「フジワラノリ化」論 第8回 堂本剛 彼は“本格派”なのか 其の二 「硝子の少年」の磨かれ方

其の二 「硝子の少年」の磨かれ方

「じっちゃんの名にかけて」と堂本剛が金田一少年を演じていたのは95年頃のこと。堂本剛の隣で「はじめちゃんっ」とヒロイン役を演じていたのがともさかりえなのだから、時の経過を感じざるを得ない。今、ともさかりえが必死に第一線への復帰を狙っているが、ママタレントという混雑した市場に乗り込もうとしているがために、いまいち成果が見えてこない。さかともえりと名前をひっくり返しても需要がくっ付いていった時代もあったのだ。妙な言い方だが、時の経過は、時は経過するのだ、ということをやっぱり教えてくれる。トップでいる為に出来ることは限られている。どうしたってその人はその人なのだから、その人の小さなギアチェンジよりもそもそも違う誰かへと興味を移してしまう。アイドル、と呼ばれる人たちは、その残酷さに苦しめられていく。チヤホヤされる、しばらくすると、ところでキミはどうやって長生きしていくつもりなの、と、冷淡な視線が降り注がれる。僕は僕のままです、僕は今までの僕とは違うんです、そのどちらを答えようとも、そもそも冷淡な視線を浴びせかけられた時点で、その視線を解消する手段はないのだから、延命を絶たれている。アイドルの通史を考えてみると、それは熱狂と冷淡の鞍替えの歴史である。僕らは、太陽とシスコムーンをそれなりに楽しんでいた事実も、トイレに集まって雛形あきこのグラビアを嗜んだあの日の昼休みも、反町隆史が「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」と毒を吐いていたあの環境についても、忘れてはならないと自覚しつつ、その自覚自体を忘れてしまっているではないか。だから、アイドルにとって最も難儀なのは、輝くことではなく、輝き続けることである。

「フジワラノリ化」論 第8回 堂本剛

堂本剛がジャニーズ事務所に加入するのは91年、翌年には堂本光一とコンビを組んでいる。現在では歌っている2人の姿が板に付いているが、彼らがCDデビューしたのは97年である。しばらくの間、歌を出さなかったのだ。金田一少年のころ、彼はジャニーズのニューフェイスとして、正に「少年」を全面に押し出していた。一方の堂本光一は、「王子様」である。グループではなく2人組である。少年と王子様として、それぞれが相応のキャラクターを確固にしていく道程を見せつけたのだ。その強度はコンビの力として帰結した。グループだとそうはいかないものだ。現在で言えばKAT-TUNやNEWS辺りが、中軸と中軸以外に分かれて見えるのも、キャラクターの統制(それぞれを差異化する、という意味)を図る前に各々の活動を散らしてしまったからであろう(デゴマス、とかね)。しかし、Kinki Kidsには、その心配は無かった。CDデビューまでの5年間、堂本剛は「少年」、あるいはそれは学校の保護者会的評価でいえば「元気そうなお子さんで」というクラスの好青年的な評価だったかもしれぬが、とにかくその少年性を見せつけた。ジャニーズ事務所という特権を忘れさせる、ハードルの低い親しみやすさがあったのだ。

うちの母親は堂本剛のことを、「いっつも飴玉を舐めてるような顔」と評す。ほっぺたに、大きな飴玉が入っているような気がする、と言うのだ。この意見を踏まえて彼を眺めていると、おお、確かに飴玉の存在を疑いたくなる。太っている、というわけではない。ぽっちゃりとかぶくぶくとかニュアンスの問題ではない。飴玉が入っていそうな顔と言い表す他ないのだ。太って顔がパンパンな場合、ほっぺたは全体的に膨れる。それこそアンパンマンのように顔が真ん丸になる。しかし、堂本剛の顔はそうならない。ほっぺたの下半分だけが膨らんでいるように見えるのだ。それはちょうど、小学生が駄菓子屋で10円のデカい飴を買ってパクついて帰る、あの時の顔にそっくりなのである。

その飴玉顔と比較する意味でも、堂本光一について少しだけ触れておこう。彼の「王子様」としての認知は堂本剛の少年性の対岸にいたからこそである。両者に流れるコンビとしての結束をこちらで自由に図太くできたのだ。堂本光一を白馬の王子様として憧れてみる女性陣の大抵は、世の男性が白馬の王子様になり得ないということを知っている。大体は半ばで落馬するし、そもそも馬に乗らない男性が殆どだと諦めている。でも、いてほしい。その願いはある。だから、何とかそういう幻想を引っ張れるアイコンが欲しい。堂本光一は、その「王子様」視線を存分に浴びてきた。浴びて、浴びたなりに王子様目線を振りまいた。だから、現在の彼には、やや不満がある。それは彼が、王子様でいることを諦め、オジサンキャラにシフトチェンジしている所に因る。オジサン的認知と言えばTOKIOの城島だが、堂本光一の「オジサン」には彼のような開き直った開放感が無い。具体的に言えば、リーゼント風の髪型にしてしまえるほどの覚悟は無いのだ。「新堂本兄弟」などを観ていると、堂本光一が若いタレントに向かって、オジサンの不都合、加齢による不自由で笑いをとろうとする場面に出くわす。客も周りも信奉者だから笑いは起きるが、堂本光一が自身で王子様を諦めたことを笑いに繋げようとしているのには、いささか疑問が残る。

堂本剛は、飴玉を舐めているような顔をし続ける。かといって少年っぽさを必死に守ってきたわけではない。むしろ個人としては、単なるアイドルの誰それとしての評価から真っ先に抜け出したがった一人だろう。その動向については別項を設ける予定だが、Kinki Kidsという優遇に、堂本剛が酔いしれることは無かった。SMAPやTOKIOの弟分であることを隠さずに後輩キャラを遵守し、後輩なりに更なる後輩が出来れば先輩っぽさを垣間見せた。ジャニーズというファミリーツリーは、ファンにとってはご馳走だらけのフルコースだが、一般的な視聴者にとっては、負のイメージが強い。ジャニーズがこの世界をやたら牛耳っていることを、直接的にでも間接的にでも体感している。堂本剛は、その業界臭を解きほぐす役割をもっていたように思う。堂本剛に、カッコいいかカッコ良くないか、抱かれたいか抱かれたくないか、というような、女性誌的ジャッジが下されにくいのも、出始めにあった少年性をいつのまにか「顔の広い友人」的なラインに落とし込むことに成功したからだろう。それは現在の「正直しんどい」として結実している。92年にデビューし、97年に歌手デビューした彼ら、あの頃は本当に、「硝子の少年」だった。磨かれていた。周囲が磨き、自分たちでも磨いていた。少年になる為に、王子様でいるために。おそらく堂本剛は、このまま磨きすぎるとすり減ってしまうに違いないと読んでいた。アイドルとしてカッコ良さを突き詰めるだけではダメなんだ、長持ちしない、そう気づいてから彼は、少年性の持ち運びに気を配った。白馬の王子様を遵守するもう一人と、その堂本剛の少年性が、14歳の少年が児童を殺し、キレる17歳が蔓延した不安社会に、レアな清らかさを漂わせたのだった。少年と王子様、とりわけ少年のほうは、現実的なアイドルとしての所作にこだわった。こだわった後で、疑った。羨望に酔いしれなかった。ここから堂本剛の自我の問題が表出するのだが、ひとまずはこの問題は先送りにしておこう。次回は、「なぜ、光一を『相方』と呼ぶのか」と題して、相方との関係性の構築方法、ジャニーズタレントとお笑いタレントの親和性について等々、話を広げていきたい。



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