「また、ここに帰ってきたい」小谷実由と巡る南相馬市小高区。町の人と話して見つけた優しさの循環

西に阿武隈山地、東に太平洋。美しい自然と、千年以上語り継がれる豊かな歴史。福島県の沿岸、浜通りの北部に位置する南相馬市小高区は、いま、「チャレンジの町」として注目を集めています。

2011年に起きた東日本大震災。東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内だった南相馬市小高区には避難指示が出され、すべての住民が避難を余儀なくされました。一度は居住人口ゼロになった小高区ですが、復興のためにさまざまな人が努力を重ねてきたことで、若い人や起業を目指す人など、チャレンジを目的とした移住が増加。新しい賑わいを見せつつあります。

小高区への移住・定住を促進するため、ポータルサイト「おだかる」も開設。小高区に暮らす人々の生の声や、小高区の魅力を発信しています。

「おだかる」とのコラボレーション企画となるこの記事では、モデルやエッセイストとして活躍する「おみゆ」こと小谷実由さんが小高の町を訪問。この町の「心地よさ」について、小高を歩き、人との出会いを通して探っていきたいと思います。

小高に到着。まっすぐに伸びる駅前通りにグッとくる

東京から電車で約4時間。JR常磐線の小高駅に降り立つと、雲ひとつない冬の青空が出迎えてくれました。

駅から西へ一直線に伸びる道は、小高駅前通り。震災後は、復興拠点施設「小高交流センター」や、作家・柳美里さんが店長を務めるブックカフェ・フルハウスなど、新しい施設や店が次々に誕生している町の中心地です。

夫婦が営む喫茶店を訪問。「こんな人もいないところで」と言われながらも続けてきた理由は?

小高駅から車で約7分。到着したのは、田園風景のなかの小高い場所に佇む、一軒の喫茶店。広い庭を抜け、三角屋根の建物のドアを開けると、コーヒーの香りと軽やかなジャズの音色に包まれました。

「いらっしゃいませ」

迎えてくれたのは、「KAON COFFEE(香音珈琲)」を営む、佐藤とし子さんと夫の有(たもつ)さん。2019年4月にオープンして5年目、「香音」は、小高の人々の憩いの場になっています。

店をオープンする以前、とし子さんは隣の自宅で、英会話教室を経営していました。小高区内には小学校が4校もあり、当時は60人ほどの生徒を抱えていましたが、震災後、子どもの数は少なくなり、休業を余儀なくされました。

とし子さん:この町を出ようとは、まったく思わなかったんです。まだ働ける体力もあったし、生活にメリハリも欲しかったし、じゃあ何をしようかと考えて。それで、夫がコーヒーが好きだったので、喫茶店をやってみようと。小高に残った住民や、外からやってくる人たちが集える場があったらいいなと思ったんです。

有さん:オープンしたばかりの頃は、「こんな人もいないところで、やっていけるのか」と心配もされました。でも、いまはSNSやネットもあるし、なんとかなる自信があったんですよね。

無類の純喫茶好きとしても知られる小谷さん。店のなかを見せてもらって、すぐに目についたものがあったそうです。

小谷実由(以下おみゆ):店内に大きな焙煎機があって、驚きました。

有さん:お店を始めるにあたって、実際に焙煎所に行って勉強もしました。焙煎は本当に奥が深くて、火を止めるタイミングが1秒でも遅れると、全然違う味になってしまうんですよ。

とし子さん:うちの人のコーヒーはとっても評判なんですよ。私もほかのものは飲めなくなりました。

コーヒーのほかにも、とし子さんの手作りスイーツや、季節の果物を使ってつくるジャム、自家製パンも人気なんだとか。

喫茶店がつなげる人の輪。「こんな風景が見たかった」

ゆったりとした店内で、コーヒーをいただきながらしばしくつろぐ小谷さん。静かな時間が流れます。

おみゆ:窓からの景色を眺めながら、こうして座っていると本当に落ち着きます。きっといろんな方がくつろぎに来ているんでしょうね。

有さん:年配の方が多いですが、移住してきた若者や、小高の住人以外にも、隣の原町やいわき、宮城や茨城、東京から通ってくれるお客様もいらっしゃるんですよ。

とし子さん:毎日、山の向こうから秋田犬とグレートピレニーズを連れてやってくる常連のお客様は、以前は大学の先生だったそうで、北海道から移り住んできたと聞きました。犬たちは可愛いし、来るたび本をたくさん貸してくれるんですよ。「いつか感想を教えて」って。

有さん:移住者の夫婦が、子どもが産まれたと見せに来てくれることもあります。その2か月後には、ずいぶん大きくなっていたりして、成長を見られるのは嬉しいですね。

とし子さん:この店で出会って、仲良くなるお客様同士もたくさんいらっしゃって。「俺、蕎麦屋やってんだ」「じゃあ今度食べに行くよ」なんて、つながりができていくんですよ。

小高に長く暮らす人も、移住者も、コーヒーを飲み、言葉を交わし、つながっていく。震災前にはなかった交流の場が生まれたのです。お二人は、「こんな景色が見たかった」と語ります。

有さん:小高の人が集い、話し合える場所が、ほかにもどんどん増えていくといいなと思っています。町には新しい建物も増えて、ずいぶんきれいになってはきたけれど、まだまだ不便なことも多いんです。そんな課題をみんなで考えながら、いい町をつくっていけたらいいですよね。

最後に、この場所で小高の変化を見守り続けているお二人に、小高の心地よさについて尋ねてみました。

有さん:まずは自然の豊かさでしょうね。1年を通じて四季の移り変わりを楽しむことができます。それから、城下町だった歴史のなかで育まれてきた人の気風。明るく穏やかな人が多いんですよ。

とし子さん:移住してきた若者に、「なんで小高がいいの? なんにもないじゃない」って聞くの。そうすると、みなさん「人がいい」と言いますね。よそ者感覚ではなく、受け入れてくれるって。

ここで見つけた「おだかるまいんど」は?

ポータルサイト「おだかる」では、取材を通し見えてきた、小高の人たちの「想い」や暮らしの中で大切な部分を言葉にして、「おだかるまいんど」と命名。6つに集約して紹介しています。

Happiness is at your feet.
しあわせはいつも あしもとに

Not title,but Name.
肩書じゃなく 名前で生きる

Give what you can.
差し出しあって 暮らす

Big joy because it's small.
小さなことが 大きなよろこび

Less is More.
ないことこそが 豊かさ

Not to be, but as is.
あるべき より あるがままに

さて、小谷さんがKAON COFFEEで見つけた「おだかるまいんど」はなんだったのでしょうか? パネルを前にして、じっくりと考え込んだ小谷さん。やがて手にしたのは、このパネルでした。

Big joy because it's small.
小さなことが 大きなよろこび

おみゆ:移住者の夫婦が赤ちゃんを見せに来たり、常連さんが犬を連れて来たり、ここには毎日いろんな人が来て、交流が生まれています。それは、小さくてささやかなことかもしれないけれど、そのひとつひとつが積み重なって、大きな幸せや喜びになるのだと感じます。「香音」に来て、あらためて何気ない日常の風景の大切さに気づかされました。

小高に新しい産業を。ストーリーを共有する腕時計

次に小谷さんが訪れたのは、駅前通りの「Fukushima Watch Company」。創業者の平岡雅康さんは、震災ボランティアをきっかけに、地元である埼玉県の大宮から小高へと移り住みました。

当時よく訪れていた宮城県石巻市は、津波の被害が大きかった地域。何もかも流されてしまった土地を眺めながら、「復興」のために必要なことをあらためて考えたと言います。

「人が戻ってくるために、これからすべきは、仕事をつくることじゃないかと思ったんです」

長く時計業界で働いて来た平岡さんが思いついたのは、東北で時計をつくり、この地に産業を生み出すことでした。

そこで週末になると東北に足を運び、時計のパーツをつくれる工場を探し回ったと言います。埼玉と行き来する生活が5年ほど続きました。

平岡さん:そんななか小高の町と出会ったんです。僕は仕事の傍らで花火を打ち上げる活動をしているのですが、コロナ禍で花火イベントが中止になり、全国で花火玉が余って困っていました。そこで、せっかくならどこかで打ち上げて、世の中を元気づけようという話が持ち上がりました。打ち上げやすい場所を探していたところ、小高という町が好意的に受け入れてくれたんです。

おみゆ:小高に来たときはどんな印象でしたか?

平岡さん:海と山があって、その間には農地が広がっていて、そののどかな風景が、時計の仕事でよく訪れていたヨーロッパの田舎町を思い出させました。それで、東北で時計をつくるなら、この地ではないかとピンときて。すぐに移住を決めました。

ものづくりをするうえで、二人が大切にしていること

「東北に産業を起こす」ことを目標にスタートした、「Fukushima Watch Company」。平岡さんがこの地に移り住んで最初のモデル「odaka」を、2023年4月に発売しました。ヨーロッパに似た小高の雰囲気をクラシックな型で表現しつつ、5色のカラーと文字盤のデザインで個性を出したと言います。

おみゆ:色ごとに名前がついているんですね。ブロッコリーとかチリペッパーとか、面白い。

平岡さん:じつは、小高を代表する農作物などから名付けているんです。小高って、とにかく食べ物が美味しいんですよね。時計のカラーリングには、こんなに美味しいものをつくり続けている農家の方や自然へのリスペクトも込めています。

おみゆ:こうして町を身につけられるっていうのは、いいなぁ。心にいつも小高を感じられますね。

平岡さん:まさに、そういうものになってほしいと思ったんです。誰もがスマホやスマートウォッチを持つようになったいまの時代に、なぜ腕時計が残っているのか。そう考えたとき、「ストーリー」があるからじゃないかと考えたんです。

きっとそれぞれに、腕時計を見るたびに思い出す物語がある。過去から現在へ、現在から未来へと続く物語を一緒につむいでいくもの。腕時計には、そんな役割があるんじゃないかと思っているんです。odakaを身につける人のストーリーと、この町のストーリーを橋渡しする存在になってくれたら嬉しいですね。

おみゆ:素敵です。私も、これまでさまざまなブランドとものづくりをするたび、いまの時代に新しいものを生み出す意味を考えます。ストーリーがある物は、もっと大切にしたくなるし、人にも教えたくなる。だから、いつもそれを一番大事に考えているかもしれません。

「Fukushima Watch Company」の社名には、「福島の時計メーカー」という意味と「福島を見て(Watch) ほしい」という2つの意味が込められているのだとか。今後、福島県内の市町村をモデル名にした腕時計をつくる予定だそうです。

実験ラボに潜入。新たな視点から、養蚕をもう一度

とにかく行動派の平岡さん。時計のほかにもいま取り組んでいることがあると言います。小谷さんを連れ出した場所は、駅前から少し離れたとある施設。なんと平岡さん、ここで蚕を飼っているのです。

平岡さん:小高は、明治時代から養蚕業が盛んな地で、「絹織物の里」とも呼ばれていたんです。当時は、この一帯にも桑畑が広がり、町のほとんどの農家で「お蚕様」を飼っていたと聞きました。しかし、時代の変化とともに衰退してしまったそうです。

じつは、僕の出身地の大宮も製糸業で栄えた歴史があり、以前から養蚕には興味を持っていたんです。そこで群馬県の富岡で養蚕について学んだあと、自らブランドを立ち上げ、シルクを使った商品を販売してきました。そのノウハウがあったので、小高でもそれが活かせるんじゃないかと。

おみゆ:小高ではどんなものをつくりたいと考えているのですか?

平岡さん:日本の養蚕が衰退してしまった理由に、絹糸にするだけでは利益を上げることが難しいということがありました。であれば、切り口を変えていかなきゃいけない。それでいま、シルクの成分を配合した化粧石けんを開発中です。シルクに含まれるアミノ酸は肌に近い成分だといわれていて、美容効果が注目されているんですよ。

おみゆ:わぁ〜使ってみたい! 商品化が楽しみです。

養蚕業を再び盛り上げられれば、新たな仕事を生むことができる。時計産業とともに、養蚕産業の復活が新たな光になってほしいと平岡さんは話します。

一度自分も「よそ者」になったからこそわかる、移住者の気持ち

住み慣れた首都圏から離れ、小高に移住してきた平岡さん。小高の住み心地のよさについて、説明してくれました。

平岡さん:その理由は、なんといっても人の温かさだと思います。震災後、ボランティアで東北各地をまわりましたが、小高の人の優しさは群を抜いているんですよね。それはなぜか。おそらく避難指示によってみなさん一度この地を出て、自分自身も「よそ者」になった経験をしたからだと思うんです。だから移住者に対して親身に、温かい思いで接することができるのかなと。

移住者同士の交流も活発で、すぐに仲良くなれるんですよね。この町を好きになって移り住んできたという点でやっぱりどこか通ずるものがあるのかもしれません。そして、僕もそうですが、ここに住んでいる人はみんな、もともとの住民であれ移住者であれ、「小高の人」としてプライドを持っているような気がします。

ここで見つけた「おだかるまいんど」は?

Give what you can.
差し出しあって 暮らす

小谷さん:長年働いて来た時計業界の知見や技術、そしてその後に学んだ養蚕の技術を差し出す平岡さんと。自然の豊かさや農産物、養蚕の文化を差し出してくれた小高。互いに差し出しあったものから、より大きな幸せや喜びが生まれていると感じました。きっと、もともとここに住んでいる人と移住者の関係も同じですよね。

平岡さんにも、ご自身が好きな「おだかるまいんど」を選んでいただきました。

Not to be, but as is.
あるべき より あるがままに

平岡さん:僕自身は、時計も養蚕も、好きなことをやっているだけなんです。小高はそれができる場所。やりたいことがあるなら、いくらでも挑戦できるチャンスがあると思います。僕はここに来てからのほうが、人生がずっと楽しいものになりました。

なんでも話し合える、みんなの宿「双葉屋旅館」

「Fukushima Watch Company」のお隣にあるのが、平岡さんの店の大家でもある、双葉屋旅館。駅から徒歩1分、現在は小高で唯一の旅館です。創業は、1960年。この町の入口として、長年にわたって人々の交流を見守り支えてきた歴史があります。

切り盛りするのは、4代目の女将・小林友子さん。大学卒業後、一度は小高を離れましたが、両親が体を壊したことをきっかけに、宿を継ぐことを決意。2005年に生まれ故郷へ戻ってきました。

震災時は津波によって1階床部分が冠水したという双葉屋旅館。小林さんは、息子の住む名古屋へ一時避難しましたが、小高を離れるつもりはなかったといいます。改修工事を経て、2016年に営業を再開すると、元住民や旅行者のほかに、この地を学びたいという企業や学校など、さまざまな人が訪れるように。現在、小林さんは地域の復興に貢献したいと、町おこしに関わるさまざまな活動を行なっています。

震災前の小高。人も物も経済もちゃんと循環していたあの頃

建物のなかを小林さんに案内してもらいながら、町と旅館の昔話を聞かせてもらいました。

おみゆ:小高に生まれ育った小林さんですが、どんな思い出がありますか?

小林さん:やっぱり自然が豊かだから、祖母と山菜取りに行ったりとか、父とたまに海釣りに行ったりとか、そういう思い出がたくさんありますね。旅館の手伝いもよくやらされて、そこらじゅう走り回っていましたよ。

おみゆ:当時はどんな方が旅館を利用していたんですか?

小林さん:双葉屋旅館のある駅前通りは、商店街がずっと続いていて、そこにやってくる問屋の方がよく泊まってくれていましたね。それから、結婚式や宴会、法事など、町の人の集まりにも何かと使ってもらっていて、近所のお魚屋さんに宴会用のお刺身をお願いしたり、金物屋さんに引き出物をお願いしたり、この町のなかで経済が回っていたという記憶があります。

震災後、旅館を再スタートした理由。「みんなが帰れる場所になればいい」

小高駅前でこの町を見守る存在として、多くの人に愛され、歴史を重ねてきた双葉屋旅館。両親の思いを引き継ごうと実家に戻ってきたものの、旅館経営は素人。それでも、幼い頃から両親の仕事を見てきたおかげか、自然と体は動いたといいます。それから6年後、震災が起こります。

小林さん:この年齢で新しい仕事を見つけるのは難しいし、やはり小高に戻ったほうがいいと感じて。仮設住宅に住みながら、旅館の改修工事を進めることにしました。旅館としてやっていけるかは別として、自分たちの暮らす場所があるならそれだけでいいと思っていたんです。

そんななか、避難先から家の取り壊しや手続きのために小高へ帰ってくる人たちのために、宿泊できる部屋を提供してくれないかと南相馬市から相談があって。それがきっかけで、2016年の避難解除後から正式に旅館の運営を再スタートしました。町を離れた人も、何かあったとき小高に帰れる場所になれればいい、と思ったんです。

元の町は戻らない。だから、新しい町をつくるしかない

移住・定住を促進するため、住宅支援や起業・創業の支援などさまざまな支援を実施している小高区。その甲斐もあってか、徐々に移住者が増加しているそうです。

おみゆ:いま、小高には外からの移住者も増えていますが、そんな状況を小林さんは、どう見てらっしゃるんですか?

小林さん:そりゃ若い人が来てくれるのは嬉しいですよ。だからこそ私たち住人は、ちゃんと受け皿にならないと、と思っています。何が見たい、知りたいと聞けば、案内したり、住めるところを探していると聞けば紹介してあげたり。もちろん全部お膳だてしてあげる必要はないけれど、「頑張って!」と、つねに応援する姿勢ではいたいと思っています。

おみゆ:新しい人が入ってきて、きっとこれからどんどん変わっていく部分もあるんでしょうね。

小林さん:もう元の町は戻りません。だから、新しい町をつくるしかない。そのためにみんなで課題は解決していきたいですし、話し合う場も必要だと感じています。まずは、交通の便と買い物の場所、それから医療。この3つがちゃんと揃うと、住民は安心して暮らせるようになりますよね。

おみゆ:新しい町ができていくなかで、双葉屋旅館はどんな存在になっていきたいですか?

小林さん:どうしたら町や国が良くなるかとか、原発についてどう思うかとか、なんでもここで話し合いができたらいいなと思うんです。小高は、負の部分もいい部分も受け止めて、みんなで助けあっていかなきゃいけない場所だから。

「ご飯食べな」とか「お茶飲みな」とか言いながら、未来につながる対話を続けていくことが、私の願いかな。私ね、ここでいろんな人といろんな話をするのがすごく楽しいの。

「実家に帰ってきたみたいな気分」になれる場所がある意義

おみゆ:小高の心地よさって、どういうところにあると思いますか?

小林さん:やっぱりね、小高はご飯が美味しいの。それは豊かな自然環境のおかげだと思うので、大切に守り続けていきたいですね。あとはやっぱり人の良さかな。みんな裏表のないそのまんまの人たちだから、気持ちいいんですよ。

おみゆ:双葉屋旅館さんにいると、なんだか実家に帰ってきたみたいな気分になります。こういう、誰もが安心できるセーフスペースがあることが、きっと小高の人たちの心の支えにもなっているんだろうな。

ここで見つけた「おだかるまいんど」は?

Happiness is at your feet.
しあわせはいつも あしもとに

おみゆ:双葉屋旅館には小林さん自身の幸せがたくさん散らばっていて、こちらまで幸せな気持ちになりました。すごくシンプルなことかもしれないけれど、まずは自分が楽しくないと、周りのことも楽しい気持ちにできないということを再確認しました。

Give what you can.
差し出しあって 暮らす

小林さん:私は「共に生きる」ということが、大好きなんですよ。そのときに自分ができることを一生懸命やって、お互いに支えあえば、誰もが幸せになれる。そういう気持ちをいつも胸に、みんなが住みやすくて楽しい町をつくっていけたらいいですよね。

「私、またここに帰ってきたいな」町を包む優しさの循環

「あ〜楽しかった!」

とっぷりと日が暮れて寒さが増してきましたが、小谷さんは、あたたかい気持ちを抱えて駅に向かいます。

おみゆ:今日1日どこへ行っても感じたのは、本当に町の人が優しいということ。初対面なのに初めて会った気がしないんですよね。「受け入れよう」という気持ちをすごく感じました。

いままで、震災後の復興の状況については、メディアの情報でしか触れる機会がなかったので、こうして直接足を運んで、その町の人に話を聞けたことで、いままで見えていなかった部分も知ることができたような気がします。

避難して戻ってきた人も、移住してきた人も、どんな想いがあって、何をしてきたか。私は、何事も「過程」が大切だと思っていて、そこをしっかり見つめることで価値観も視野も広がっていくと感じます。

もしも私が小高に住んでいたら、きっと、誰かのために何かしたいと自然に思えるような気がします。人に優しくされたぶん自分も相手に優しくしたいという気持ちになるから……。まさに、「おだかるまいんど」の「差し出しあって暮らす」は、そういう優しさの循環を生むものなんだろうなと思います。そして、それがきっと小高の心地よさにつながっているんじゃないかな。

小高に来たからこそわかった「心地よさ」の理由。

昔からここにいる人も、新しくここで始める人も、まずは受け入れ、心を開く。そして、そこから生まれる優しさの循環。

「私、またここに帰ってきたいな」

そう笑顔で語る小谷さん。1日の旅であっても、小高は、特別な場所になったようです。

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