「フジワラノリ化」論 第7回 辻希美 「モー娘。」を剥いだママさんの強度 其の四 読ませるブログ文章術を辻希美に学ぶ

其の四 読ませるブログ文章術を辻希美に学ぶ

品川庄司の品川が、読まれるブログの作法を伝授していて、「改行を多くして読みやすくすること」「写真やデコレーションを多くして、目を飽きさせないこと」と言っていた。そりゃそうだろうと思うだろう。しかし、そのどちらも、とにかく過剰にやる。改行について言えば、例えば「今日は、日テレに来ています。これから収録です。緊張するなあ。」という文章があったとする。これを4分割する。「今日は、」「日テレに来ています。」「これから収録です。」「緊張するなあ。」といった具合に。そのそれぞれの末尾なりにデコレーションを施していく。まずパッと見たときの画面が明るい。重くない。そして、スクロールしなければ続きが読めないので、これらがイントロダクションの役目を果たす。日テレに来ていて、これから本番。「ところで今日は、」と前置きして、「●●さんと一緒なんですぅぅぅ」とやれば、読者は興奮する。パッと画面を開いた時に、早速●●さんと一緒であると知らせるのではなく、実は一緒なのだ、と、もったいぶって見せていく。多くのタレントが、自身のブログをそのまま本にして失敗している。紙に印刷されたブログの文章は、いかにも稚拙で、その稚拙が羅列されればされるほど商品価値が薄まっていく。猛スピードでスクロールして読む体系のモノを、「じっくりと」紙に印刷しても、誰もそれに対して腰を落ち着けようとは思わないのである。

ブログの文章は、それゆえに、語りすぎてはならないし、ある物事に対する考察を陳べ連ねてはならない。例えばこの連載をブログとして載せるなんてのは厳しい。ブログでなくともWEBでの文章に対する読者の耐久力はとても弱いとされているが、ブログに限れば、その耐える力はより繊細である。すぐに「あーめんどくせえ」となる。朝起きただけで、「起きたよ、おはよー」とメールを放射する世代の人気を捉えるには、ブログにそのまま「起きたよー。おはよー。ねむいー」と書いてしまえば良い。余計な情報は不要である。玄関先に何ちゃらの花が咲き始めようが、それは書く必要の無いことだ。辻希美のブログは爆発的なヒット数を記録している。中川翔子のように特殊な言語と特殊な受け手をもち得ないのにも関わらず、ヒット数のランキングでは必ず上位に食い込んでいる。内容が面白いわけではない。それは断言できる。ここでしか分からない情報が詰まっているわけではないし、主婦アイドルとしての頑張りが表立ってくるわけでもない。当然、何かに対する考察は含まれてこない。思えば、辻希美がモーニング娘。に入ったのは13歳のことである。入った途端に仕事に忙殺されていくわけで、真っ当な中等教育は受けられなかっただろう。バカにするわけではないが、難しい単語を覚えることも無かったろうし、自分の文章を自分の手で編み込んでいく経験も持てなかっただろう。要は、知っている言葉をフルスロットルで持ち出しているのだ。しかし、幸運にも、現在の芸能界に必要なのは、あらゆる言葉を知っているよりも、限られた言葉をいかに活用できるかである。「ヘキサゴン」を中心とした「おバカ」ブームを見ていれば分かるが、彼ら・彼女らの魅力は、無知ではない。無知を補う会話の弾力である。返答を求められた時に自分の辞書から引っ張り出してくる限られた単語のセンスである。辻希美のコメントが弾力を持っているとは思わないが(だから、面白くはない)、その言語センスが、芸能界に求められているおバカとブログに求められている語りすぎない文章の両方に応える結果となっているのだ。

例えば、映画「アマルフィ」の試写会に招かれた辻希美は、その映画の感想をこう書き込む。「登場人物の『守りぬくもの』への思いがたくさん詰まっていてすごく感動しました」。この書き込みに反応して、僕も私も観に行きますと、読者の書き込みが続く。映画について、何も説明していない。カッコ付きの「守りぬくもの」というのが、辻希美の場合で言えば、息子、ということになるのだろうか。とにかく、ある事に対して書きすぎない。具体的な対象に乗っけて自己主張しない。これが辻希美の、そして芸能人のブログに求められる作法なのだろう。

「フジワラノリ化」論 第7回 辻希美

こういう機会だからと、辻希美のブログを振り返るようにひたすら読んでみた。すると、反復性というキーワードが浮かび上がってくる。だからさ、反復性なんて難しい言葉は使っちゃいけないわけでして、そう、繰り返し。息子のこと、洋服のこと、料理のこと。この繰り返しなのである。息子を見て、かわいいと言い、洋服を写して、お気に入りと言い、料理を作って、美味しいと言う。これだけである。しかし、その繰り返しには当然ながらそれごとにわずかな差異が生じてきて、息子がちょっと泣きべそかいてたかもしれないし、料理作ってたらちょっと焦がしたりしちゃったかもしれない。繰り返しの中でのちょっとしたこと。この連鎖が生活となる。芸能人だけど同じ、これを下地に敷いておく。実際は、そんなことはない。たまに写り込む自宅の写真は明らかに広くてきれいだし、子供が着ているものも、何だか高値だと思われる。しかし、それはそれでいいのだ。金があるないではなく、生活感を共有できればいい。タレントの中には、未だに、何か特別なことがあった時にしかブログを更新しない人が多い。そうするとそのブログは、特権階級の暮らしになってしまうのである。日常があって、仕事をして、だからたまのハワイが嬉しいのである。ハワイに行ってきました、高級ディナーでお食事したよ、洋服買っちゃったよぉ、では、読者は付かないのである。辻夫妻の手本となっている北斗晶はブログで「人生悪い事ばかりじゃない………これを見ろ」と書き込んで、焼き肉チェーン・安楽亭の「20%割引券」を写す。そうそう、これだ、これなのだ、招待券ではなく、割引券じゃなきゃいけないのだ。

ブログ然り、辻希美に、生き延びようとする手練手管は感じられない。では、これからの辻希美はどうなっていくのだろうか。次回は、「『辻ちゃん』が『辻さん』になる日」と題して、辻希美論をまとめにかかりたい。



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