CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』

CINRA MAIL MAGAZINE連載コラム『全裸』2009年10月配信分(vol.245〜248)

vol.245 お悩みチャートイン(2009/10/05)

全裸

選り好みしてしまうの、その女の人はそう言った。今年は3人の男性を紹介してもらったという。私って、頼りたいの。でも、寄ってくるのは、頼られたい、って人ばっかりなの。これってさ、あたしのさ、イメージなのかな、性格なのかな。由美子も知ってると思うけどさ。こんな私を誰かひろってくれるのかなあ。

こういう、「(笑)」を末尾につけなければとても聞いちゃいられない話を堂々と繰り広げる人がいる。聞き耳を立てていて、さて次はどうやって話を展開するのかと待ち構えていると、その都度、ベタな発言を重ねてくる。相手の友人は「そんなことないよお」を何度か繰り返している。そんなことないよお、を繰り返す度に、彼女は「そんなことないなんてことはない」という内容を上塗りしていく。もう、そんなことないよお、と返す以外に言葉を持てなくなっている。こういうやり取りで自分の悶々を曝け出せる人は、実はそんなに悶々とはしていない。自分の頭ん中の混雑を自分で交通整理する。その代わり、その交通整理の結果報告を誰かにしなければ気が済まない。繰り返される交通整理は、苦心の末ではなく、聞いてよワタシの交通整理っぷりを、という前向きな宣言に裏打ちされている。厄介である。面倒である。

人は皆ナルシストだと思うけども、際立ってナルシストと呼ばれる人がいる。自分好きと和訳されるようなナルシストだ。でも、そういう、露骨に表出するナルシストは、その状態を保つ為に必死にならなければならないのだから、さて自分はこれでいいのかという改訂作業を怠れない以上、秘めた悶々とぶつからなければならない。自分好きでいる為の自分と向き合うのは、その更に深い所に自分を用意しなければならず、なかなかしんどそうである。

悩んでいます、と真っ先に口を出してくる人は悩んでいない、と思っている。今日の天気や昨日食べたカレーや明後日行く予定の映画や今月中に済ませておきたい事務処理をさておいて、早速悩んでいることを激白する場合、その悩みは、彼や彼女の中で圧倒的な強度を保っている。しかし強度だけで、切実さは別問題だ。その時にこちらが言えることは「そんなことないよお」しかない。彼や彼女が待っている返答も、それなのである。悩みってそんなにキレイに交通整理されていいものなのかと思う。

苦しみながらも自分らしく生きています、という交通整理の結果報告があちこちに充満している。悩んでますグランプリを開催しかねないほどに、その悩みの深さをまず伝えようとする。ほう、こないだより深みが増してますねとでも言おうもんなら、でしょでしょでしょとテンションが上がっていく。何だそれは。人の付き合いがクールになったと言われる。そんなことは無い。早々と結論を出した自分のプロモーション活動が積極的にそこらじゅうを飛び交っている。プロモーション活動の強弱で、「オリコン○位獲得!」かのように、「最近、○○ちゃん、悩んでるらしいよ」と広まっていく。みんな病んでいると嘆く人は多いが、それはプレゼンテーションの腕を皆が磨いたからである。この状況に向かう手段が見当たらない。本当に、「(笑)」でやり過ごすしかないのである。人にプレゼンする悩みがないこちらが、徐々に「人に言えない」悩みを抱え込んでいくような気さえする。選り好みしてしまうの、と相談された彼女、プレゼンが一段落してトイレへ行った相手を見送ると、天を仰いでため息をついた。悩みはここにあるな、と思った。

vol.246 カナブンの言い分(2009/10/13)

全裸

そろそろ今日辺りの新聞の一面を飾るのではないかと毎日気にかけているだが一向に報じられないようなのでいい加減こちらから申してしまうが、今年は異常にカナブンが多くなかっただろうか。環境問題に意識的に疎い私にとっては、海面上昇やヒートアイランドよりもカナブンの異常発生の方が切実さを持っている。いや、異常発生という表現はひとまず正しくない。今年の彼らは量より質、その態度で勝負に出てきているようにも思えたからだ。

部屋を締め切っている。蚊すら入ってこない。三角コーナーも掃除したばかりだから小バエもいない。曇りガラスだからカーテンを付けていない。部屋の灯りを付けていると、ガラスの外でカシャカシャと侵入を試みる虫たちの執念と挫折の音が聞こえてくる。しかし、無理に決まっている。蛾でも蝶でも例えカブトムシでも、こちらは仲間に加えてやるつもりはない。ああもう、カシャカシャうるさい。音楽のボリュームを上げようと重い腰を上げる。何となしに今そこで作業していたパソコンデスクを見やる。すると、いる。平然と。カナブンが。佇んでいる。いやはやごめんなさいちょっとだけですから私のことなんて放っておいてください。そういう佇まい。本来ならば、この野郎主人に内緒で家に入り込むとは何事だとつまみ出す所だが、なぜかそういう気にさせないのだった。いやいやそんなお構いなく、そういう態度。窓の外には、この夜中にオレがオレがと声高にアピール合戦を繰り広げるデリカシーに欠ける面々が揃っている。カナブンを外に出そうと窓を開けようもんなら、奴らが一斉に侵入して我が家はレイブパーティーだ。清純派女優が薬物に手を出しかねない、無秩序な夜が始まってしまう。だから私は、一晩、そのカナブンを泊めてやることにした。

朝起きると、カナブンはパソコンデスクに置いてある合皮の手帳をベッドにすやすやと寝ていた。窓を開けて手帳ごとベランダまで運んでケツをチョンと突ついてやると、そろそろチェックアウトだものね、と言わんばかりに素直に飛び立っていった。翌々日だったか、玄関前にカナブンの死骸があった。逆さまになって死んでいた。一昨日泊めてやったあいつではなさそうだ。逆さまになって死んでる虫と言えば蝉の専売特許だったはずで、彼らの枕詞でもある「儚い人生を終えたのね」という同情は、カナブンには向かいにくい。カナブンの社会的評価は「ああ、ゴキブリじゃなかったのね、良かった」程度の消極的評価である。だから死骸は数日そのままだった。しかし、まるでその死骸に対する関心を忘れるなとばかりにそこから数日立て続けにいろんな所でカナブンに遭遇した。百貨店の階段、取引先の会議室、大塚駅近くの苗木。

今いるアパートは下に大家が住んでいて、大家のおっちゃんが定期的にアパート全体の掃除をしている。玄関前をほうきで掃く音が聞こえてくる。おそらくカナブンも落ち葉やらと共に回収されたのだろう。今年のカナブンは、控えめだった。でも、声をかけてくれと言わんばかりに、人目に付こうと心がけていた。その努力を買いたい。この不況を、カナブンもジッと耐えている。

vol.247 そのままにしておいていいのか(2009/10/19)

全裸

フクダでもアベでもアソウでもハトヤマでも近くのスーパーのフィリピンバナナは150円のままだし、全部干したと思った洗濯機の底に靴下の片っぽが張り付いている風景に変わりはおとずれない。この間、靴に穴が空いたので、新しいのを買おうと思う。だけど、買いに行くのが面倒だから、明日にしよう、また明日にしようと、先延ばしにする。穴はわずかながら広がっていく。この広がりをハトヤマのせいにすることはできない。

公共料金を払わずにいる。そうすると翌月に、さすがに払えと再送してくる。それはそうですよね、と払い込む。携帯電話料金を払わずにいる。そうすると翌月に、払わねえと止めるぞと凄みながら再送してくる。それだけはご勘弁をと払い込む。引越して以来、何度もNHKの集金さんがやってきて、受信料はどうなってますかと問いかけてくる。いや、うち、テレビ無いんでと答えるその背後では、バラエティの過剰な笑い声が鳴っている。でも、どの組織にも、恐らく「再度料金を取り立てる部署」があるはずだとこちらは考えてみる。「はい、こいつら未納だから、よろしく取り立てちゃって」とリストなりデータなりを受け取って、やれやれと動き出す部署。この部署は、言ってみれば、全員がキチッと払ったら不要になる部署だ。これはゴミの分別にも似ている。ペットボトルをリサイクルするにあたってラベルのビニールを剥がす必要があるのなら、そのビニールを剥がす人がいるはずだ。全ての人が気を利かせて剥がしてから捨ててしまうと、その剥がす達人が職を失ってしまう。

ETCは便利だよ、早いよ、そう聞いて何となくのブームに便乗した皆が、ETCレーンに列を成している。という滑稽な光景が見られる。やはり料金所は、オッサンが似合う。料金が一律700円だから、すでにレシートと300円を握って出迎えてくれる。700円ピッタリ払おうもんなら、むしろそれはありがたくない、という顔をする。彼は1000円もらい300円を返したいのだ。彼の満足を優先したくなる。突き詰めると1000円をどう渡すかという問題も浮上してくる。1000円札をひらひらさせてはキャッチまで時間がかかる可能性が出る。細長く半分に折るように「く」の字型に渡すと、スムーズに行くことが分かる。

決断をするとき、この決断は誰か他人のせいにする決断ではなかろうなと自分に注意を促す。そうするとそれは大抵誰かのせいにする決断だと気がつく。しかし、だからといってその誰かを気にして決断を覆してしまうと、相手を気にして決断しちゃったオレが浮上してしまって自意識過剰のスイッチボタンがちらついてくる。だから、決断をそのまま施行する。大抵、結果は歪む。そのままにしておけばよかったのに、と巻き戻したくなる思いにかられる。気を使ったつもりが、あれまひっくりかえって刃物を持ってこちらに返ってくる。避け方をしらないので、ひとまず刺されてみる。うう痛いとか言いながら今のリアクションで良かったのかと思いあぐねてみる。大きなことから小さなことまでこんなことが続いていく。

vol.248 ドキュンの在り処(2009/10/26)

全裸

ある結婚式の二次会で、高校時代の一年後輩の女の子が、とても有名なミュージシャンと結婚したと聞いた。その話を聞いて、ドキュンとした。その女の子は、スタイルも良くて、顔もキレイで、ちょっとだけ派手で、学校内で分かりやすく目立つ女の子だった。その女の子が、ミュージシャンと結婚する。舗装された一直線の道路をオートマチックに走るみたいな、順調に疾走した、出来すぎた話である。でも、その話を聞いて、こちらはドキュンとした。ではオマエは何にドキュンとしたのだと問いかける。

キレイなだけ、単なる美人、という言い方がある。とても鋭利な言葉だ。それだけでどうにかなるはずのものを、それだけではどうにもならないと、わざわざ遮断するのだ。ここで注意しなくてはならないのは、なにもそれは、キレイな人自身が率先して、キレイだからそれだけで何でも許されるの、と申してきたわけではないという点だ。例外無くその手の発言が漏らされるのは、当人の居ない場だ。不在の中、対象を評するようにして「キレイなだけだから」と呟く。その発言を、どこにも放たずに、内に秘めて温めるケースだってある。自分はそうだった。高校時代、キレイな同級生なり下級生を見ると、この人はキレイなだけで、この先はキレイなだけでは生きていけないことをそのうちに知ることになるのだと、内々に煮込ませていた。クラスのトップ同士のカップルが成立し、クラス内が祝福モードに包まれていても、いや、その「キレイなだけ」「カッコいいだけ」が存分に機能するのは、今のうちだけだよ、必死に冷めていた。

多分、その女の子は現在でも、平然と、キレイなままなのだと思う。例え必死にシェイプアップしていたとしても、目の前に現れれば平然とキレイなのだと思う。その時に、だ。その時に、こちらで必死に冷ましていたあの歪んだ呟き、「キレイなだけだから」をどう変化させて問いかければ良いだろうかと思いあぐねるのである。

もう分かっているのだ、キレイという「それ」だけじゃダメ、というのは、ひとまず「それ」については自他共に認めてきたということを。その「それ」にはもう強度が宿っているということを。こちらの物言いなんてもう、まったく活用の手段を持たないのだ。

活用手段を持たないから、もう捨てようとする。捨て際に浅はかなことを言う。「あの女の子は、キレイだから、ミュージシャンと結婚出来たのだ」、そう思うのである。それしか考えられないと心が固いのである。面と向かってこう言うヤツはいないだろう。でも面と向かう可能性が無いからこそ、自分はこういう結論を強固に出してみせるのだ。するといよいよ、この期に及んで、そう放った自分が浮ついてくるのである。「『キレイなだけ』『カッコいいだけ』と言えていたのはあの時だけ」と気づいてしまうのである。自分が冷静で、相手が熱に帯びている場合、自分の冷静っぷりに自分が酔いしれてしまうのはよくあること。しかし、その状態での想定外、すなわち、相手が淡々と熱に帯び続けてきた場合、こちらは、その冷静さをキープすることがままならなくなる。ふと、「あの女の子がミュージシャンと結婚したらしい」と聞かされた時に、こちらで備蓄してきた冷静さが急に熱を持ち始めて、ドキュンと炎症を起こしたのである。もう27歳とかなのに。そのころ向こう側の美人は、熱を成就させるように、結婚とやらの結論を出してみたようなのだ。まだ25歳とかなのに。



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