
和田唱が明かす、TRICERATOPS結成時の劣等感やソロ開始の理由
KORG- インタビュー・テキスト
- 黒田隆憲
- 撮影:豊島望 編集:矢島由佳子
今だから素直に話せる、デビュー当時のコンプレックス
TRICERATOPSの結成は1995年。当時20歳だった和田さんは、「メンバー募集」を介して知り合った林幸治さん(ベース)と曲作りをするようになり、スタジオミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせたばかりだった吉田佳史さん(ドラム)が後に加入したことで、本格的に活動がスタートします。
和田:バンドって、学校の友達や幼馴染と組んで、喧嘩したり仲直りしたりしながら成長してくものだと思っていたんですよ。だけどTRICERATOPSって、人の紹介などで知り合って、周りにも恵まれていたからわりと早い段階でデビューが決まって……そういう状態に、俺はずっと負い目みたいなものを感じていたんですよね。「ロックじゃねえ」って。もちろん、やっている音楽に対する自信はものすごくあったし、メンバーやスタッフのことは信頼していたんですけど、それ故になんとも言えないモヤモヤがしばらくは続いていました。
1997年7月21日にシングル『Raspberry』でメジャーデビュー。2年後には3rdアルバム『A FILM ABOUT THE BLUES』を引っ下げ、初の武道館公演も行います。
TRICERATOPSメジャーデビュー曲“Raspberry”(Apple Musicはこちら)
和田:あれよあれよという間に、武道館まで決まっちゃって。正直、「まだ早いよ!」と思っていました。他のバンドはみんな、下積みを積み重ねてようやく辿り着ける場所に、こんな早く立ってしまっていいのか? って。
だから、そのあとは「名実ともにロックバンドになろう」って覚悟を決めて、必死で頑張りました。自分たちの恵まれた境遇と、本当の実力の差……ギャップを埋めてやろうって。ライブにムラがなくなってきたのは、2000年代に入ってからだと思います。そういう意味では、1999年の武道館初公演が最初のターニングポイントでした。
赤の他人だった3人でバンドを組んで、一度もメンバーチェンジをしたことなく20年間も続けてこられたわけだから、つくづく不思議な縁だと思う。もちろん、喧嘩や仲違いも経験したけど今は「家族」みたいなものだし、「出会い方」なんて、実は関係ないのかもしれないですね。
強いロックバンドであり続けるために。メンバーそれぞれの活動に注力する期間へ
昨年でメジャーデビュー20周年を迎えたTRICERATOPSの活動は一旦止めて、それぞれのプロジェクトに集中する期間を設けることに決めた3人。このタイミングでソロデビューを決めた和田さんの心境は、どのようなものだったのでしょうか。
和田:20代の頃のライブ映像を見ると、みんな目がギラついてるんですよ。「舐められてたまるか」という気迫を感じるというか。結成時のコンプレックスの反動もきっとあったんでしょうね。3人とも「いい顔」をしているし、一丸となっているんですよ。
でもそれって、持続するのは難しいんです。全員が20歳の頃のようにバンドに夢を見続けるなんて不可能に近い。だけど「ロックバンド」を続けるのであれば、それが必要なんですよ。
いつまでも3人一丸となって突き進んでいくためには、一体どうすればいいのか。年に2回ルーティンのようにツアーをやっているだけではダメなのではないか。それは単に、TRICERATOPSという「恐竜」に餌を与えて生命だけ維持させているのと一緒じゃないか、「ただ生きている」というだけじゃないのか。この数年、和田さんはずっとそのことを考えていました。
和田:TRICERATOPSの素晴らしさ、大切さを、俺も含めて3人全員が気づく必要がある。そのためには、一旦バンドの活動を止めて、それぞれがまだ行ったことのない世界へ身を投じる必要があるんじゃないかと思い、話し合いました。
「TRICERATOPS」という後ろ盾を取っ払い、喜びも悲しみもダイレクトに味わったほうがいいなとも思ったんです。僕はソングライターでありボーカリストでもある分、賞賛も批判も他の2人よりはダイレクトに受け止めやすい。「TRICERATOPS? 声が好きじゃないんだよね」と言われたら俺のことだし、「TRICERATOPS、歌詞がすごくいいよね」と言われても俺のこと。傷つくし、喜びもある。仕方ないことだけど、できるだけ全員がその気持ちを味わったほうがいい。そのほうがいろんな意味で強くなります。どんな方法でもいいから、2人にも世間に「自分」を表現してほしいんです。それで再び集まったときには、きっと「最強の3人」になれると俺は信じているんです。
実は和田さんは、バンドを休止してすぐにソロ活動を始めるつもりではなかったと言います。むしろ、楽曲提供やプロデュースなど、裏方に回ってみるつもりでいました。
和田:でも、いざバンドを止めてみたら俄然ソロアルバムをやりたくなったんですよね。これは、活動を止めてみなければわからないことでした。実は、TRICERATOPSの新曲がなかなかできない期間がしばらく続いていたんですけど、ソロモードに切り替えると歌詞も曲もできてきて、そのなかでTRICERATOPSのためのシングル曲も生まれてきたりして。だから、「絶対にいいアルバムを作るぞ!」って自分に言い聞かせていました。
ソロアルバムの内容は、至極パーソナルなものに
そうして完成したソロアルバム『地球 東京 僕の家』。作詞作曲はもちろん、ストリングスを除く楽器演奏もすべて和田さんが1人で行いました。
和田:The Beatlesを解散したポール・マッカートニーも、最初は1人でソロアルバムを作ったじゃないですか。ポールをずっと追いかけてきた身としては、そこは見習うべきだろうと。ただ、ポールの1stソロはインストが多くて寂しかったので(笑)、そこはすべて歌モノにして。どれもシングルを狙えるくらい、粒ぞろいのいい曲にすることを目指しました。
The Beatlesはもちろん、マイケル・ジャクソンへのオマージュも随所に散りばめたサウンドは、和田唱ワールド全開。歌っている内容は、自分のなかに潜む負の感情に向き合った“矛盾”や“アクマノスミカ”、愛する家族を持った喜びを素直に綴る“Home”など、TRICERATOPSの楽曲よりもパーソナルなものになっています。
和田:結婚したことも、きっと大きいでしょうね。確固たる自分の居場所ができたことで、歌詞にも芯のようなものができた気がします。曲調も、確かにTRICERATOPSとは違いますね。エレキギターをあまりフィーチャーしてなくて、アコースティックギターをメインにしたり、シンプルな循環コードのなかでメロディーを展開させたりする曲が多い。TRICERATOPSでは、ファンが求めている「ギターリフが鳴って躍れる曲」を意識しますけど、ソロではそこから自由になった気がします。今はそれがすごく楽しいんです。
機材リスト
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鍵盤
ギター
Martin「000-18(1955年製)」
Fender「STRATOCASTER(1959年製)」エフェクター
DV MARK「DVM Compressore」
BOSS「Chromatic Tuner TU-3W」
BOSS「Loop Station RC-300」
L.R.BAGGS「Para Acoustic D.I.」ベース
Fender「Mustang Bass(1972年製)」アンプ
Zinky「Blue Velvet 25W Combo」
リリース情報

- 和田唱
『地球 東京 僕の部屋』(CD) -
2018年10月24日(水)発売
価格:3,000円(税込)
TTLC-10111. 大きなマンション
2. 1975
3. 矛盾
4. Moonwalk Moonwalk
5. Harajuku-Crossroads
6. 地球 東京 僕の部屋
7. アクマノスミカ
8. 夜の雲
9. Vision Man
10. クリスマスの朝
11. Home
※初回限定デジパック仕様
イベント情報
- 『和田唱 1st SOLO LIVE TOUR 2018 "一人宇宙旅行”』
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2018年11月2日(金)
会場:北海道 札幌 cubegarden2018年11月4日(日)
会場:東京都 日本橋三井ホール2018年11月17日(土)
会場:金沢県 GOLD CREEK2018年11月23日(金)
会場:静岡県 浜松 窓枠2018年12月1日(土)
会場:宮城県 仙台 レンサ2018年12月9日(日)
会場:福岡県 イムズホール2018年12月15日(土)
会場:愛知県 名古屋 BOTTOM LINE2018年12月16日(日)
会場:大阪府 BIGCAT2018年12月30日(日)
会場:東京都 マイナビBLITZ赤坂
プロフィール

- 和田唱(わだ しょう)
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1975年東京生まれ。TRICERATOPSのボーカル、ギター、作詞作曲も担当。ポジティブなリリックとリフを基調とした楽曲、良質なメロディセンスとライブで培った圧倒的な演奏力が、幅広い層から大きな評価を集める。アーティストからのリスペクトも多数。SMAP、藤井フミヤ、松たか子、Kis-My-Ft2、SCANDALなどへの作品提供も多い。2018年はソロ活動を開始。10月24日には1stアルバム『地球 東京 僕の部屋』をリリース、11月から全国ソロツアーをスタートする。