アーティストをやめる、苦渋の決断が生んだ現代芸術チーム「目」

7月18日から資生堂ギャラリーで個展『たよりない現実、この世界の在りか』展を開催する現代芸術活動チーム目【め】は特異なアーティストグループだ。現象を知覚化することをコンセプトとし、東京藝術大学大学院卒業とほぼ同時に東京都現代美術館への作品収蔵が決まった俊英・荒神明香。一般から広く募ったアイデアを大勢との協働体制で実現するプロジェクト型の作品で知られるwah document(わうどきゅめんと / 南川憲二+増井宏文)。それぞれ、若手アーティストの中でも精力的な活動で注目を集めた2組が、それまでのキャリアを一旦リセットして、目【め】を結成したのである。目的は荒神の中にあるイメージやコンセプトを実現すること。そのためにwah documentの2名はアーティストとしてのキャリアを半ばストップするかたちで、目【め】に参加している。アーティストが批評家や評論家になるケースは美術史を遡ればいくつも例がある(その逆もしかり)。だが、他のアーティストのためにアーティストを辞め、制作とディレクションに徹する決断はきわめて稀だ。その大きな決断へと3人を導いたものとは何だったのか? 個展を前に多忙な毎日を過ごす南川と荒神にインタビューした。

自分から見れば本当に天才にしか見えない荒神のアイデアを実現するために、僕たちが本気で突き詰めていければ、より強烈な「アートの実感」が得られるんじゃないかと思った。(南川)

―目【め】って、シンプルで非常に覚えやすいグループ名ですよね。そんな名前をつけた理由から教えていただけますか?

南川:最初は……直感でしたね。

荒神:ある日、トイレに入っていた南川くんが「いい名前思いついた!」って言いながら飛び出してきて、それが目【め】だったんです(笑)。

左から:南川憲二、荒神明香
左から:南川憲二、荒神明香

―まるで啓示のように(笑)。

南川:あとで考えてみると、荒神は空間に現象を起こすような作品を作っていて、「肉眼に届ける」って言葉をよく使っていたんです。それは美術に関わらず、現象として起こっていることを、人の網膜に残したいという意味だったんですね。そして僕がやってきた表現活動wah documentは、いろんな人が思いついたアイデアが作品として実現する瞬間を、参加者と一緒に「目のあたり」にすることをテーマにしてやってきた。そこで両者に共通していて、かつシンプルな目【め】がいいなと思ったんです。あと海外でも活動していきたいと思っていて、目【め】なら全世界共通で呼んでもらえるかもしれないと。

―目【め】の結成を知って一番驚いたのは、すでにいろんな展覧会やプロジェクトで活躍して知名度もあった荒神さんとwah documentが一緒になったということです。以前から交流はあったんでしょうか。

南川:そうですね。荒神の作品のアイデアを僕も出していたり、wah documentの展示方法とかで荒神に助けてもらったり、お互いに関わりはあったんです。でも、wah documentのほうがもう限界だったというか……。

堀wah47『家を持ち上げる』協同制作「ORERA」
wah47『家を持ち上げる』協同制作「ORERA」

―限界?

南川:これまで、一般の方から集めたアイデアが3000以上あって、『家を持ち上げる』とか、『ふねを作って無人島に行く!!』とか、60近くを作品として実現してきたんですけど、だんだんこういう素材で、こういうふうにやれば形になる、というのが予測できるようになってしまって。

―活動が定型化してきた?

南川:そもそも僕たちは「うわ!」と思えるような、「アートの実感」みたいなものを確かめたくて活動してきたんです。wah documentのプロジェクトって、参加者も僕らも、泣くくらい真剣にやらないと成立しないんですよ。そのテンションを保つために、たとえば子どもだけでやるとか、言葉がまったく通じない国へ行くとか、いろいろ試してはみたんです。でも、やはり慣れて飽きてしまった感じがどうしても否めなかった。そのときに思ったのは、自分から見れば本当に天才にしか見えない荒神のアイデアを実現するために、僕たち(wah document)が本気で突き詰めていければ、より強烈な「アートの実感」が得られるんじゃないかと思ったんです。

堀wah35『川の上でゴルフをする』2009 東京・隅田川
wah35『川の上でゴルフをする』2009 東京・隅田川

―目【め】では、荒神さん(アーティスト)、南川さん(ディレクター)、増井さん(制作)という3人のメンバーで役割分担をされているそうですが、具体的にどういった方法で作品が生まれていくのですか?

南川:まず、荒神が話すアイデアやコンセプトを僕がひたすらメモって、それが作品の形として固まってきたら、増井に具体的にどれくらいの工数や人が必要なのかを相談して、スケジュールを組んで実制作が進行していくという感じですね。僕は制作中も完成に向けて荒神がフィニッシュできるように、いろいろ素材を用意して選んでもらったりとか、そういうこともしています。

トイレットペーパーを空中に投げて、長い紙が空気を泳ぐように落ちていくのが「めっちゃきれい!」と思ったんです。(荒神)

―お二人は、それぞれ独立したアーティストとして活動してこられたわけですが、そもそもこの道に進もうと思われたきっかけは何だったんですか? 以前のインタビューで、荒神さんが子どものときにトイレットペーパーを学校の窓から外に投げて遊んでいたというエピソードを読んだのですが、それは「表現」として意識されていたんでしょうか。

荒神:当時は表現なんてわからなくて、アーティストという存在も知りませんでしたが、単純にトイレットペーパーを空中に投げて、長い紙が空気を泳ぐように落ちていくのが「めっちゃきれい!」と思ったんですよね。当然、先生には怒られたんですけど、でもその遊びの経験が凄く大事なことだというのはずっと思っていて。その延長線上に今の活動があるような気はします。

堀荒神明香『reflectwo』2008 造花、アクリル、ワイヤー サンパウロ近代美術館 courtesy of SCAI, Tokyo
荒神明香『reflectwo』2008 造花、アクリル、ワイヤー サンパウロ近代美術館 courtesy of SCAI, Tokyo

―ご両親がアーティストだったりとか、芸術的な環境で育たれたんですか?

荒神:いえ、父親は税理士で母親はその手伝いをしているような、ごく普通の家族です。でもお母さんがちょっと面白い人で、トイレットペーパー事件で学校から呼び出されて怒られたときも、母は「それはきっと大事なことだと思うから覚えていたほうがいい」って言ってくれました。あと、めっちゃ雪が積もった日があって、普通の団地に住んでいたんですけど、スキーウェアフル装備で外に出て、家族全員でスキーをしていましたね(笑)。

荒神明香

―テンションの高い家族ですね(笑)。では、アーティストという存在を意識したのは?

荒神:中学3年くらいのときにテレビを見てたら、広島市現代美術館の『リアル / ライフ イギリスの新しい美術』(1998年)という展覧会のCMが流れてたんです。ダミアン・ハーストの蝶の死骸をたくさん貼付けた絵画や、サラ・ルーカスのストッキングに包まれた足が椅子から生えている彫刻の映像が、特に解説もなく流れるだけの不思議なCMだったんですが、それが妙に気になって。なんとなく自分に似たものを感じたんです。それで親に頼んで連れて行ってもらったのが、初めて「美術」について考えるきっかけでした。

荒神明香『contact lens』2011 レンズ、ワイヤー 東京都現代美術館 撮影:阿野太一 courtesy of SCAI, Tokyo
荒神明香『contact lens』2011 レンズ、ワイヤー 東京都現代美術館 撮影:阿野太一 courtesy of SCAI, Tokyo

―実際に展覧会を観ていかがでしたか?

荒神:こういうことを生業にしている大人がいる事実に凄くテンションが上がってしまって(笑)。ありえないものが空間に置かれていて、それが成り立っているという状況にビシビシ来て。私、自分の部屋のタンスの上に拾ったものを並べて、「いいなあ……」と眺めていたりしたんですけど、それをパブリックな大空間で自由にできている。「私もやってみたい!」と思いました。

「鳥肌が立つような瞬間=アートの実感」を探して、wah documentは活動してきた。(南川)

―一方で、南川さんがwah documentを始めようと思ったきっかけは何だったんですか?

南川:荒神とはまったく逆で。僕はちょっとアートっぽいことをすればオシャレでモテるんじゃないかという、むちゃくちゃ不純な動機で美大に入ったんですよ(苦笑)。それで入学したまでは良かったんですけど、見たことないような西洋風の机の上にマスカットとかが置いてあって、それをみんなでスケッチしたりするのが、古い時代のコスプレみたいでびっくりして。どんどん学年を重ねていくうちに「これはおかしい」「アートなんてどこにあるんだ?」と思うようになった。ヨーロッパから「アート」っていう概念を輸入して「美術」なんて言っているけど、本当のアートなんて誰が実感したことがあるのか? と。

南川憲二

―ある意味、突っ張った学生だったんですね。

南川:そんな大学も自分自身も凄くイヤで、自分なりの方法で「アートの実感」を探したくなったんですよね。それで同級生たちとwah documentを結成して、最初にやったのが、駄菓子のうまい棒を積み重ねて壁にする、というプロジェクト。みんなで貯金を出し合って、1万本のうまい棒を買って壁を作って。

wah01『うまい棒』2006年
wah01『うまい棒』2006年

―10万円分のうまい棒(笑)。

南川:アートと社会の接点でもあるアトリエの入り口に、うまい棒の壁を設置して、それをずっと監視カメラで撮影するっていう作品で。最後に映っていたのが、たまたまメンバー全員で壁をチェックしに行った瞬間、奇跡的に強風が吹いて壁が倒れて「うわー!」って叫んでいる自分たちの姿だったんですよ。

―偶然その瞬間に倒れたんですか?

南川:奇跡みたいでしょう。つまりその作品に誰が一番驚かされたかといえば、自分たち自身だった。そういう「鳥肌が立つような瞬間=アートの実感」を探して、wah documentは活動してきたんです。

アートで世界をひっくり返せるかもしれないと本気で思っている。だったら、そのアートを実現する手伝いがしたいと考えたわけです。(南川)

―そういった、ある意味「アートの実感」を疑ってきた南川さんにとって、荒神さんのようなアーティストはどのように映ったのでしょうか。また、荒神さんから見て、wah documentや南川さんの活動はどうでしたか?

南川:大学院で初めて出会った頃は、お互いにボロクソ言ってましたね(笑)。

荒神:東京藝大の大学院って、入ってすぐに新入生全員が自分の活動をプレゼンするんですよ。そのときに南川くんから「僕はこんな活動しているんだよ!」っていう、めっちゃやる気まんまんなメールがみんなに届いて。やっていることは私と全然違うけど、その根底にあるものや動機は似た部分があるんじゃないかとは思いました。でも「やりきれてないよね」というのも正直思ってて。「やりたいことはわかるけれど、それがぜんぜん形になっていないじゃん!」とは、ずっと言っていましたね。

左から:南川憲二、荒神明香

南川:僕らの世代って、既存の状況に対していかに否定できるかとか、リアリティーを掴めるかとか、少しヒネクレた視点のアーティストのほうが多かったと思うんです。だから、荒神のように物心ついた頃から「アートの実感」に目覚めて、それが現代美術の文脈とつながって、東京藝大に入って、まっすぐアーティストになろうと思うヤツなんて初めて見たし、絶対ウソついてるんだろうと(笑)。でもよくよく話を聞いてみると、荒神は本当に自分の作品でノーベルなんとか賞を取れるかもしれないって思っていて、僕は圧倒的に影響を受けてしまったんです。

―それまでの価値観をひっくり返す存在だったと。

南川:アートで世界をひっくり返せるかもしれないと本気で思っている。だったら、荒神が考えているアートを実現する手伝いができないかと考えたわけです。荒神は知らず知らずのうちに自分の範囲内だけで、全部を自分の手作業でやろうとしていたりするけど、もっと違う方法があるはずだし、もっとできるはずだと思っていた。むしろ僕らは「アートの実感」に対して確信が持てなかったからこそ、それを実体験する手法を確立することに燃えていたので、荒神とwah documentが一緒になれば、より凄い作品が実現するんじゃないかと思えたんです。

僕は今でこそ「荒神は天才だ」って言えますけど、当初は荒神へのコンプレックスで、リアルに神経疾患で救急搬送されたくらいなんです。(南川)

―最近はグループで活動するアーティストも増えてきましたが、やはりアーティストって、どうしても強いエゴを持たざるを得ないところがあると思うんです。もっともチームを作るのが苦手な人たちと言えるかもしれません。それに関する困難さはありませんか?

南川:最初は大変でした。僕は今でこそ「荒神は天才だ」って言えますけど、当初は荒神へのコンプレックスで、リアルに神経疾患で救急搬送されたくらいなんです(苦笑)。アーティストって、自分こそが唯一無二の作品を作れるはずだっていうくらいのモチベーションがないと、やっていけないと思うんですよ。

―特に南川さんは目【め】を結成してから、アーティストではなくディレクターに徹するという覚悟を決められたわけですよね。

南川:親に無理言って大学院まで行ったのに、アーティストじゃなくなるなんて申し訳ないし、怖かったです。荒神はギャラリー(SCAI THE BATHHOUSE)にも所属していて、作品もどんどん発表していたし、もちろんwahにも仕事の依頼は来ているから、それを止めるとなると迷惑もかけてしまう。さらに自分の心の問題というのが一番厄介で、下手をすれば本気でトラウマを負ってしまう危険も感じたんです。でも結局……割り切っちゃいました。

左から:南川憲二、荒神明香

―割り切れたんですか。

南川:FCバルセロナのサッカーとかを見て(笑)。

―(笑)。トイレでグループ名を思いついたエピソードといい、南川さんに啓示が降りてきたエピソードがけっこう謎です。

南川:バルセロナには、メッシっているじゃないですか。あとイニエスタとか。どっちもバロンドール(FIFA世界年間最優秀選手賞)が欲しい、世界最高の選手になりたいと当然思うわけじゃないですか。

―俺がトップになる、みたいな。

南川:でも、バルセロナはそこが整備されていて、チーム内が健全なんですよ。増井が調べてくれたんですけど、子どもチームのときからこいつは天才で、君たちはそうじゃないって分けられるんですって。だから最初からチームの中で自分は何ができるかを考えて、メンタルトレーニングをやっている。そう考えると、大学は年間何千人のアーティストを輩出しようと思ってんの? って気持ちになってきて。本当はより良い作品が世の中に出現することが一番大事で、誰もがアーティストになるよりも、やるべきことは他にもたくさんあるはず。そういうことは制作の増井も含めた3人で話し合いました。

目【め】のアトリエ風景
目【め】のアトリエ風景

―今でもチーム内でよく話し合っているんですか?

南川:集団で1つの作品を制作すると、誰が偉いとかイニシアチブを握るとか、微妙な心理がどんな人でも働いてしまうんです。それを整理するのが大変で。たとえば僕が「よしやるぞ!」とか言ってリードしていても、じつはカッコ付けたかっただけみたいなことになると、結局作品のクオリティーにも影響を及ぼしてくる。そういう経験を散々してきて。だから、基本的に週1回、メンタルトレーニングミーティングというのをしています。そこでは本音をすべて出さないとダメ、っていうルールで。ちょっとした疑問でも必ずしっかり主張する。いい年こいてケンカもするし、泣くまでやり合います。でも最後はハイタッチして、また1週間頑張ろう! ってなる。

一同:(爆笑)。

南川:でも、それがないと笑顔で会えないんですよ。恥ずかしいですけど、作品の詰めにも影響することですから。だから目【め】は1人の大きなアーティストとも言えますね。脳みそはこっちで、筋肉はあっちで、っていうコミュニケーションが細胞レベルでとれていないと、しょうもない理由で解散してしまうかもしれないから。

―それが、3人ではっきり役割分担して活動できている理由なんですね。サッカーで言うと、それぞれどういうポジションになるんでしょう。

南川:まっす(増井)はキャプテンだよね。何があっても動じない。

荒神:長谷部(サッカー日本代表キャプテン)かなあ。

南川:荒神は100%メッシですよね。もうドリブルとシュートしかしてくれない(笑)。僕は……監督的な感じなのかなあ。

左から:南川憲二、荒神明香

―バルセロナのシャビとか? チームの司令塔。

南川:あ、そうかもしれませんね。

―そういう中で、エースのプレッシャーというのもあると思うんですが、荒神さんいかがですか?

荒神:やるしかないです……、って感じですよね(笑)。

南川:本当にメッシみたいなこと言わないでよ(笑)。

ずっと迷っていたんですけど、このまま一人でやっていけたとしても、他のアーティストと同じような道を行くだけというのが面白くないなと思って。(荒神)

―でも、荒神さんも順調に一人で活動していたにも関わらず、最終的にはチームでの活動を選んだわけですよね。しかも2年間も誘われ続けながら断っていたにも関わらず。それは何故だったんですか?

荒神:最初はやっぱり信用しきれないじゃないですか。なんかチームとか言ってるけど、どうなんだろなあ? とか(笑)。

南川:(苦笑)。

荒神:でも、だんだんマジだなとわかってきて。私も一人だけでやっていると視野は狭くなっていくし、活動を大きくすればいろんな人に頼むことも出てくるんですけど、それはそれで何か腑に落ちない感じがあって……。ずっと迷っていたんですけど、このまま一人でやっていけたとしても、他のアーティストと同じような道を行くだけというのが面白くないなと思って。

荒神明香

―結果的にアーティストとして表現の幅は広がった?

荒神:はい。1人だと躊躇していたところも、どんどん踏み込んでいけるから。だから今はめっちゃ充実していて、アーティストとして凄く幸せだし、楽しいです!

南川:……!(絶句&嬉しそう)

美術のプロじゃない人でも、走って観に来るようなものがいいと思うんです。アートが伝わらないわけがないって私はずっと思っていて。(荒神)

―そうやって活動を続けてきた目【め】ですが、今年の2月には福岡の三菱地所アルティアムで個展『状況の配列』があり、その内容をアップデートするかたちで、7月18日から銀座の資生堂ギャラリーで『たよりない現実、この世界の在りか』展が始まります。目【め】が目指すアートとは何でしょうか?

荒神:南川くんがよく言っているのが、「オカンが突っかけを履いたまま、家から走って観にくる」(笑)。美術のプロじゃない人でも、走って観に来るようなものがいいと思うんです。アートが伝わらないわけがないって、私もずっと思っていて。親もおじいちゃんもおばあちゃんも、「うわ!」って思うことは一緒のはず。漠然とした言い方ですが、そういう作品を作りたいと思っています。

―前回の個展タイトルは『状況の配列』でしたが、目【め】はアートを体験する状況そのものを作ろうとしているようにも感じます。

南川:今、気になっているのが、作品と導線との関係なんです。僕らは「絵画の後頭部問題」って言ってるんですけど。展覧会で作品を観る際に、他の鑑賞者の後頭部が目に入るじゃないですか。それは作品鑑賞にかなりの影響を与えていると思うんです。つまり、鑑賞者 / 体験者の体調とか身体的な感覚すらも含めて、その場で感じることすべてを作品に含めたいというか。そういった状況を作るためのしつらえとして、導線への配慮が必要になるのかなと。

荒神:最近はアートと日常生活が地続きになっているような作品を、ずっとやっているような気がします。家から出て、作品を観て、家に帰るまでの一連の体験が作品になる。いや、むしろその一連の体験すらも最終的に日常となっていくような。そういうことを目指していますね。

南川:たとえば「日の丸」を展示したとして、見る人によっては「白地に赤い丸」が描かれた抽象画に見えるかもしれないし、「ある国の旗」という具象画として見えるかもしれない。でも僕らの場合、それを見る人が自由に意味付けてくれたらいい、ということにはしたくないんです。「日の丸」を見たときに、なぜかほとんどの人が不可解なものとして捉えられるような状況を作るにはどうしたらいいだろう、ということを常に考えている。そういう作品が実現できてこそ、オカンが出てきて「本当にやばいものを見た!」というふうになると思うんです。

南川憲二

―だとすると、目【め】はかなり繊細なコンセプトを突こうとしていると思います。多様な読みの解釈をありのままに提示して終わりではなくて、そういった多様な読みを発生させるための道程を作っていくような。

南川:そうですね。今回の資生堂ギャラリーの展示は、スペース全体をある別の建築空間のように作り直して、その内部を鑑賞者に巡ってもらうような内容になりますが、ひょっとしたら1人くらい、展覧会の仕掛けや狙いをまったく気づかずに、ただの不思議な空間だと思って帰る人が現れてほしいと思っているんです。もちろん、資生堂ギャラリーに来ている時点で展覧会という認識でいるはずだから、実際にそういう人はいないと思うんですけど。でもそういう可能性を捨てたくない。

『たよりない現実、この世界の在りか』展示模型
『たよりない現実、この世界の在りか』展示模型

―そういった「アートの実感」というものに対する、メンバーの徹底したこだわりというのは、あらためてどういうところから生まれてくるのでしょうか? 先ほども少しお話いただきましたが、それにしても本当に強固に持たれていますよね。

南川:荒神がよく言っているのが、夜、家の外に出たら頭上の99パーセント以上が謎に包まれているのが僕らの世界だということなんですね。自分がこの宇宙の質量の一部であるという事実をどうやって知覚できるのか。それは事実なんだから、わからないわけがないと思うんです。

―人間は今こうやって地面に立っていますが、ひょっとしたら何億分の1の可能性で、いつ空中に投げ出されてもおかしくないわけですよね。

南川:そういうことを量子力学として専門的に分析する力は僕らにはありませんが、その感覚をド素人の何も知らない僕らでも表現してみたいし、できると思うんです。しかも突っかけを履いたオカンにも伝わるやり方で、というのが僕らがアートでやっていきたいことだと思いますね。

―今後、自分たちが活動していくにあたって、参考にしたいアーティスト像とかってありますか?

南川:末永く活動をしていきたいので、マジでバルセロナとかサッカーですね。試合後の本田のコメントとかも真剣に聞いていますよ。全部アートに置き換えて(笑)。

イベント情報
『たよりない現実、この世界の在りか』

2014年7月18日(金)~ 8月22日(金)
会場:東京都 銀座 資生堂ギャラリー
時間:平日11:00~19:00 日曜・祝日11:00~18:00
休館日:休館日:毎週月曜(月曜日が休日にあたる場合も休館)
料金:無料

目【め】によるギャラリートーク
2014年8月3日(日)14:00~16:00
会場:東京都 銀座 ワード資生堂(東京銀座資生堂ビル9階)
出演:南川憲二(ディレクター)、荒神明香(アーティスト)
定員:60名(要事前申込)
料金:無料

プロフィール
目【め】

アーティストの荒神明香、wah document(南川憲二、増井宏文)らによって組織された現代芸術活動チーム。2012年より活動を開始。鑑賞者の「目」を道連れに、未だみぬ世界の果てへ直感的に意識を運ぶ作品を構想する。2013年には『瀬戸内国際芸術祭』に『迷路のまち~変幻自在の路地空間~』で参加。2014年2月には『状況の配列』展を、福岡・三菱地所アルティアムにて開催。その続編となる展覧会『たよりない現実、この世界の在りか』を資生堂ギャラリーにて開催する。



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