「痛み」が僕らを現実に引き戻してくれる 山川冬樹インタビュー

ロシア連邦トゥバ共和国に伝わる喉歌、ホーメイの歌手であり、心臓の鼓動や頭蓋骨の響きなどを、電子聴診器や骨伝導マイクなどを使って可聴・可視化した唯一無二のパフォーマンスで世界的に知られる山川冬樹。彼が2011年に出演した、三島由紀夫原作、宮本亜門演出の舞台『金閣寺』が今年4月再演されることになった。

初演では、いわゆる商業演劇作品でもある同作の中で、ハイインパクトなパフォーマーとして、観念的な役どころ「鳳凰」を演じきり、周囲を驚かせた山川。メインキャストが全て入れ替わった再演でも、重要な役を続投することになった山川に、舞台『金閣寺』について、そしてあらためて三島由紀夫というアーティストについて詳しく話を聞いた。

※山川は2011年に、一人のアートコレクターに自らが口にする「パ」という音節を100万円で売却。24時間、365日、「パ」という音節を一切口にせずに生活するというプロジェクトを開始、現在も継続中。インタビュー中の「パ」はすべて「ピャ」という音節に代えて発音されたため、その通りに表記させていただいています。

僕だけジョーカーみたいな存在でしたね(笑)。でも、亜門さんは僕をうまく機能するように使ってくれたと思います。

―山川さんが宮本亜門さん演出の舞台『金閣寺』に出演されると聞いたときは驚きましたが、金閣寺の鳳凰の役だと聞き、半分は納得、半分はさらに驚きました(笑)。まず、オファーを受けたときのことから教えていただけますか。

山川:まず僕は、いわゆる演劇作品に初めて出たのが、飴屋法水さんの『4.48サイコシス』(2009年)でした。亜門さんはそこで初めて僕を観て、その後に僕がやった『黒髪譚歌(こくはつたんか)』(2010年)という自作自演の舞台も観に来てくださって、その後にプロデューサーさんから連絡があったんです。「金閣寺を象徴する役をやってほしい」と。そのときは、どういう役なのかよくわかりませんでしたが(笑)、あまり迷わず引き受けました。

『金閣寺』(2011年)
『金閣寺』(2011年)

―初演はニューヨーク公演などを挟み、稽古も含めるとトータルで1年以上となる長期プロジェクトでしたね。

山川:音楽の世界はずっとサイクルが早いので。それに比べると確かに拘束は長かったですね。でもちょうどその頃、長期的なプロジェクトに関わってみたいという気持ちもあったので、長い時間1つの作品に取り組むのは、良い経験でした。

―実際に、それまでと違うペースの作品作りに関わった印象は?

山川:これまでも、それなりに稽古期間の長い現場は経験してきたんです。『黒髪譚歌』や『Pneumonia』など、ソロのシアターピースを二つ作ってきましたし、飴屋さん演出の舞台も、川口隆夫さんや横町慶子さんなど、ダンサーや役者さんとのコラボレーションも、蛍光灯の音具「OPTRON(オプトロン)」で演奏するアーティストの伊東篤宏さんや、ドラびでおの一楽儀光さん、ストリップダンサーのMASHとユニットを組んで、『ヴェネチアビエンナーレ』のダンスフェスティバルに参加したときも、稽古やリハーサルにはそれなりの期間を費やしました。でも亜門さんの現場が大きく違ったのは、建物を建てるみたいに作品が出来上がっていくところですね。

山川冬樹
山川冬樹

―まず土台、次に柱というように、順序立ててということですか?

山川:そうです。設計図通りにつつがなく作品が組み上がっていく。これまで僕が知ってる現場はだいたい手探りで、いろいろな試行錯誤を経て何とか出来上がって行く感じだったのですが、『金閣寺』は制作の行程がかなりはっきりしていて、ベテランの役者さんが多いからか、演出家が要求したことにすぐ応えられて、とても建設的にものごとが進んでいるように見えました。

―その中で山川さんはどういう立ち位置だったのでしょう? 小説の地の文にあたる部分も発話されていたり、全体としては台詞の多い作品ですが、山川さんはホーメイを歌うなど、与えられた表現方法が他の俳優と違いました。

山川:僕だけジョーカーみたいな存在でしたね(笑)。やはり僕は役者じゃないので、ぜんぜん芝居は得意じゃないんです。でも亜門さんは、そういう僕をサンプリングして、舞台でうまく機能するように使ってくれたと思います。もちろんお芝居ですから「ここで溝口(主人公)を見つめる」といった指示もあって、そういうところは少し頑張ったんですが(笑)。ただ、亜門さんはこの作品をいわゆるオーソドックスな「お芝居」にはしたくないという気持ちがあったから、僕や大駱駝艦のメンバーを投入したと思うんです。だからこちらから「こんなのはどうか?」と実演してみせて、いくつか提案した中から亜門さんが選択することも多かったですね。

山川冬樹

―ジョーカーのような存在、というのは言い得て妙ですね。ストレンジャーだから混じり得ないし、いざというときは何者にもなり得る。

山川:やはり飴屋さんとの『4.48サイコシス』に出演したことが大きかったです。演劇作品に出たのはそれが初めてでしたし。「演技をする」のでなく、「そうあるべくして舞台の上に存在する」ということをそこで知りました。

―では舞台に存在することについては、『金閣寺』ではあまり苦労せずできた?

山川:「そこで菩薩のように微笑もう」と言われて、実はいまだにそれは苦労してるんですけど(笑)。それでも僕はジョーカーとして、僕のままでいながら舞台に存在させてもらっている気がします。でも、舞台に出ても、二息しか歌わせてもらえなかったりして、実はもっとガンガンやりたいなぁとか思ったりもしたんですよ。僕は歌手だし声を出してナンボだと思っているので。でも、観にきた人から、客席から観ると、僕の存在と不在が、すごく効果的に生かされていると聞いて「なるほど」と。

文体も、思想も、死に方も好きじゃないんですけど、三島由紀夫という人間のことをきっと僕は好きなんだと思います。

―もともと、三島由紀夫や原作の『金閣寺』に惹かれていた、ということはあったんでしょうか。

山川:かなり複雑な思いが三島由紀夫に対してあります。まず父が、三島由紀夫を大嫌いだったんですよ(笑)。父はフジテレビのニュースキャスターだったんですが、特派員時代は世界各地の戦争を取材していたこともあり、典型的な戦後のリベラルな考えの持ち主でした。その影響もあって、子供心になんとなく三島に否定的な印象を持っていたんです。とはいえ、学生になってから小説をいくつか読んでみたんですけど、文章が人工的でガチガチに固められていて、「これでもか!」と、くどいほど描写し尽くすでしょう? そういうところも肌に合わなかった。ただ、ずっと気になる存在だったことは確かです。それはやはり、あの人の遂げた最期というのがあまりに強烈だったので。嫌いだけど心に刺さったままずっと抜けない棘のように、僕の中に決して無視できない異物として存在し続けていたという感じです。

『金閣寺』チラシ
『金閣寺』チラシ

―どんなジャンルであれ日本で表現に関わる人にとって、三島由紀夫をどうとらえるかは、必ず向き合わなければいけない問題かもしれません。

山川:日本について考えるときに、あるメルクマールとして機能する、重要な存在であることは間違いないですよね。文体も、思想も、死に方も好きじゃないんですけど、三島由紀夫という人間のことをきっと僕は好きなんだと思います。それは彼がどこまでも正直でフェアな人だったから。彼は自分の思想が本質的にアナーキーなもので、そのエネルギーはテロをも起こしかねない暴力的なものだということをよく自覚していた。だからこそ、それをドラマティックなピャフォーマンス(パフォーマンス)として見せつけこそすれ、決して人に押し付けたりはしなかった。その結果、人を殺す代わりに自分を殺さなければならなかったんじゃないかと僕は思うんです。彼の死に方を美化したくない気持ちがある一方で、僕の中に、そんな風に生ききった人のことを愛さずにはいられない、という分裂した気持ちがあるのは確かです。

―死をどう考えるか、どこに配置するかもまた、表現者が向き合わざるを得ないテーマですが、山川さんのパフォーマンスはそれを強烈な形で観客に提示しますよね。心臓の鼓動を自由にコントロールし、それを電球の明滅と同期させたり、自分の頭蓋骨を叩いてその振動をマイクで拾い、パーカッションのようにして聴かせたりと、生きている自分の身体を直接的に使います。三島の割腹自殺に対して意識的になるのはよくわかる気がしますが。

山川:海外で心臓の鼓動を使ったピャフォーマンス(パフォーマンス)をやると、よく三島を引き合いに出されるんです。心臓の鼓動を一時的に止めて、失神して倒れてしまうこともあるので、それが彼らには三島の自決に重なって見えるのでしょう。僕は切腹なんて怖くてできませんけど、自分の身体を破滅に向かわせることで、逆説的に生きる力を燃え上がらせるっていうのは、わからないでもないというか、実はすごくよくわかる。よくわかるゆえに、そのまま行くところまで行ったらすべて終わってしまうことも身をもって感じていて、どの時点で引き返すか? ということは、きちんと考えるようにしています。

山川冬樹

―芸術家が芸術に身を捧げることの恍惚に溺れたら、その供物として自分の身体を差し出すことは、まず最初に考えられる誘惑ですよね。

山川:でも、こんなことを言うと馬鹿みたいに思われるかも知れませんが……、今の僕は芸術活動をやりながらも、一人の人間として普通に生きて、自分の家族やピャートナー(パートナー)を大切にするといった普通のことを、ちゃんとしたいと思っているんです。これが僕にとっての「大義」といっていいかも知れません。以前はステージで心臓を止めて、死んでもいいと本気で思ってたんです。それはヒロイズムやエゴのようなものかも知れないのですが、そういう暴力的な自己犠牲を至上のものとして信じていたような時期もありました。でもあるとき、とても大切な人を亡くしたことや、その数年後に起きたあの震災を契機に大きく意識が変わっていきました。

―三島の場合は、自分の身体との付き合い方に政治的な思想も深く絡んでいました。

山川:確かに彼の身体と思想と文体は良く似ていますよね。僕は政治的なことに足を突っ込みすぎるとちょっとやばい……というか、溝口みたいになってしまうかも知れないという自覚があるんです。2003年にイラク戦争が起こりましたよね。あれはイラクが大量破壊兵器を保有していることを口実に、アメリカがイラクに侵攻する形で始まった戦争でしたが、最初から大量破壊兵器なんてないことはみんなわかっていた。にもかかわらず、日本はいち早くアメリカへの支持を表明しました。どう考えてもそれはおかしい、と僕はずっと憤りを抱えていたんです。そんな折り、その年の衆議院選で、近所に当時の首相が応援演説に来たことがあったんです。たまたま通りかかると、聴きおぼえのある声がする。そしてふと振り返り、街宣車の上にいるその人物の姿を目の当たりにした瞬間、ものすごい殺意が芽生えたんですよ。そのときテロリストの気持ちが手に取るようにわかって、後からとても怖くなりました。この殺意は行為として現実化し得るんだと。国家の最高権力者を前にして僕は、「金閣は焼かねばならぬ」と言う溝口と同じファナティックな心理状態にあったんだと思います。

―『金閣寺』の最後のほうに描かれる、溝口と友人の柏木の有名な問答、「世界を変えるのは認識か? 行動か?」にも繋がるお話ですね。

山川:そうですね。ちょっと話はズレますが、その認識か行動かの話で言うと、『金閣寺』と梶井基次郎の小説『檸檬』を引き合いに出してみると興味深いんです。『金閣寺』の主人公は実際に金閣寺を燃やしますよね。つまり行動で世界を変えようとする。『檸檬』の主人公は丸善書店の本の上にレモンを置いて店を出て、妄想の中でそれを爆弾に見立てて爆発させる。つまり認識によって世界を変えようとします。三島は梶井基次郎をすごく評価していましたから、溝口と柏木のこの問答のシーンを書きながら、頭の隅には『檸檬』のことがあったんじゃないかなと思うんです。そして最終的に主人公に真逆の行動をとらせる。『金閣寺』を、三島自身の『檸檬』に対するレスポンス、あるいは先人、梶井への彼の態度表明として読むこともできるんじゃないでしょうか。

絶対にわかり得ないんですけど、死に直面した身体が感じた苦痛そのものを、自分の身体で想像しようとしてしまうんです。

―山川さんは一貫して身体性……というか「性」も超えた「身体」で行動を起こして表現を立ち上げていますが、時代はどんどん身体を失っていますよね。かといって認識の許容量も大きくなってはいない。そういう中で虚しさを感じることはありませんか。

山川:うーん、世の中にはぜんぜん楽観的にはなれませんが、たぶんこの先も自分は自分のやることを淡々と続けるしかないと思っていて。でも……、虚しさというより怖いかな。さっきも言いましたけど、僕は普通に生きていきたい気持ちがあるんですが、果たしてそれができるのだろうかと。自分にとっての「普通に生きること」と、世の中にとっての「普通に生きること」が、これからどんどんズレていくような気がして。それでも何とか生きていかなければなりません。

―今、質問として虚しさという言葉を使ってしまったんですが、山川さんのパフォーマンスのダイレクトさには、虚しさという脆弱な感覚も吹き飛ぶと言いますか、自分の身体を一瞬で鮮烈に意識させられます。

山川:父はジャーナリストとして戦場にも特派員としてよく行ってたんです。だから戦争のこと、特に中東の戦争は子供の頃から身近で、戦争を概念的なものでなく、そこで現実に殺される人がいるということを父を介して肌で感じながら育ちました。父が危険な目に遭った話もよく聞かされていましたし、当たり前のように人間の身体が破壊され、血が流され、命がなくなっていくということを教えられた。だから戦争報道を見ても、可哀相だという感情よりも、まず殺された人の身体が感じた苦痛そのものを、自分の身体で想像しようとしてしまう。それは絶対にわかり得ないんですけど、感情移入じゃなくて身体移入しようとしてしまうんですよ。だから三島の自決にも同じような想像をどうしてもしてしまいます。

―山川さんの場合、感情じゃなく身体で移入してしまうんですね……。

山川:はい。ホーメイを習得できたのも、身体的に移入する勘に長けていたからかも知れません。「痛み」というものを特権化してしまうと、おかしなことになりがちなんですが、身体を忘れて概念だけが一人歩きしようとするときに、「痛み」が僕らを実体を持った「私」へと強制的に引き戻してくれるのは確かです。その直接性、即物性ゆえに「痛み」は、あらゆる概念化に抵抗するというか。普段から身体に注意深く耳を傾けていれば、わざわざ痛い思いをする必要もないのですが、僕は自らの身体をメディアとして扱って表現する者として、やはり「痛み」の感覚は、とても根本的なものだと考えています。

―もともと『金閣寺』は小説だったので、舞台『金閣寺』は小説を戯曲化しているわけですが、そのために選んだ手法はストーリーを順に追ってリアルに再構築するのではなく、最初からリアリティーを手放したものでした。つまり抽象的な概念を表現して1つの世界観を提示していますが、その概念を象徴するのが鳳凰という役で、それを山川さんが何の扮装もせずに演じたことで作品を身体化できたし、一段深く概念化できたという感じがします。

山川:そうかもしれません。『金閣寺』はやはり三島自身の自画像であり、時代を超えて僕らに問いを投げかけ続ける作品ですよね。自決する前の年、三島は東京大学に単身で乗り込んで、全共闘の学生たちと公開討論をしたことがあるんです。思想が対立する学生たちに、真っ向からフェアに向き合っていて、その姿勢には感動させられるんだけど、学生たちの舌鋒もかなり鋭くて、微妙にやりこめられそうになったりもしてるんですよね。

左から:水橋研ニ、柳楽優弥、水田航生
左から:水橋研ニ、柳楽優弥、水田航生

―そうなんですね。

山川:討論の終盤、「なぜ、天皇にそこまでこだわるのか?」との問いに、彼は「揚げ足を取られるからこんなこと言いたくないんだけど」と前置きしながら、学習院高等科の卒業式を振り返ってこう言うんです。「そのとき、天皇陛下から時計を貰ったという個人的な恩顧がある。人間には個人的な歴史というものがあり、そういうものはどうしても否定できないんだ」と。「えっ、そこかよ!」みたいな(笑)。でも、それはすごく良くわかる。やはり僕には僕の否定しがたい個人史があって、僕の認識も行為もそこに根ざしています。では、それはいかほどのものなのか、と三島は常に問いかけてくるんです。僕が重要だと感じるのは、三島の思想の内容やイデオロギーではなく、彼の問いを投げかけるエネルギーそのものなんですね。そのエネルギーは今の日本を生きる僕たちにも、ずっと作用し続けていると思うんです。

柳楽さんは顔合わせでお会いした時点で、すでに溝口のオーラが出ていて驚きました。

―その『金閣寺』の4月に行なわれる再演では、メインの役どころの俳優がガラッと変わりますが、新しいキャストによって山川さんの演技も変化しそうですか?

山川:再演の顔合わせで稽古場に行ったときに感じたのは、「あ、またここに戻ってきてしまった」みたいな、同じ時間と空間にタイムスリップしたような感覚です。同じ夢を何度も見ることってあるじゃないですか。あれに近い感覚でしたね。2011年1月のKAAT神奈川芸術劇場での初演から、日本は歴史的な激動を経験し続けているのに、『金閣寺』の中の世界は変わらない。そのピャラレル(パラレル)ワールド感が凄くて、狐につままれたようでした。作品とは、それが受容される時代との対比において、さまざまな意味を持ちうるものですが、とりわけ『金閣寺』は僕にとって、時代を定点観測的に見るレンズのような役割を果たし始めているように思います。

山川冬樹

―山川さんにとって、東日本大震災前までの日本と、2014年の現在とでは、どのような変化を感じられていますか?

山川:例えば2009年、前年に更迭された元航空幕僚長の田母神敏雄さんの退官を祝うピャーティー(パーティー)のスピーチで、現総理の安倍さんは、三島の自決にふれて「あのとき、三島さんの演説を田母神さんが聞いていたらどうなっていただろう」と語っているんですが、その田母神さんが、先の東京都知事選では61万票を獲得し、三島が市ヶ谷駐屯地のバルコニーから飛ばした檄の通りに、今や憲法改正の動きは現実味を帯び、自衛隊は国軍化されようとしている。三島はまるで演劇のようにドラマティックに、自身の人生を生きた人ですが、時代がまさに彼の描いたドラマの通りになってきているのを感じずにはいられません。しかし、三島の生きていた時代と決定的に違うのは、先ほど言われたように、今がとても身体性が希薄な時代だという点です。「痛み」ですら概念化されている。ですから今、生身の身体をもって『金閣寺』が再演されるということは、とても意味のあることだと思います。そう考えると『金閣寺』という作品の本質は不変でも、やはり金閣に対峙する溝口役が柳楽優弥さんに変わったことは大きいですよね。柳楽さんは顔合わせでお会いした時点で、すでに溝口のオーラが出ていて驚きました。それに呼応して僕がどう変化していくのか、自分でも楽しみです。

イベント情報
『金閣寺-The Temple of the Golden Pavilion-』

2014年4月5日(土)~4月19日(土)
会場:東京都 赤坂ACTシアター
料金:S席8,500円 A席6,000円(全席指定) U-25チケット4,500円(25歳以下、チケットぴあにて前売りのみのお取扱い)、高校生以下2,500円(4月5日(土)18:30、6日(日)13:30公演のみ対象、チケットぴあにて前売りのみのお取扱い)
原作:三島由紀夫
演出:宮本亜門
出演:
柳楽優弥
水橋研ニ
水田航生
市川由衣
高橋長英
大西多摩恵
花王おさむ
山川冬樹
磯部勉
大駱駝艦(村松卓矢、湯山大一郎、若羽幸平、橋本まつり、小林優太、宮本正也)
岡田あがさ
天正彩

アフタートーク
4月6日(日)13:30公演終了後 宮本亜門×柳楽優弥
4月10日(木)13:30公演終了後 柳楽優弥×水橋研ニ×水田航生
4月12日(土)13:30公演終了後 宮本亜門×水田航生
4月17日(木)13:30公演終了後 水橋研ニ×藤原道山(ゲスト)テーマ「柏木が尺八を奏でるということ」
※公演終了後、約5分の休憩をはさんでアフタートーク開催。観覧には該当公演のチケットが必要。

プロフィール
山川冬樹(やまかわ ふゆき)

ホーメイ歌手 / アーティスト。自らの声・身体を媒体に視覚、聴覚、皮膚感覚に訴えかける表現で、音楽 / 現代美術 / 舞台芸術の境界を超えて活動。己の身体をテクノロジーによって音や光に拡張するパフォーマンスを得意とし、歌い手としては日本における南シベリアの伝統歌唱「ホーメイ」の名手として知られる。活動の範囲は国内にとどまらず、これまでに15か国でパフォーマンスを上演。自ら構成・演出を手がけたパフォーマンス作品『黒髪譚歌』、『Pneumonia』(『あいちトリエンナーレ2010』)などもある。パフォーマンス活動の一方で、展示形式の作品も発表。声と記憶をテーマにしたインスタレーション『the Voice-over』(2008年)は、東京都現代美術館に収蔵されている。



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