回まで」と決めていたものの、次の展開に向けて活動を振り返ったとき、ある疑問が浮かんだ。「一人ひとりのアーティストのことにまるで触れられていない」。同芸術祭の総合プロデューサー、山出淳也は語る。

山出:もともと自分は海外で作家活動をしていましたが、別府のまちづくりの記事を読んだことがきっかけで2004年に帰国。翌年、BEPPU PROJECTというNPOを立ち上げ、芸術祭の土台を作る活動を続けてきました。『混浴温泉世界』は、多くのアーティストが参加し賑わいましたが、一方で1人の作り手のことを考える時間が短くなってしまった。各地に芸術祭がある状況で、別府にはもっとエッジの効いた試みが必要だという声もあり、1組の「個展」という形式を選んだんです。

山出淳也

こうして始まった『in BEPPU』では、2016年に現代芸術活動チーム「目」を、2017年にはアーティストの西野達を招聘。若手かベテランかに関わらず、1組で別府という土地に対峙できることが選考の決め手だ。そして今回のカプーアは、山出が長年憧れを抱き続けてきた、個人的にも思い入れの強い作り手だったという。

『奥行きの近く』2016年、目 photo by Takashi Kubo Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee
『油屋ホテル』2017年、西野 達 photo by Wakiya Nobuhiro Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee

カプーアは1954年、現在のインド・ムンバイ(かつてのボンベイ)で、インド人の父とユダヤ人の母のあいだに生まれた。ヒンドゥー教とユダヤ教という異なる信仰を持つ両親のもとで育った彼は、10代半ばにイスラエルを旅したあと、1973年からイギリスで美術を学び始めた。その作品が持つ多義性には「こうした出自の複雑さも関係するかもしれない」と、企画展を手がけたキュレーター飯田は言う。

アニッシュ・カプーア Portrait by Gautier Deblonde

イギリスで、当時の西洋の先端的な美術を吸収したカプーアは、学校を卒業後、故郷インドに向け、長期間の旅に出発。その後、作風を大きく変える。この時期手がけた出世作に、鮮やかな顔料でシンプルな形態を覆った『1000の名前』(1981年)があるが、まさにこの作品に人生を動かされたのが、山出だった。

山出:20歳ころに雑誌で『1000の名前』を見て、大きな衝撃を受けました。それで衝動的に、彼のアトリエを訪ねようとイギリスに渡りましたが、そのときは対面が叶わなかった(笑)。でも、ひとつの作品が人の人生を変えうることがあると、身を持って実感したんです。そんな作品を、今回は多くの人に見てほしかった。

『1000 Names』(1981年)Wood, gesso and pigment / Dimensions variable / Museo National Centro de Arte, Reina Sofia, Madrid ©Anish Kapoor

作家作品をその土地に接続させたキュレーションの背景

さらに、山出がカプーアを招聘したもうひとつの重要な理由が、彼の作品の持つ表面とその奥、内と外をつなぐようなあり方と、別府という土地の親近性だった。

山出:別府の世界観を表現できる芸術祭を目指してきました。「温泉地」というのは言い換えれば、地球が生きていることを直に感じられる場所であるということ。大地の底のエネルギーが表出し、湯けむりを通じて宇宙につながっている。そうした自然の循環のなかに、小さな存在として僕たちがいる。そんな大きなスケールを感じさせるアーティストを考えたとき、カプーアは僕にとってのエースでした。

これまで紹介してきたように、今回の『in BEPPU』に並ぶ作品は、直接的に別府の土地に言及するものではない。ここに展示されているのは、さまざまな土地で発表されてきた代表作や、カプーアの現在形の思考を見せる新作である。

しかし、宇宙の闇を連想させる『Void Pavillion V』、マグマのような『コンセプト・オブ・ハピネス』の激しい作品たち、そして、空と地上をつなぐ『Sky Mirror』の3つが並ぶこの空間は、見る者の意識を大地の裏側や空の奥行きへと誘うことで、別府という土地に対する人々の認識を静かに変えうる力を持っていたように思う。そこには、もともとカプーアの作品が持っている寛容な性質、世界の広がりに対する思想を、巧みに土地に接続してみせたキュレーションの妙がある。

山出:アーティストの「量」より、その理解の「深さ」を大事にしてこれまで活動を続けてきました。大きな世界を感じさせるカプーアの作品と、山と海に包まれた別府という場所の持つ母性を、今回はうまくマッチングできたと思う。けれども、街や住民のリテラシーの変化に合わせて、僕たちにはその時々にやるべきプロジェクトがある。そんなバージョンアップを、これからも仕掛けていきたいです。

ひとつの土地と、1組のアーティストの世界観を丁寧につなげること。そんな試みを続ける『in BEPPU』は、数ある芸術祭のなかでももっとも興味深い実験場のひとつになっているようだ。

『Sky Mirror』 ©Anish Kapoor / photo by Nobutada Omote / Courtesy of Mixed Bathing World Executive Committee
イベント情報
『アニッシュ・カプーア IN 別府』

2018年10月6日(土)~11月25日(日)
会場:大分県 別府公園
時間:9:30~17:30(入場は閉場の30分前まで)
料金:
当日 一般1,200円 小中生500円
プレミアムパスポート5,000円
※障害者手帳所持者および介助者1名は無料

プロフィール
アニッシュ・カプーア

1954年インド・ムンバイ生まれ。ロンドン在住。ホーンシー・カレッジ・オブ・アート(1973~77年)の後、ロンドン・チェルシー・スクール・オブ・アート大学院(1977=78年)で学ぶ。近年の主な個展に、ヴェルサイユ宮殿(2015年)、『リヴァイアサン』グラン・パレ(パリ、2011年)、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(ロンドン、2009年)など。恒久設置されたコミッション作品に、シカゴミレニアム・パークの『クラウド・ゲイト』(2004年)、ロンドンオリンピック・パークの『オービット』(2012年)、世界初の空気注入による可動式コンサートホール 『アーク・ノヴァ』(2013年)など。第44回ヴェネツィア・ビエンナーレ(1990年)ではイギリスを代表し、デュエミラ賞を受賞。1991年、ターナー賞受賞。2011年、高松宮殿下記念世界文化賞受賞。2013年、文化貢献に対してナイトの称号を授与される。2017年にはジェネシス賞を受賞。

山出淳也 (やまいで じゅんや)

NPO法人 BEPPU PROJECT 代表理事 / アーティスト。1970年大分生まれ。PS1インターナショナルスタジオプログラム参加(2000~2001年)。文化庁在外研修員としてパリに滞在(2002~2004年)。アーティストとして参加した主な展覧会として「台北ビエンナーレ」台北市立美術館(2000~2001年)、『』GIFT OF HOPE年東京都現代美術館(2000~2001年)、『Exposition collective』Palais de Tokyo、パリ(2002年)など多数。帰国後、地域や多様な団体との連携による国際展開催を目指して、2005年にBEPPU PROJECTを立ち上げ現在にいたる。



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