
パルコが生み出したカルチャーとはなんだったのか? 50年の歩み
パルコ「50年目の、新しいパルコ。」- テキスト
- 黒田隆憲
- 編集:野村由芽、中田光貴(CINRA.NET編集部)
再開発の進む東京と共鳴するように、変革の時を迎えたパルコ。
「新陳代謝の真っ只中という感じがする。渋谷もそうだし、街自体が汗をかいて不純物を出して新しく生まれ変わろうとしているのかなって」
来年開催される東京オリンピック・パラリンピックに向け、再開発が進む東京のイメージをYogee New Wavesのフロントマン角舘健悟は、コムアイとの対談の中でそう表現していた。折しも今年、開業から50周年というタイミングで、パルコもまた「新陳代謝」ともいうべき大きな変化を迎えている。
今年3月、東京の錦糸町PARCOがオープンしたのを皮切りに、沖縄のサンエー浦添西海岸PARCO CITY、神奈川の川崎ZERO GATEと全国で新たなビルをオープン。そして11月22日、2016年より長らく建替え工事が続いていた渋谷公園通り沿いのPARCO 旧パート1が、旧パート3部分と併せて地下1階、地上10階の新生「渋谷PARCO」に生まれ変わる。
1973年のオープン以来、ファッションのみならず音楽や映画、舞台など様々な分野のイベントやプログラムを開催し、「渋谷カルチャーの発信地」として大きな役割を担ってきた渋谷PARCOが、これからどのような展開をしていくのか期待は高まる一方だ。
開業以降、カルチャーを軸に様々な試みを行うように。
今から50年前、旧国鉄の池袋駅に池袋PARCOをオープンしたパルコは、西武百貨店を中核としたセゾングループから誕生した。
1973年には「すれちがう人が美しい―渋谷公園通り」というキャッチコピーを携え、渋谷PARCOをオープンする。アートディレクターに石岡瑛子、コピーライターに小池一子、イラストレーターに山口はるみといった、女性クリエーターの積極的な起用により、初期のパルコのイメージ戦略を成功に導いたのは象徴的なエピソードだ。
私たちの世代でも女の人は社会に出て働き、経済的に自立し、自分の自由を大切にして、生きたいように生きるのが一番だ、ってことはあえて考えるまでもなく感じていました。だからパルコで描いていたものは、そういう人たちに向けたものなんです。「のびのびとやりましょう」「一緒にやろうぜ!」っていう。スポーツの団体競技のように、受け手にもJOINする(一緒に加わる)気持ちが伝わればいいな、と思って作っていました。
山口はるみ
「YOSHIROTTEN×山口はるみ 40年前から、世は自由な女に憧れてる」より
また1975年には、パルコ出版より月刊『ビックリハウス』が創刊された。劇団「天井桟敷」(1960年代後半から1980年代にかけて活動した、寺山修司主宰の劇団)出身の榎本了壱と萩原朔美が、当時「渋谷のタウン誌」としてスタートしたこの伝説の雑誌は、読者からの投稿を柱にパロディ雑誌へと進化。さらに1977年から髙橋章子(日本のエッセイスト、編集者)が編集長となると、糸井重里やとんねるず、大滝詠一、みうらじゅん、YMOら錚々たる顔ぶれが関わるようになり、その斬新な誌面づくりは今なお出版業界、メディア業界に計り知れない影響を与えている。

月刊『ビックリハウス』終刊以降も存続している『御教訓カレンダー』について、萩原朔美、榎本了壱、上野千鶴子が語り合った鼎談記事「カウンター文化はサブカルに。時代の転換点を当事者たちが語る」(撮影:大畑陽子)
サイト情報

- 『パルコ50周年キャンぺーンサイト』
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2019年1月1日からスタートしたパルコの50周年キャンペーン「50年目の、新しいパルコ。」の特設サイト。同サイトでは、インタビュー企画や謝恩企画など、随時情報が更新中。