CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』

CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』2010年7月配信分(vol.281〜284)

vol.281 岡田、國母、パク、長谷部(2010/7/5)

全裸

負けて、朝起きたら、感動をありがとう、と繰り返している。さて、代表の皆は我々なんぞに感動を差し上げる為にやっていたんだろうか。敗戦直後、これからの日本サッカー界について問われた監督は、「今ちょっと、日本のサッカー界まで考える余裕ないです」と答えた。これはすばらしい返答だなあと思った。観ている側の方が、これからの日本サッカー界について考え込んでいたのだ。当人たちは、与えた感動とかこれからの将来なんてどうだって良かった。その供給源となる為にサッカーをやるのが一義ではないからだ。

4年前にグランドに倒れ込んでサッカーから別れを告げた立役者は、自分探しの旅に出るとか何とか言って、世界を巡った挙句、4年後、オシャレスーツを着込んでサッカー解説者として戻ってきた。4年間世界を巡って身につけたのは、その広告代理店臭だったのか。

いや、駒野は悪くない、と皆が言った。「いや」という反語を使う以上、駒野が悪い、と言った大勢を見つけた後のはずだが、それはどこにいたのか。「駒野が悪い」はどこにも無かったのではないか。ならば、「いや、駒野は悪くない」の合唱がピッチの外から噴出する様は、とても心地悪いことだ。ピッチの中が「俺が蹴っても外していたよ」と慰めていたのに、ピッチの外は、「悪くない」と善悪の査定を急ぎ、善とすることで物知り顔を散らしていた。

どうしてそんなに物語を区画整理したがるのだろうか。試合に出られなかったベテラン選手を捕まえて、精神的支柱となってベンチも一体となっていたとし、控えに甘んじたかつての司令塔は言葉少なだったと本人の悔しさを勝手に誘発する。監督は大のマスコミ嫌いで知られている。いつもしかめっ面で淡々とコメントするのは、事前に用意された物語に吸収されるのが嫌いだからであろう。その監督が帰国会見で破顔して、モノマネと歌を選手にふった。その2人は両方共控え選手だった。しかもそれを「俊輔がやれと言っていた」とボソッと呟いてからふる辺りに、この監督の復讐心が潜んでいた気がする。

みんな、ちゃんと、國母選手のことを覚えているだろうか。僕は覚えている。いや、正確に言えば、ハーフタイムの間に思い出していた。ある日突然、国という主語を持たされて、シャツを出してズボンを下げただけで非国民扱いされた彼。4年間スノーボードをやってきた末に手にした切符を、数週間前から急ピッチで育ませた愛国心に潰されそうになった。ところで、日本を代表していたあの体操選手が選挙に出るようだ。恐ろしいことに、彼は、演説活動の一環として公衆の面前で逆立ちを披露しているのだという。トホホ、という言葉が似合う。僕らが制止しなければならないのは、明らかにこちらである。

空港に帰国した日本代表の映像と、自殺したパク・ヨンハが最盛期に日本に降り立った映像が、驚くほど似ていた。柵から身を乗り出して手を振る。その熱狂を予想していていなかった当人は、やや困惑しながらも受け答えてみせる。スクランブル交差点で大騒ぎした連中は、負けたのに、また騒いでいた。どこまでも浅はかである。勝っても負けても騒ぐのだから、これがサッカーでも野球でも、スポーツでも政治でも、変わらんのだろう。そんなことは知っていたが、やっぱりそうなのかと知らされると、失笑しか対応策が無い。よほど、パク・ヨンハの自殺を聞いて「ちゃんと」韓国まで駆けつけたオバ様たちのほうが、一貫性があった。海外リーグに所属するゲームキャプテンの長谷部はわざわざ「Jリーグを観に来てください」と言い残した。インスタント沸騰中の皆を冷静に問う発言だったに違いない。「同情するなら金をくれ」ではないが、「感動するならとりあえず観に行け」という、痛烈な皮肉に聞こえたのだ。

vol.282 ゆくゆくは用務員(2010/7/12)

全裸

ある清純派女優が、渋谷のホテルから出てきた所をキャッチされ、路上でチューする瞬間を週刊誌におさえられてしまった。こういうことは、少なからず起きる。その度に、清純派なんて言ってっけど、結局やることやってんじゃないかという失望が辺りに溢れる。でも実は、「そうは言っても清純派ではないんでしょ」というのは、常に前もって用意されている深読みである。清純とはそもそも不純、要するに不純だと知っているのだ。だから、世は一時期、天然系を大いに許容し、逃げ込んだ。清純がブランディングされる不純を、天然へ逸れる事で愛でる対象を更新したのだった。しかし、天然は模倣が容易だった。次々と天然が生まれた。そして、天然で居続けることを諦めて食いぶちを失った添加物が、天然なんて天然じゃないと、元も子もないことを言い捨てた。

ホテルから出て、熱烈なキスをするその清純派女優は、その意味において、天然の終焉と清純の勃興を写すような貴重な存在だった。だから、世は、定期的におとずれる熱愛の激写に増して、強いショックを受けた。ふと、思い出した。渋谷で職務質問を受けた夫のもとからダッシュで逃げたノリピー。彼女にも、清純派、という称号が付きまとっていた。まさかあの清純派アイドルが、と、その時点では既に使っていなかった古びた称号を再活用し糾弾の可燃材にした。それは「少しだけ」気の毒だった。清純は、いつまでもこびりつくのだとそこで知った。「清純そうな感じなのに」と、他人が言う。「私は清純です」と本人は言わない。本人は言わないのに、誰かの「感じ」がずっと粘着するのだ。それが清純。そう決められた側にとっては、たいそううざったいだろう。

10年振りに会った友人とじっくり話した。5年ほど前に5歳年下の女性と結婚したという。中学時代、彼は、エロの先鋒だった。何でも知っていた。進んでいた。色々持っていたし、それを周辺にまんべんなく与えてくれた。そのころ、彼は真顔で、「女子高生が一番良いに決まってるから、俺は年寄りになったら高校の用務員になって女子高生と一緒に過ごすんだ」と言っていた。字面を追うだけだと、いわゆるロリコン癖なのかと危ぶむかもしれないが、その頃それを話す彼の姿はとても純真で、聞くこちらは、うんうんほんとうにそうであってほしいとその都度思わされていた。そのことを、彼の顔を見た途端に思い出した。薬指に光るモノがあったので問うと、20代初めに、10代の女性と結婚したんだと呟いた。鬼嫁で、こうして1人で出かけるといつ帰ってくるのかとウルサいんだよねと頭を掻く彼をじっと見ていた。

清純派女優がホテルから男と出てきて路上でチューをした。ああ、これで彼女の芸能生活は終わりだという声すら聞こえてくる。しかし、そうなんだろうか。清純だと思っていたが実は清純ではなかったという衝撃は、実は、彼女自身に振りかかるわけではない。こちら側の、とある願望が崩れただけで、当人が砕け散る案件ではない。かもしれない、とか、こうであってほしい、というのは、勝手に投げつけた設定にすぎない。にも関わらず、それが壊れると、何でそうなのと、裏切りの眼差しを向ける。しかし、当事者にしてみれば、それはちょっとおかしいということになる。20代前半で10代の女性と結婚した彼に、10年振りに、「それでもまだ、ゆくゆくは用務員を?」と聞くと、当たり前だよという顔をした。使い方を間違えるが、これはピュアだ、とっても。

清純派女優は、清純ではないという裏の前提を同時に背負っている。それって不純だ。そりゃあ病むだろう。となると、清純とは、不純なスタートが最終的に浄化された瞬間にしか現れないのではないか。つまり、彼が、「いつまでも女子高生と一緒に過ごすんだ」と言っていた不純が、ここにきてようやく磨き上げられたように思えて、んで、それって清純、と、思ってみたのである。彼はずっとニヤニヤ笑っていた。

vol.283 本来こうあるべきでない態度と状態とランク(2010/7/20)

全裸

昼、とある国営放送の執拗な取り立てがいらっしゃる。名も名乗らず、ところで地デジにしてますかとドア越しに言われたので、いやまだですよと答えると、それはこの家にテレビがあると家主から宣言させる手段だったようで、ところで受信料のお支払いがまだのようなのですがと大声を張り上げてくる。あらいやだお下品だこと。開けてくれませんかとオウムのように繰り返すので、致し方なく開けると既に記入用紙の準備が整っている。この強権発動のスムーズさに閉口したワタクシ、今取り込んでるんで、という魔法の一言を放り投げて退散を促す。それでは今日はいつならば大丈夫なんですかと凄むので、その時になってみないと分かりませんが夕方でしたら比較的大丈夫だとは思ってはおりますが、と含みをあちこちに持たせた返答をする。勿論、夕方にちゃんとやってきた。はとバスの 60年に渡る歴史を振り返る新書をあと数頁で読み終わろうとする「取り込み中」であったために、取り込んでましてと正確な返答をすると、また夜来ますのでよろしくお願いします、と大声を張り上げて帰って行った。その夜は、居酒屋で、在庫を切らすほどの枝豆を食べ尽くした。かなり取り込んでいた。

朝、マクドナルドへ行くと、夜の仕事帰りの女性が、いくつかの席を占領してうつ伏せで寝ている。スカートがめくれて、ストッキングの下のパンツが見事に出ている。彼女の隣の席に座った。通りかかる男たちが、汚いものを見る目でパンツを凝視していく。皆、同じ反応だ。汚いものを見る目。ただし、凝視。珍しいものが珍しくない形で置かれていると人はこういう反応をするのか。エロスが本人の意思を介さずに積極的に公開されていても、受容側は納得がいかないのか。店内清掃をする若い女性がテーブルを拭き、椅子の位置を直している。その、明らかなるパンツの公開をどうするのか。彼女はうつ伏せの女性のテーブルを拭いた。そして、汚いものを見る目で凝視した。次のテーブルへと移った。男たちと同じ反応だった。ところで、ここでこの様子を写真に撮ったら自分は逮捕されるのだろうかと、ふと思った。盗撮というのは、盗み撮るから犯罪なのであって、公開されているものを撮る場合、どうなのだろうかと。本人の意思の無い中ではやはり盗撮なのか。では、この公開されたパンツは、誰の意思なのか。何となしに置き去りパンツと名付けたが、誰にも歓迎されないパンツもあるのだなと、初めて知った。ジェンダー論の新機軸となるのではないか、置き去りパンツ。ならないけど。

夜、ルノアールで、女性が男性に相談を持ちかけている。自分に自信が持てないのだと言う。そんなことを大声で話す自信が僕にはないのだが、とにかく、彼氏に欠点を見つけては何とか自信の無い自分と吊り合わせているのだという。それが辛いという。前の彼氏は、とてもかっこ良くて性格も良いし申し分無かった。でも、学歴が気になった。中高と優秀な進学校に進んだ。その学校を卒業すると6大学レベルに進学するのが当然なんだけど、彼はそれよりもう1ランク下の大学だったの。それがどうしても引っかかって別れたの。男性は返した。完璧な男なんていないんだよ。そこから男性による人生哲学が続く。女性は、メモをとるといって手帳を開いた。「1ランク下の大学に通っていたことが付き合いを諦める争点になり得る」という男女間の共有に驚きを隠せぬまま、2ランク下の大学に通っていた自分はそそくさと店を後にした。家に帰って、地デジ化されていないテレビでNHKスペシャルの再放送を見た。

vol.284 思わせぶりのトホホたち(2010/7/26)

全裸

赤ちゃんが乗っています、と貼ってある車を見かける度に、「んで? 何?」という返答は許されないものだろうかと思ってしまうのである。僕には赤ちゃんがいないので、赤ちゃんが乗っています、という状況がどれだけ大変なものなのかが分からない。大変さが分からない以上、頭の中には、もしかしたらそんなに大変じゃないんじゃないの、という思いが同時によぎる。おそらく大変なのだろうということくらいはさすがに分かっているが、ならば、どうしたら宜しいかと、その対応策をいただきたくなる。乗っています、とだけ宣言があって、こちらの身の振り方に対する指示は無い。どうしたらよいのだろうか。おおもむろに赤ちゃんが後ろ窓に見えるように顔を出した時、即座にオモシロ顔を出せるようにしておけばよいのだろうか。

インディーズ映画祭へ行ったら、それ相応の審査を経てきたとは思えない作品にブチ当たってしまい、半日間、偏頭痛に付き合わされることとなった。都会と田舎、大人と子供、生と死を複雑に絡み合わせましたと言いたげな、自信満々の作り。でも、それぞれの対比も、或いは連帯も見えてこない。あらゆる接着が欠け、何となく鋭利な雰囲気を精一杯誇張して象り悲劇的に落とし込んでいくのだが、それでいて、この重いメッセージをどう受け止めますか、と前のめりに主張してくる作者のホロ酔い状態を浴びまくって、「何じゃい、この、事の軽さは」と、安売りの悲劇を偏頭痛の中で考え込む。

数ヶ月前だったか、ツィッターとかいうのに、ちょいとワタクシに物申した気なコメントが書き込まれているのを見た。物申したいのだが、誰かの賛同を待っているようだった。「じゃない?」的な。そこへ賛同があれば、でしょでしょ、本当にアレはさ、と、そこで初めて動けるのだろうか。動けるというかお家の庭で呟けるようになるだけだから、こちとら無傷なのでワンパク全開でまたまたご迷惑をおかけしてしまうのかもしれないけれど、何だかその、徒競走はお手てを繋いで皆でゴールしましょう教育が実生活に滲んでいらっしゃるようで、お気の毒様である。他者からの賛同を待って肩を組んでエイヤーと攻撃してみるのって、かつての不良漫画にあった、喧嘩に負けた後のチンピラが「この野郎、ただじゃおかねえからなぁ」と何故か強気で立ち去って行くアレと同じ位酷い闘争精神でして、思わせぶりな思いつき発言(あぁ、この浅はかな二重構造)が低次元で炸裂していらっしゃる。メールでご連絡くださいよ、という話。丁寧にお答えしますし、場合によっては謝りますし。今はこういう風に考えているんですよねと、その都度の変化を申し上げますし。

赤ちゃんが乗ってますプレートも、あのインディーズ映画も、呟きも、おんなじ顔つきに見える。どれも結局、人様の賛同を待って初めて物事が伝わるような仕組みになっている。どうしたものか。直接物申せない人頼みの思わせぶりを、なんでこんなに嬉々として認め合うんだろうか。偏頭痛がまたもやちょっと再発なう。



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