社会から疎外された人間の復讐劇。映画『ザ・バットマン』リドラーは現実社会に何を突きつける?

2020年代にふさわしいバットマン像とは? 現実のアメリカ社会の状況と重ね合わせ、新作を掘り下げる

マット・リーヴス監督、ロバート・パティンソン主演による、新たなバットマン映画『THE BATMAN-ザ・バットマン-』は、これまでの実写シリーズにないアプローチで、バットマンのキャラクターや世界観を描く一作となった。

新生バットマンの活躍する舞台ゴッサム・シティは、凄まじいまでに荒廃し、腐敗にまみれた街として、より強調されたかたちで映し出される。そこで、バットマンを苦しめることになるヴィラン(悪役)は、知能に優れた連続殺人犯・リドラーである。

ここでは、いままでのシリーズのなかでも特異といえる本作の内容を振り返りながら、バットマンとリドラーの病的ともいえる共通点や、ゴッサムの闇を徹底的に描き出した理由、そして、戦いと苦悩の果てにバットマンがたどり着いた境地がどのようなものだったのかを、現実社会の状況と重ね合わせながら、深掘りしていきたい。

闇夜に紛れて犯罪者に私刑を下し、ゴッサムの秩序と治安を守るバットマン

フィルムノワールやゴシック趣味、ギャング映画など、ダークかつスタイリッシュな要素を結集させて生み出された、本作の退廃都市ゴッサム。

その姿を映し出した映像は、コミック『バットマン:イヤーワン』(1987年)や『バットマン:ロング・ハロウィーン』(1996年)などで描き出された、「バットマン」世界の暗闇と陰影の美学を、これまでのどの実写作品よりも追求した、魅力的なものとなっている。

しかし、政治や行政の腐敗、犯罪の横行、違法薬物の氾濫など、そこに住んでいる善良な市民にとって、そこは悪夢の街だといえるだろう。そんな荒んだ場所で、本作のバットマンこと若き大富豪ブルース・ウェインは、1年間ものあいだ、闇夜に紛れて悪人に私的な制裁を加えてきた。

資産家ハワード・ヒューズと、若くしてこの世を去ったロックスター、カート・コバーン(Nirvana)をモデルとしたという、本作のブルース・ウェインは、悪を成敗しながらも、精神的な不安を常に抱えている男として登場する。

その悩ましい姿は、ガス・ヴァン・サント監督がカート・コバーンの最期の日々を表現した『ラスト・デイズ』(2005年)を参考にしているという。その鬼気迫るような焦燥感と、ネガティブな雰囲気は異様であり、チンピラの魔の手から救い出したはずの被害者にまで怯えられてしまうほどだ。

自警活動による私刑は、もちろん違法行為に他ならない。多くの警察官たちの目には、バットマンは異常者にしか見えず「化けもの」呼ばわりされている。

そんな不遇な境遇にいるバットマンだが、秩序が崩壊し治安が悪化し続けるゴッサム・シティは、コウモリの手も借りたい状況。ゴードン警部補はバットマンと個人的な協力体制を築き、今回のリドラーによる市長殺害事件にも助力を仰ぐのだ。

ゴッサムを荒廃させる権力者や富裕層の腐敗を暴き、死の制裁を下すリドラー

対する、正体不明の知能犯リドラーは、バットマンを挑発しながらも姿を現さず、ゴッサムの要人を猟奇的な方法で次々に殺害しながら、自分の正体につながるヒントを、なぞなぞや暗号などのかたちで、少しずつ残していく。

リドラーといえば、クエスチョンマークがプリントされたタイツ姿で、なぞなぞを出題してバットマンを翻弄するヴィランであり、実写作品では、1960年代のテレビシリーズや、ジム・キャリーが彼を演じた『バットマン フォーエヴァー』(1995年)に登場している。それらの派手なファッションに比べると、本作のリドラーは顔を隠し、どこにでもありそうなモッズコートをアレンジして着用している地味さが、誰もが彼になれそうな身近な印象を醸し出す。その匿名性が、かえって不気味に感じられる。

連続殺人事件のターゲットにされる人々には、共通点があった。それは、街に貢献していると見られている権力者、富裕層であり、じつは裏ではその力や財力を利用して、さらなる利益をむさぼっている者たちだということだ。リドラーはそんな者たちを、拷問しながら惨殺していくのである。

彼はなぜ、そんな犯行を計画したのだろうか。その答えは、ゴッサム・シティが、あんなにも荒れ果て、犯罪が多発している理由ともつながっている。

※以下より、本編の内容に関する重大な記述が含まれています。あらかじめご了承下さい。

都市の再開発は誰のため? リドラー誕生の原因は、ブルースの父が遺した事業にあった

その真相は、ブルース・ウェインやリドラーが、まだ子どもだった頃に進められていた、ゴッサム市街地の「再開発事業」に端を発していた。

この事業計画は、ブルースの父トーマス・ウェインが、暴漢に襲われ命を落とす以前に、私財を投じて進めていたものだった。トーマスの死後、この資金は、街の有力者に都合よく利用され、彼らのポケットに入ることとなった。

ゴッサム・シティの有力者としては珍しく、公共の精神を持ったトーマスではあったが、彼は闇社会とつながる一面もあり、ギャングを「必要悪」として認めていたことが暗示される。

資金が奪われたことによって、同時に計画されていた孤児院への援助は行なわれることがなかった。孤児として育ったリドラーは、その影響を受け、厳しい貧困のなかで少年時代を過ごさねばならなかったのである。

この設定は、東京の渋谷区の再開発事業を思い起こさせる部分がある。公園を商業施設と一体化する工事によって、路上や公園で生活していたホームレスが、行政の手で強引に排除される契機となったのだ。このようなことがあると、いったい「再開発」される都市とは、誰のためのものなのかという疑問を覚えざるを得ない。

富の集中は、経済の停滞と都市の荒廃を招く。ゴッサムの悪夢は他人事ではない

街の有力者たちが、一部福祉に使われるはずの資金に群がったという、本作の設定が象徴しているように、もともと権力や財力を持った者たちが相互に協力することで、さらなる利益を得ようとするのは、世界のさまざまな国で起こっていることだ。そして、富裕層と貧困層のあいだで経済格差がさらに広がっていく現象が生まれることとなる。

ペンギンことオズの経営するクラブ「アイスバーグ・ラウンジ」に、バットマンは殴り込みにかかる。闇社会との関係を匂わすこのクラブには、ゴッサムの行政関係者や有力者たちが夜な夜な集う

格差の是正を長年訴えている、アメリカの経済学者ロバート・ライシュによると、経済が活性化して社会が豊かになるには内需の拡大が必要だが、極端な格差社会においては、ひと握りの富裕層に集中した資産の多くを、個人が使い切ることは難しいのだという(*1)。

実際にお金を使い、経済をまわす好循環を生み出すには、多くの人々にお金が分配されたほうが効率はよい。つまり、富が健全に分配されない社会構造では、全体の経済状況も落ち込んでいくという主張だ。

また、フランスの経済学者トマ・ピケティは、このような世界の現状を、貴族などの特権階級が富を独占していた、フランス革命前の18世紀に近いと述べている(*2)。貧しさから店や家が手放され、街のゴーストタウン化が進むことで、社会全体が衰退していくのである。

つまりゴッサム・シティでは、行政がごく一部の者たちによって私物化されることで経済が落ち込んだ結果、公共サービスや福祉政策がカットされ、増加した貧困層が再度浮かび上がれない社会になっていったことが、自然に理解できる。

そして、ゴミが散乱しても放置されるほどに荒廃し、犯罪率が爆発的に増加し、アジア系の市民が被害を受けるなど、人種差別も横行する悪夢の街になっていったと考えられるのだ。

明らかとなる、バットマンとリドラーの病的な共通点

そう考えると、本作におけるバットマンの自警活動は、そんな社会がつくりだした貧困のなかで発生した犯罪を、対症療法的に潰しているだけであり、その根幹にある問題や、隠れた悪の存在には気づかないまま放置していたということになる。

しかも自身は、莫大な富の上にあぐらをかいたまま、豪華な装備を駆使しながら貧しい犯罪者を小突き回し、悪を成敗していると自負していたのである。そんなバットマンの欺瞞が、リドラーという異常者によって、他の偽善者たち同様に暴かれることとなったのだ。

リドラーの凶行は、自分の貧しい境遇への「疑問」の追及であり、欺瞞に満ちた世界への「復讐」である。その意味では、犯罪者に親を殺害された恨みを暴力によって晴らしていたブルース・ウェインも、また同様な存在だったといえよう。

なぜ、ゴッサムの腐敗を暴き、市民のために戦う政治家をも狙ったのか? そこにリドラーの思想が垣間見える

そんなゴッサムで奮闘するのが、新しく市長に就任することになる、若い有色人種の女性ベラ・リアルだ。

おそらくはリベラルな政治思想を持った彼女は、葬儀の場で大富豪のブルース・ウェインを目ざとく見つけると、腐敗した政治を一掃するために協力を仰ぐ。億万長者に社会への義務を要求する彼女の姿勢は、「金持ちに増税を」というスローガンで知られる、アメリカの女性政治家アレクサンドリア・オカシオ=コルテスを思い起こさせるところがある。

だがリドラーは、希望に燃えた新市長の就任式で、大規模テロを敢行することで、ゴッサムに「混沌」という名の自由をもたらそうとする。彼は、同じように経済格差に憤る人々をネットで集め、市民にまで被害を及ぼそうとしていたのだ。

この計画によって明らかになるのは、リドラーやテロの参加者が、世の中の人々全体の幸せを望んでいたわけではないということだ。

リドラーのテロ行為は「Qアノン」の凶行を想起させる

このテロ事件は、大統領選の選挙結果を覆すべく、ドナルド・トランプの熱狂的支持者や「Qアノン」と呼ばれる陰謀論者が暴徒となって、合衆国議会を暴力的に占拠した「2021年アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件」を思い起こさせるものがある。

インターネットで人々を扇動し、最終的にこのような事件を引き起こす大きな要因をつくった謎の人物が「Q」と呼ばれていたのは、奇しくもリドラーのイメージと符合していた点だといえるのではないだろうか。

リドラーが、比較的市民の側に立とうとするベラ・リアルや、その支持者をターゲットとしたのは、彼が政治家全体を憎んでいるためだと考えられる。その背景に、現実のアメリカにおいて、共和党、民主党ともに、アメリカ社会の極端な経済格差や失業問題を変えることができなかったという、政治そのものへの不信感が影響していることは確かだろう。

とはいえ、そんな社会への怒りが多様な連帯を生むわけではなく、人種差別と結びついたり、フェイクニュースに踊らされて、むしろ富裕層の優遇政策を支持してしまったりなど、結局は社会をいたずらに混乱させ、市民の分断を生む結果となったのは、記憶に新しいことだ。

自らの偽善に気づいたバットマンが選んだ道

バットマンは、リドラーの計画を止めようとする過程で、テロの参加者が「俺は『復讐』だ」と名乗ったことに愕然とする。そのセリフは、自身が街の悪を成敗する際にバットマン自身が口にしていた言葉だからだ。

ここでようやくバットマンは、自身の行動が、自分の感情を満たすだけの偽善的な行為だったと、はっきりと気づく。その後、ベラ・リアルや市民の命を助けるために懸命となる彼の姿は、自分の境遇にかかわらず、他者の窮状を助けること、そして、自身が人々の闇を照らす存在にならなければならないという結論に至ったように見える。

いま、社会はどのようなことになっているのか。そして、いま本当に必要な考え方とは何なのか。

『THE BATMAN-ザ・バットマン-』は、一時は道に迷いながらも、現在のアメリカ社会、そして同様の問題を持った世界中で、いま求められるヒーロー像を、見事に体現することになったのではないだろうか。そして、それを示すことが、ヒーロー映画だからこそできる、ひとつの大きな役割でもあるはずなのだ。

*1:映画『みんなのための資本論』(2013年)参照
*2:映画『21世紀の資本』(2019年)参照

作品情報
『THE BATMAN-ザ・バットマン-』

2022年3月11日(金)公開
配給:ワーナー・ブラザース映画

監督:マット・リーヴス
脚本:マット・リーヴス、ピーター・クレイグ

出演:
ロバート・パティンソン
コリン・ファレル
ポール・ダノ
ゾーイ・クラヴィッツ
ジョン・タトゥーロ
アンディ・サーキス
ジェフリー・ライト


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