90歳になった現代演劇の生ける伝説、ピーター・ブルックが描く「ひと足先の世界」

生ける伝説が巻き起こした、文化的事件を振り返る

演劇界の巨匠・ピーター・ブルックの偉大さを語るのに、よく引き合いに出されるのは、画期的な演出として名高い『真夏の夜の夢』(以下『夏夢』、1970年)だ。ウィリアム・シェイクスピアの喜劇を白いボックス状の舞台美術の中で、アクロバットをまじえて上演したもので、1973年には来日公演も行われている。「ブルックの『夏夢』を観たか否か」は、当時の演劇人および演劇愛好者にとって、そのセンスと志とアンテナの感度を試される、ちょっとした文化的事件だったようだ。40年以上経った今となっては、この来日公演を観ている人は、The Beatlesの日本武道館ライブを観ている人並みの希少価値を持ち、崇められていると言っていいかもしれない。

ピーター・ブルック(パリ初演の翌9月16日ピーター・ブルックのアトリエにて撮影)
ピーター・ブルック(パリ初演の翌9月16日ピーター・ブルックのアトリエにて撮影)

現代演劇の頂点と言われつつも、難解な講釈をたれるような態度が微塵もない

そして『夏夢』の15年後、ふたたび「事件」レベルのピーター・ブルック旋風を巻き起こしたのが、『マハーバーラタ』(1985年)だった。原典は「ここに書かれていないものは、他のどこにもない。他にあるものは、全てここにある」と言われるほど、人類の営みすべてを網羅した、古代インドの長大な叙事詩。ピーター・ブルックと共同脚本のジャン=クロード・カリエールは、約10年の歳月をかけてサンスクリット語の原典を読み込み、「賭け」「追放」「戦争」の3部作からなる戯曲を完成。2つの家族間で延々と続く戦いと、関わる人々を描き、なんと全9時間の演劇作品に仕上げた。

『マハーバーラタ』は1985年に、フランスの『アヴィニョン演劇祭』で初演され、その年の同演劇祭の話題を独占。『夏夢』同様、世界中で評判となった後の1988年に来日公演が実現した。このときのことは、ギリギリで経験している。


20世紀の演劇界に絶大な影響を与えていたブルックによる、「頂点を示す集大成的傑作である」と喧伝されているのを知り、わけもわからず今はなき銀座セゾン劇場のジーンズシート(学生限定の当日券)に並んで、初めてその豊穣なイメージの世界に接したこと。現代演劇界の頂点と言われつつも、高みから難解な講釈をたれるような態度が微塵もなく、観客の目線でシンプルかつ根元的な物語が展開し、「火」「土」「木」などを使用したプリミティブで美しい演出に、素直に魅せられた記憶が残っている。

90歳になったレジェンドが、次の世界を見据えて描いた新作

あれからさらに約30年。驚くべきことにレジェンドはいまだ90歳にして現役、かつ冴え渡っており、自身の傑作『マハーバーラタ』を濃縮し濾過してほんの少しの純正エキスを抽出したような、約80分の新しい『マハーバーラタ』を生み出した。その名は、この11月に日本でも上演される『Battlefield「マハーバーラタ」より』。「戦場」というタイトルだが、舞台は長い戦争が終わった後の、遺体が散乱する悲惨な焼け跡。肉親を含む7億人を超える犠牲者を出して勝利した戦争について、罪悪感と虚しさを抑えられないパーンダヴァ軍の総帥ユディシュティラが、よりどころを求めてさまよう物語だ。

『Battlefield「マハーバーラタ」より』パリ初演

『Battlefield「マハーバーラタ」より』パリ初演
『Battlefield「マハーバーラタ」より』パリ初演

ブルック作品の特徴である「なにもない空間」はさらに徹底され、舞台上には布と数本の竹と2つの黒い箱のみ。4人の俳優が代わる代わる主要人物や動物に扮して、絶望するユディシュティラに示唆に富んだ言葉を投げかける。『マハーバーラタ』でも音楽を担当し、奏者の一人でもあった土取利行が、今回はジャンベのソロ演奏で物語に呼応する。すべてが最悪のかたちに収束した世界で、人はどうすればいいのか? ユディシュティラと同じ境遇がじつは目の前に迫っているかもしれない、現代の私たちにも心の準備を促す、とてもアクチュアルな舞台だ。

「今の世界はちょうど、頂点に達した後、暗黒に向かう渦中にあたるのですよ」(ピーター・ブルック)

9月16日、賞賛に包まれた『Battlefield 「マハーバーラタ」より』世界初演の翌日、パリでインタビューに応じたブルックは、ヒンドゥー教の世界観である「ユガ」という概念、世界周期を例にあげて語った。

「ユガは春夏秋冬のように始まりから終わりまで4段階に分かれていて、今の世界はちょうど、頂点に達した後、暗黒に向かう渦中にあたるのですよ。そんな状況の中で、私たちは何ができるのか。それを考えてこの作品を創ったのです」

『Battlefield「マハーバーラタ」より』パリ初演
『Battlefield「マハーバーラタ」より』パリ初演

穏やかにほほえむ90歳のピーター・ブルックは、もうひと足先の世界を見据えていた。この作品が2015年の日本でどう響くのか、11月の来日公演を楽しみにしたい。

イベント情報
『Battlefield「マハーバーラタ」より』

2015年11月25日(水)~11月29日(日)
会場:東京都 初台 新国立劇場 中劇場
脚本:ピーター・ブルック、ジャン・クロード・カリエール、マリ―=エレ―ヌ・エティエンヌ
演出:ピーター・ブルック、マリ―=エレ―ヌ・エティエンヌ
音楽:土取利行
出演:
キャロル・カルメラ
ジェア・マクニ―ル
エリ・ザラムンバ
ショーン・オカラン
英語上演 日本語字幕付き
料金:一般7,000円 U-25チケット3,500円
前売り開始:2015年9月26日(土)

プロフィール
ピーター・ブルック

1925年ロンドン生まれ。オックスフォード大学在学中、『フォースタス博士』で初演出。1946年、シェイクスピア記念劇場(現RSC)において史上最年少の演出家となり『恋の骨折り損』を演出。その後も『リア王』、『真夏の夜の夢』、『アントニーとクレオパトラ』などを演出。1971年、ミシェリーヌ・ロザンと共に国際演劇研究センターをパリに設立。1974年には、20年以上廃墟となっていたブッフ・デュ・ノール劇場を開場し、『鳥の会議』『桜の園』『テンペスト』『マハーバーラタ』など話題作を次々と発表。映画監督としても活躍し、『蝿の王』『雨のしのび逢い』『注目すべき人々との出会い』など。主な著書に、15か国以上に翻訳された『なにもない空間』『秘密は何もない』、自伝『ピーター・ブルック回想録』など。



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