「CINRA」メディア、発足から20年に寄せて

ウェブメディア「CINRA」は2023年2月23日、20周年という節目を迎えます。

ちょうど20年前のこの日、「CINRA.NET」というURLのウェブサイトが誕生し、それ以降、カルチャーを起点にさまざまなコンテンツを発信し続けてきました。

20年もウェブメディアを続けることは簡単なことではありません。CINRAというメディアに関わり支えてくださったすべてのアーティストやクリエイター、取材をさせていただいた方々、ライター、フォトグラファー、編集者、クライアントの皆さま、そしてCINRAに触れてくださった読者の方々に、心から感謝を申し上げます。

私・生田は2022年4月に編集長のバトンを引き継ぎました。大量の情報がインターネット上に行き交い、メディアを介さずとも個人がダイレクトに発信できるようになったいま、カルチャーを軸足におくCINRAだからこそ伝えられることや、できることは何なのか、模索し、実現していきたいと思っています。

CINRAは、世界をよりよい場所にしたい、人生をよりよく生きたいという、あらゆる表現者の「クリエイティブな意思」を届けることを目指しています。そのためには、メディアのつくり手である自分たちも、何を知りたいのか、何を伝えたいのかという意思をつねに持ち続けなければいけません。社会で起きているさまざまな出来事や問題に敏感であり続け、想像力をもって向き合い、自分たちも当事者であるという意識をもって発信していきたいと思います。

ささやかなスタートではありますが、今年1月にPodcast番組「聞くCINRA」をはじめました。今春(4月ごろ)には、オリジナルの特集企画を公開予定です。ぜひ、これからのCINRAメディアにご期待いただけますと嬉しいです。今後とも、叱咤激励、そしてご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。

編集長 生田綾

これまでのCINRAメディアの歩みを記事から振り返ります

20年の歴史を持つCINRAメディアは、これまでたくさんのアーティストのクリエイティブな意思を伝え続けてきました。反響があった記事を中心に、その歩みを振り返ります。(文責・佐伯享介、山元翔一、生田綾)

世界の終わりインタビュー(2010年4月5日掲載)

これまでCINRAでは、誰もが知っているようなベテランから、まだ世に知られていない若手まで、数多くのアーティストたちの声を伝えてきました。

2007年に結成されたバンド「世界の終わり」へのインタビューを掲載したのは、2010年、彼らがインディーズデビューした直後のこと。生きづらい世の中で、それでも愛を胸に抱いて生きるということ、バンドで音楽をつくるということ。そんな想いを瑞々しくストレートに語った言葉は、多くの人の共感を呼びました。

彼らは2011年のメジャーデビュー後、バンド名を「SEKAI NO OWARI」という表記に変更。「セカオワ」の愛称で親しまれ、いまでは日本を代表するバンドになりました。長期にわたって読まれ続けてきたこの記事は、CINRAが勇気あるアーティストやクリエイター、発信者たちとともに歩んできた長い時間を思い出させてくれます。CINRAにとって宝物のような記事の一つ。

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記憶を失った音楽家GOMAが、「未来」を信じるまで(2011年9月13日掲載)

2009年に交通事故に遭い、高次脳機能障害を発症したディジュリドゥ奏者のGOMAさん。事故直後は「5分前の記憶もどんどん消えていくような状態だった」という不安定な状況にありながら、手探りで創作活動を続けてきた2年間を振り返っていただいたのがこのインタビューです。

記事が掲載された2011年は忘れもしない、大きな被害を及ぼした東日本大震災が起こった年。目の前の絶望的な困難をしっかりと見据えて、それでも未来へ歩もうとするGOMAさんの言葉は、多くの読者に勇気を与えるとともに、「人間はなぜ創作をするのか?」という根源的な問いを私たちに投げかけます。

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谷川俊太郎×DECO*27対談 「詩はいつでも歌に憧れてる」(2014年4月4日掲載)

戦前生まれ、現代詩におけるレジェンド中のレジェンドであり、作詞家・翻訳家としても多大な功績を残している谷川俊太郎さんと、動画サイト発のボカロP・DECO*27さん。いまほどネット発の音楽が一般的に受け入れられていなかった2014年当時、ジャンルや世代の壁を越え、年齢差55歳の二人が肩を並べて語り合ったこの異色の対談は、大きな反響を巻き起こしました。

「Macで詩を書く」という意外な一面も明かしてくださった谷川さんは、その後CINRAから生まれた10代のためのオンラインプログラム「Inspire High」にも登場し、2020年に実施したオンラインセッションの様子はNHKニュースに取り上げられました。

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ニール・ヤングがスターバックス不買運動を起こした理由。「GOODBYE STARBUCKS!!!」の衝撃(2014年11月28日掲載)

2014年、遺伝子組換え食品を開発・販売するバイオ化学メーカーを支持したスターバックスに対して、怒りの決別宣言を叩きつけたのが、当時68歳だったミュージシャンのニール・ヤング。グローバルな利益至上主義に対して反旗を翻した大御所ミュージシャンの勇気ある行動は、エンタメ・カルチャー界が社会的なムーブメントと密接に結びつく動きを象徴しています。「#MeToo」や「Black Lives Matter」などのムーブメントは日本でも巻き起こりました。

現在はエンターテイメントだけでなく、ソーシャルイシューも取り上げるメディアへと変化を遂げたCINRAにとっても、1つの指針となった記事です。執筆はCINRAの活動初期から深く関わってくださっているライターの武田砂鉄さん。

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BOOM BOOM SATELLITES、残酷な運命から希望を描いた傑作(2015年2月3日掲載)

「取材対象の生の声を届けたい」「その人の生き様を伝えたい」。

私たちメディアや書き手は、そういった意気込みで取材に臨むことがあります。しかしその一方で、なまなかでは伝えられない「生の声」や「生き様」の苛烈さ、重さに直面することも少なくありません。

2015年に公開されたこの記事は、BOOM BOOM SATELLITESの二人にお話を伺ったもの。メンバーの川島道行さんは、デビューした1997年に脳腫瘍が見つかり、取材時まで4度にわたって発症。2014年に「余命2年」を宣告されていました。残された時間をどのように過ごすのか。川島さんの選択は、「音楽活動を続けること」でした。絶望的な状況にありながら、「アーティストは、諦めないで存在し続けている人」と力強く語る川島さんと、それをあたたかく見守るメンバーの中野雅之さん。2016年に川島さんが亡くなってから7年が経ったいまも、その言葉と笑顔、瞳の輝きは、私たちにけっして消えることのない一筋の光を感じさせてくれます。

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世間に誤解されてきた戸川純、貪欲に生き抜いてきた35年を語る(2016年12月27日掲載)

取材は2016年末。当時、日本でも数々の女性やクィアのミュージシャン、アーティストの表現が、どこか閉塞した社会の空気を突き破って私たちの手元に届いていることをひしひしと感じる第四波フェミニズム真っ只中。この年は数々の傑作が世に放たれましたが、ビヨンセが『Lemonade』をリリースしたのもこの年です。また「自分らしく生きる女性を祝福する」メディア「She is」がCINRAでローンチしたのは翌2017年のことでした。

いま振り返ってみると、このタイミングで戸川純さんにインタビューできたことに時代の巡り合わせを感じます。ニューアカデミズムが大流行する1980年代、「女性も負性の1つである」と言われていたという当時、戸川さんは生理をモチーフにした作品を発表し、大衆を相手に賛否両論を巻き起こしました。誤解やバックラッシュに晒され、戦わないとやっていけない時代だったと当時を振り返りますが、そのときから戸川さんは性別という要素で人を分けて考えていなかったことが伝わってきます。明かされる表現の原点とともに、戸川純の音楽が時代を超えて多くの人たちのよすがになってきた理由の一端を垣間見せられます。

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ポール・マッカートニーが日本で語る、感受性豊かな若い人たちへ(2018年10月31日掲載)

2018年には、あのポール・マッカートニーへの独占インタビューを掲載。ビートルズ・ラバーの多いCINRA社内も騒然となったこのインタビュー、じつはポール自身の「若くて感受性豊かな人たちに自分の想いを届けたい」という想いを受けて、数あるメディアから選んでもらったことで実現したもの。

ビートルズ加入前後の10代のころを振り返ってもらったり、アメリカでトランプ政権が誕生したことで揺れていた当時の世界情勢や、政治と音楽の関係について鋭い見解を明かしてもらったりと、ポール・マッカートニーという歴史に名を残す偉大なミュージシャンの過去と現在を、ぎゅっと凝縮したような記事になりました。

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ビヨンセがコーチェラで魅せた「Beychella」の歴史的意義。紋章を解読(2018年4月30日)

2018年のアメリカの野外音楽フェスティバル『コーチェラ・フェスティバル』で、黒人女性として初の同フェスヘッドライナーを務めたビヨンセ。この記事では、海外メディアで「歴史的偉業」とまで評された圧巻のパフォーマンスを、アメリカのポップカルチャーに造詣の深い辰巳JUNK氏に解説していただきました。

白人の観客が多いコーチェラで、歴史的黒人大学(通称HBCU)をオマージュし、ブラックカルチャーとフェミニズムを強烈なまでに表出したビヨンセのステージについて、辰巳JUNK氏はポップカルチャー史における重要な「成功例」であり「転換点」となりえる快挙だと評しています。

表現における黒人、女性、LGBTQなど多様なマイノリティーの「レプリゼンテーション」という視点でも、今後も記事を掲載していきたいと思います。

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新型コロナパンデミックの関連記事

世界を大きく変容させた新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、文化芸術界にも多大なる影響を及ぼしました。「STAY HOME」によってイベントや公演は延期や中止を余儀なくされ、数多くのライブハウスやクラブ、劇場が苦境に立たされました。

いまもその影響は続いていますが、文化施設や仕事を失うフリーランスの人々などを支援するための署名活動やクラウドファンディングなど、文化芸術界で連帯の動きが広がりました。そして、YouTubeなどを使ったオンライン配信や新しいサービスが始まり、外に出なくとも工夫を凝らして新たな作品を制作するなど、困難な状況においても多くのアーティストやクリエイターが表現活動を続けました。家に篭りながら観たアーティストの力強いライブや、新しく生み出された作品に、心を震わされた人はたくさんいたのではないでしょうか。

文化芸術の灯を絶やさないため、さまざまな人々が起こしたアクションを決して忘れることはできませんし、それらのアクションは、今後の文化芸術の発展につながっていくはずだと信じています。

toe発起のライブハウス支援プロジェクトにナンバガ、東京事変、ceroら約70組 「ミニシアター・エイド基金」深田晃司、濱口竜介らが記者会見 文化施設の閉鎖に向けた助成金を。「#SaveOurSpace」が会見

「戦争反対」と叫ぶのは無意味か?『No War 0305』でGEZANらと1万人のデモが暴力と冷笑に抗議(2022年3月8日)

2022年2月24日、ロシアがウクライナに対する軍事侵攻を開始した。その翌日には新曲でこの事件に言及した曽我部恵一をはじめ、国内においてもさまざまなリアクションが巻き起こりました。そのなかでも音楽シーン最大の動きのひとつが、3月5日に新宿駅南口で行なわれた『全感覚祭 presents No War 0305』だったのではないでしょうか。

GEZANを筆頭に、音楽と平和への意志のもとに1万人のデモが集ったこの日。日本の音楽シーンに呪いのようにこびりついた「音楽に政治を持ち込むな」という言葉を燃やし尽くし遠い過去に押しやるような気迫としなやかさとともに、その一部始終を記録することを試みています。あれから1年が経過しますが、この日掲げた「戦争反対」「No War」の言葉を無意味なものにしないよう、メディア人としても、個人としても行動しなければと考えさせられ続けています。

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メディア20周年記念ロゴについて

今回の20周年記念ロゴとリリース用ビジュアルについて編集長との会話を経て、「ポップ&ラディカル」と「想いのブラウザ」というテーマが浮かびました。
前者は「20th」の形状を柔らかく隙間のある輪郭と、エッジの立った強いテクスチャの2レイヤーをズラしてレイアウトすることで、「文化」と「社会」という軸の組み合わせから生まれる豊かな視点(ズレ)や多様な考えを寛容し媒介するメディアの節目であることを表現しました。後者はわかりやすいアプローチで、ブラウザのウィンドウです。
この20周年は、ドメイン取得から20年でもあります。「理想」と「ドメイン」が常にあり、アクセスすればブラウザから閲覧できた状況そのものがレトリックではない表現の構成要素たり得ると考え、歴代のCINRA.NETのロゴに組み合わせるエレメントとして設定しました。メディアに触れたどなたかに、何らかのインスパイアを与えるきっかけになれば幸いです。
- アートディレクター/デザイナー 川角友太

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コーポレートサイトより「CINRAメディアが20周年を迎えました」 20年目を迎えたCINRAの新旧編集長 柏井万作・生田綾がメディア談義。「カルチャーは心の豊かさをつくる」


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CINRAメディア20周年を節目に考える、カルチャーシーンの「これまで」と「これから」。過去と未来の「交差点」、そしてカルチャーとソーシャルの「交差点」に立ち、これまでの20年を振り返りながら、未来をよりよくしていくために何ができるのか?

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