Netflixは日本を変えるか?ITジャーナリスト佐々木俊尚に学ぶ

世界最大級のオンラインストリーミング「Netflix」が9月2日、日本に上陸する。世界50か国以上で6500万人の会員を抱えるNetflixは、独自に制作されたオリジナルの映画やドキュメンタリーを含む、様々な映像作品を定額制で配信するサービスだ。デヴィッド・フィンチャーの大ヒットドラマ『ハウス・オブ・カード』の成功によって日本の映画ファンにもその名を知られることとなった同サービスだが、日本では、マーベルの本格アクションドラマ『デアデビル』、ウォシャウスキー姉弟によるドラマ『センス8』などのNetflixオリジナル作品のほか、『テラスハウス』新シーズンや桐谷美玲主演『アンダーウェア』など、日本独自のコンテンツもラインナップされている。

Netflixの最大の強みは、ビッグデータ分析を背景に持つそのレコメンデーション機能にある。そのような新しいテクノロジーがもたらす体験は、これからの社会にどのような影響をもたらすのか? ITジャーナリストの佐々木俊尚に訊いた。

ほとんどマジックにしか見えないような新しいデータ分析の技術がすごい勢いで進化している。Netflixはそういう新しい時代の動画ストリーミングサービスなんですよね。

―まずは、2015年9月というタイミングでNetflixのサービスが日本で始まることの意味について、佐々木さんがどのようにとらえているかを教えてください。

佐々木:外資の動画ストリーミングサービスという点ではHuluもありますし、国内ではドコモのdTVや楽天のShowTimeなど、いろいろあるわけです。だから、サービスそのものに対してそれほど新鮮味がないと思っている人も多いかもしれませんが、僕がNetflixに注目しているのはそのサービスの背景にあるビッグデータ分析による的確なレコメンド、パーソナライズドの機能なんですね。このビッグデータ分析というのは近年におけるすごく大きなITのトレンドなわけですが、それを直球でテレビの世界にもってきたのがNetflixです。これは他の分野でもすでに導入されていて、Apple Music、LINE MUSIC、AWAといった今年始まった音楽のストリーミングサービスに関しても、各社がビッグデータ分析を活用しながらいろいろと試行錯誤しています。しかし音楽のストリーミングは日本ではこれまであまり盛り上がりませんでした。

佐々木俊尚
佐々木俊尚

―どうして盛り上がらなかったのでしょう?

佐々木:日本の従来のストリーミングサービスはレコメンド機能が貧弱だったからです。ほとんどの人は、「ここにある何万曲が全て聴けます」と言われても何を聴いたらいのかわからない。「検索して音楽なんて聴かないよね」という人たちが多かったからです。一方で、アメリカのインターネットラジオPandoraや、北欧で始まった定額ストリーミングサービスSpotifyがどうしてあれだけ普及したかというと、レコメンデーション機能が圧倒的に秀逸だったからなんです。

―Spotifyに関しては、なかなか日本でローンチしないものの名前はある程度知られていますが、Pandoraはほとんど知られていませんよね。

佐々木:今、アメリカではPandoraが音楽のストリーミング市場を圧倒している状況です。Pandoraのすごいところは、無数にある楽曲を、ジャンルではなく、その曲調やムードによって解析して、それをプロのミュージシャンが細かく分類しているところです。つまり、インターネットラジオの中で音楽のジャンルの意味をなくしてしまった。それを多くのユーザーが支持したわけです。そこからどんな変化が起こったかというと、マーケットにおいてミリオンを売るような音楽とまったく売れない音楽、その2つが完全に分離していた状況だったのが、その間に存在するそこそこマニアックな音楽がよく聴かれるようになった。結果的に、過去には数万枚CDを売っていたけど近年売れなくなっていたようなミュージシャンにとっての収入源にもなるようになってきたんです。結局そこで何が素晴らしかったかというと、そうした音楽をちゃんとリスナーに届ける、優れたレコメンド機能だったんですよ。

―通販サイトのレコメンドや、ネット広告のパーソナライズには、まさに今、我々も日常的に接しているわけですが、正直、あまり褒められたものではないものが多いというか、「これ、もう買ったよ!」みたいなものがよく表示されたりしますよね。海外では、それとはまったく次元の異なる発展したアルゴリズムを持ったサービスが、現在勢力を伸ばしているということなんですね。

佐々木:そうです。現在多くの通販サイトがやっているレコメンド機能には協調フィルタリング(多くのユーザの嗜好情報を蓄積し、あるユーザと嗜好の類似した他のユーザの情報を用いて自動的に推論を行う)という技術が用いられているだけなんですね。わりとシンプルなアルゴリズムなので、その問題点は長年指摘されてきたんです。そこにビッグデータ分析が入ってきたことによって、非構造化データという、たとえばFacebookやTwitterの中で語られている内容まで分析ができるようになってきた。あるいは、ディープラーニング(人間の脳神経回路を真似することによってデータを分類しようとするニューラルネットワークの一種であり、多層構造のニューラルネットワークに、脳科学分野の研究を応用したもの)のように、まったく関連性のない雑多なデータの中から関連性を持ったデータを引っぱりだすこともできるようになった。

―なるほど。

佐々木:その技術を活用したおもしろい例を挙げると、あるスーパーで客の動線と従業員の立っている位置をデータに入力した結果、ある壁の隅に従業員が立っていると売り上げが何%上がるというデータが出てくるんです。これまでも、こちら側でいろいろな仮説を立ててどうしたら売り上げが上がるのかを分析するやり方はあったんですけど、そこではもはや仮説を立てる必要もない。ただ答えが出てきて、その理由は誰にもわからない。そこにあるのは相関関係のみで、因果関係はないんです。実際、その通りに壁の隅に従業員を立ててみると、売り上げが伸びたという。

Netflixデモンストレーション風景
Netflixデモンストレーション風景

―へぇー! ものすごい世界ですね。

佐々木:そういう、もうほとんどマジックにしか見えないような新しいデータ分析の技術がすごい勢いで進化しているのが現在で、Netflixはそういった新しい時代の動画ストリーミングサービスなんですよね。実際に、アメリカでは全体の75%がレコメンド機能によって視聴されているというデータがあります。

日本のコンテンツビジネスは文化を作る仕事であって、テクノロジーという発想を持たない。でもテレビにおいてテクノロジー企業がやれることは格段に増えてきているということですね。

―日本でNetflixの名前が映画ファンや海外ドラマファンの間で広く知られるようになったのは約2年前で、デヴィッド・フィンチャーが製作したドラマ『ハウス・オブ・カード』の本国での配信が始まったときです。当時は、Netflixでしか見ることができないコンテンツがそこにあるからアメリカでは多くの人がNetflixに加入している(2015年現在、北米では約30%の世帯が加入しているとのこと)と思っていたんですが、実態はかなり違うのかもしれませんね。

佐々木:『ハウス・オブ・カード』のような強力なコンテンツの存在は、マーケティング戦略としては極めて正しかったと言えるでしょうね。ただ、NetflixはもともとオンラインDVDレンタルを行っていた会社で、動画ストリーミングサービスを始めたのは2007年なんですよね。その時点では「DVD宅配レンタル屋が配信も始めたんだ」くらいの感じで、そこで見ることができる作品もちょっと古い作品ばかりで。そこからIPO(株式公開)などで資金を調達できるようになって、作品の制作にも乗り出すわけですが、そこでどういう作品を作れば確実に当たるのかということにも、これまでの視聴者のデータ分析が用いられているんですよね。レコメンドにおいてもデータ分析を使い、作品制作においてもデータ分析を使う。ある意味で、Netflixというのは純粋なテクノロジー企業と言ってもいいと思います。日本の企業の場合は、そこの発想がまずない。

―と言うと?

佐々木:日本のコンテンツビジネスというのは基本、文化を作る仕事であって、テクノロジーという発想を持たないですよね。日本でも過去に放送事業と通信事業の融合みたいなことがトピックとなった時期がありましたが、そのときは、ドラマで俳優が着ている服をECで売るとか、そういうことしか語られなかった。livedoorがニッポン放送を買収しようとしたのは2005年ですけど、あれから10年経って、テレビにおいてテクノロジー企業がやれることというのは格段に増えてきているということですね。

『デアデビル』 ©Netflix. All Rights Reserved.
『デアデビル』 ©Netflix. All Rights Reserved.

―先日Netflix株式会社・代表取締役社長のグレッグ・ピーターズ氏に取材をしたとき、大学で物理学と宇宙物理学を専攻していたと聞いて驚いたんですけど、ある意味、そういうゴリゴリの理系の人間がトップに立っているのも当然なのかもしれないですね。

佐々木:人間のクリエイティビティーの領域とテクノロジーの領域をどこで区切るのかというのは重要なテーマで、テクノロジーの領域というのはどんどん広がっているけど、すべてがテクノロジーで片づけられるかというともちろんそんなわけなくて。データ分析から「デヴィッド・フィンチャーの作品を見たい」というデータを出すことはできても、誰もデヴィッド・フィンチャーにはなれないわけですから。ただ「その最後の最後のクリエイティビティーのところが人間に残された領域だ」っていうような考え方に、メディアビジネスも変わってきているということだと思うんですよね。

佐々木俊尚

―映画においても、ドラマにおいても、あるいは音楽でも、その分野に精通していればいるほど、レコメンド機能を嫌う人も多くなると思うんですよね。「機械に指示されなくても、自分の好きなものは自分で見つけられるよ」って。ただ、現在のレコメンド機能はもうその段階を超えてきているのかなって、今日話をしていて思ってきました。

佐々木:レコメンデーションが嫌われるのは、それがチープなレコメンデーションだからなんですよ。Netflixは、単なるジャンルや監督、俳優のようなありがちな属性だけでレコメンドしているわけではないんですよね。たとえば、ただその作品を見ただけではなく、最後まで見たのか、最初の5分でやめたのか、シーズンいくつの何エピソードまで一気に見たのか、それとも毎晩律儀に1エピソードずつ見たのか、そういう視聴者の行動のデータも全部とっているわけで、そうするとより細かい分析ができる。最終的には、自分でも気づかないうちにレコメンドされているというか、レコメンドとその選択がほとんど無意識のレベルで行われるようになる。そうなると、もはや不愉快になる要素はないんですよね。それに、いくら自分に合った作品をレコメンドされたからといっても、結局それを見て何を感じるか? というのは、個人の内面の豊かさにゆだねられるわけです。人間が一生の中でものごとを判断できるリソースには限りがあるという話もあるので、何を見るかを選択するという行為よりも、そこで何を感じて、どう考えを深めていけるのかということに力を注いだほうが有意義なようにも思いますしね。

どうやってもう一度テレビをマスメディアとして成立させるかという局面において、Netflixの果たす役割は大きいと思うし、そういう視点でとらえる必要があると思いますね。

―アメリカをはじめとする海外の多くの国ではケーブルテレビのシステムがもともと普及していて、Netflixの普及もその延長上にありました。それに比べて、ケーブルテレビが一般的ではなかった日本において、Netflixがどれだけ普及していくかというのはかなり未知数だと思うんですね。まして、近年は若者のテレビ離れについて様々なところで語られていて、Netflixはスマホでも見られるとはいえ、現時点でもネットによってかなり情報過多な状況になっています。

佐々木:1つ言えるのは、そうは言っても20代の人はYouTubeをめちゃくちゃ見ているんですよね。CDも買わない、配信も買わない、でもYouTubeで音楽を聴いているし、動画もたくさん見ている。だから、そのスマホで動画をたくさん見る層からの流入があれば、十分に初期段階から多くの人に見られる可能性はあると思います。実はこれまでの日本の動画サービスって、テレビでもPCでもタブレットでもスマホでも見られるNetflixのように、完全にマルチデバイス化されたものってほとんどなかったんですよね。それと、いくら多チャンネル化されても「何を見ていいかわからない問題」というのがあって、もともと日本は地上波の影響力が強くて海外のような多チャンネル化に慣れてないので、Netflixの高度なレコメンド機能というのは、むしろ情報過多となっている今の日本で大いに受け入れられるような気がします。

佐々木俊尚

―既にNetflixは日本の地上波局との提携や、共同制作作品のアナウンスもしていますけど、今後、日本のテレビ局とNetflixはどのように両立していくと思いますか?

佐々木:日本のテレビ局はこれまでテレビCMのビジネスモデルでずっとやってきて、コンテンツの二次使用で稼ぐという発想がほとんどなかったんですよね。もちろん、テレビCMのビジネスモデルが今後も継続するならばそれはそれでいいんですけど、そこでの最大の問題は、あまりにも視聴率にとらわれすぎてしまうということで。それが結果として、日本のテレビ局のコンテンツ力を落としてきたという構造の問題があるわけですよね。そのあたり、アメリカのテレビドラマなんかだと二次使用のモデルがすごくよくできていて、途中からだと入り込みにくいちょっと難解なドラマでも、シーズン6まで続いたりすることがある。それがどうして可能かというと、ケーブルテレビの二次使用とDVDからの収入で制作費がまかなえたからなんですね。Netflixの日本での展開次第によっては、日本のテレビ局にそうしたコンテンツの二次使用や、過去の『料理の鉄人』や『風雲!たけし城』のようにコンテンツのフレームだけを海外輸出するという可能性を大きく広げることになるかもしれない。きっと日本のテレビ局はそのあたりをよくわかっているから、Netflixを敵視するのではなく、むしろ期待しているんじゃないかと思います。

『TERRACE HOUSE BOYS & GIRLS IN THE CITY』キービジュアル ©フジテレビ/イーストエンタテインメント
『TERRACE HOUSE BOYS & GIRLS IN THE CITY』キービジュアル ©フジテレビ/イーストエンタテインメント

―Netflixはオリジナルのコンテンツの他に、過去の映画やドラマを大量に配信するわけですが、その中で何が一番の武器になっていくと思いますか? 少なくとも自分のような人間は、Netflixでしか見られないドラマを見るために加入することになると思うんですけど。

佐々木:そもそも映画やドラマって、ものすごくたくさんの数が作られているのに、そのほんの一部の大作や話題作しかほとんど見られていないのが現状なんですよね。それは、シネコンにおいても、レンタル市場においても同じで、映画好きやドラマ好きの一部の人が思っている以上に、一般の人は大作や話題作にしか興味がない。そうした大作や話題作、それと映画ファンやドラマファンが注目するようなオリジナルのコンテンツだけでは動画ストリーミングサービスは成り立たないと僕は思っていて。Netflixに期待している理由は、一般の人たちの「おもしろいコンテンツに触れたい」という純粋なニーズに応えてくれるんじゃないかっていうところなんですよね。日頃あまり映画もドラマも見ない、そういう潜在的な視聴者層にどのようにリーチしていくかってことが重要になってくると思いますね。

―現段階でNetflixというと、オリジナルドラマだったり、4K映像の配信だったり、そういうマニア心をくすぐるネタがメディアではよく取り上げられますけど、サービスの本質はそこにはないと?

佐々木:その枠組で話していてしょうがないと思いますね。マスモデルっていうのは、そもそもそういうものではないから。テレビというメディアには可能性がまだまだたくさんあると言われながらも、今、地上波のテレビがマスの座からすべり落ちようとしている状況で。そこで、どうやってもう一度テレビというメディアをマスとして成立させるかという局面において、Netflixの果たす役割は大きいと思うし、そういう視点でとらえる必要があると思いますね。入り口はなんでもいいと思うんですよ。何かの拍子で火がつくかもしれないし、つかないかもしれない。

佐々木俊尚

―これは音楽の配信サービスにも共通する問題ですが、定額制サービスというものが受け入れられるかどうかというのも、1つのハードルとしてあります。

佐々木:そこは、結局のところ文化の問題なんですよね。アメリカやヨーロッパには音楽を聴く文化というのがマニアだけでなく一般層にもあった。だから、PandoraやSpotifyが成功したわけです。日本では音楽はどうなるかまだわかりませんけど、映画やドラマといった動画に関しては、ビッグデータ分析に基づいたレコメンデーション機能という技術をテコに、新たにマスにリーチすることができるテレビメディアが生まれるかもしれない。少なくとも、Netflixにはそういう可能性があるというのは事実だと思います。

サービス情報
Netflix

世界最大級のオンラインストリーミング。世界50か国以上で6500万人を超える会員を抱え、Netflixが独自に制作した、オリジナルシリーズ、ドキュメンタリー、長編映画などを含め、1日1億時間を超えるTVドラマや映画を低料金の月額定額制で配信。会員は、あらゆるインターネット接続デバイスから、好きな時に、好きな場所から、好きなだけオンライン視聴が可能。コマーシャルや契約期間の拘束は一切なく、思いのままに再生、一時停止、再開することができ、HDや4K:フルHDなどハイクオリティな映像体験を堪能することができる。2015年9月2日(水)に日本でのサービスを開始する。

プロフィール
佐々木俊尚 (ささき としなお)

作家・ジャーナリスト。1961年兵庫県生まれ。毎日新聞社で事件記者を務めた後、『月刊アスキー』編集部デスクを経て、2003年にフリージャーナリストへ転身。IT・メディア分野を中心に取材執筆、公演活動を展開。著書に『キュレーションの時代』(ちくま新書)、『当事者の時代』(光文社新書)、『レイヤー化する社会』(NHK出版新書)など多数。近著は『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)、『21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ』(NHK出版新書)。総務省情報通信白書編集委員。



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