「フジワラノリ化」論 第7回 辻希美 「モー娘。」を剥いだママさんの強度 其の一 今、モーニング娘。をどう歴史化すべきなのか

其の一 今、モーニング娘。をどう歴史化すべきなのか

村上春樹の新作「1Q84」は、「一応」1984年を舞台にしている。85年にプラザ合意が発表され、そこからこの日本でいわゆるバブルが加熱していくと考えれば、84年という年は晴れを待つ曇天だった。私自身は82年生まれだが、今、芸能界を見ていると、同世代からちょっと後、すなわち、82年から85年くらいに生まれた連中が、いわゆるアイドルの上限として居座っている。嵐はリーダーの大野君(80年生まれ)を除いた他の4名は82年か83年生まれである。今、という冠で語ってはならぬ気はするが、SPEEDの四人は、81年から84年生まれである。ジャニーズは平成生まれに限定した「Hey! Say! JUMP」を軌道に乗せようとしているし、対向するようにAKB48にも平成生まれが目立つ。昭和の残りの5年と平成、この間に育った我々が知らないこと、それがバブルである。バブルを具体的な感情で表せば、能天気であろうか。いや、その、能天気を知らない。馬鹿騒ぎすることを、覚えようとしない。そんな能天気を知らない我々がアイドルに求めるものは、それまでのようなお姫様性ではなくて、距離感の近さになった。「1Q84」は、84年の小説ではなく、84年以降を凝縮しにかかっている小説である。そこで揺らぐ心性には、「バブルを知っている」と「バブルを知らない」ってそもそも混ざるんだろうか、という試みも盛り込まれているように読める。この1984年というのは、その前後もひっくるめて…という甘いカテゴライズで持ち出せば、現在のアイドルの在り方にも繋げることができる年号かもしれない。

本稿の主役、辻希美が生まれたのは、87年である。バブル景気の真っ最中に生まれていることになる。物心つくころに、ちょうどバブルが終わっていく。相棒だった加護亜依は88年生まれ、ついでにモーニング娘。の辻加護在籍時のメンバー年齢をあたってみると中澤辺りを除けば80年代の前半生まれである。要するに、彼女らもまた、バブルという享楽を受け取れなかった世代なのである。女性アイドルに限って考えてみると、90年代後半から活躍したアイドルって(それは勿論このモーニング娘。の方法論が大きく影響しているのだけれども)、置物をかわいがるのではなく、当人からのストイックさを如実に表出させてくる場合が多かった。オーディションしかり、「アタシはこうゆう人」という自立心の積極的発露であったり、反面としての心の闇(笑)の創出だったりと、アイドルはウンチをしない、という旧時代の認められ方を反転させる行動を次々に取っていった。

「フジワラノリ化」論 第7回 辻希美

モーニング娘。が極めて新しかったのは、負のイメージでキャラクターを認知させていった所であろう。つんくが「コンプレックスこそ個性」というようなことを自著に書いていたと思うが、とんねるずの石橋貴明に突っ込まれてキャラを開花させていった数名を思い出すにつれ、この負の認知という作戦にいまさら唸る。チビ、やや高齢、ぽっちゃり、そもそもブス。モーニング娘。は完璧じゃない娘を群がらせたからこそ、グループとしての調和が見えたのだ。何より、当人がその不完全に対して冷静だった。適宜、場を読んで対応してみせた。それは、アイドル=お姫様という、旧態依然としたバブル期に蔓延った闇雲な肯定力を、現実視してひっくり返していくたくましさだった。国民的、と言われたのは、「国民みたい」だったからなのかもしれない。いわゆるお茶の間のアベレージが出そろっていたのである。それをそのままにストイックに振る舞ったのだ。それがモーニング娘。だったのだ。現在のモーニング娘。は、やはりあの頃とは違う。どちらがどうの、ではない。機能が違う。アイドルが背負う範囲が狭まり、一定の範囲での濃度を高めることを求められている、ということだ。AKB48の成功は、範囲より濃度が必要だと証明する象徴的な事象である。自助努力で成し上がる、そしてその道程を考察する、これはいかにもあの世代の産物だったように思える。

辻希美と加護亜依という存在を、ロリコンの象徴と捉えるのは、あまりに短絡的で懸命とは思えない。しかし、そうしたくなる気持ちは読める。ほとんど子供=仕上がる前の素材として、これがアイドルですと叩き付けられた我々の動揺は、何か言語を見つけて変換して納めておきたくなる衝動だったのだ。皆忘れているだろうが、辻と加護が入るというのは、いかにもあり得ないことで、そのあり得ないっぷりが、いかにもつんくファミリーが作り上げる出来事としてベタだったのである。辻加護は矢口を交えてミニモニ。を結成し、そのファンをファミリー層に広げていった。冷静に振り返ろう。「ミニモニ。ジャンケンぴょん!」である。「ミニモニ。テレフォン!リンリンリン」である。濃度ではなく、範囲だったことが改めて分かるだろう。

モーニング娘。なんてもう終わり、という見方は、それこそダチョウ倶楽部が来年には消えると言われ続けながら、ずーっと第一線にいるようなもの。ただし、どのように残ろうとしてきたか、には変動が生じている。例えば今、辻希美がモーニング娘。に戻る余地はない。それは見た目ではなく、思想/意図、みたいな観点から考えた時にそう答えを導き出すだろう。イレギュラーでいることに対する臨み方の変容である。今の彼女らを見てみると良い。3人くらいは全く同じ顔かたちに見える事だろう。それは、最近の彼女らを知らないからではない。具体的に作りが似ているのだ。Aの隣に真逆のBを置いて、そこにCを突っ込んでミックスしてしまえという集団内における揉ませ方を、もはや、つんくも市場も求めていないのであった。

今、辻と加護というのは、全く正反対の人生を歩んでいる。結婚して子どもを生んだ辻、禁煙事件で謹慎しその後もどうにも戻り切れずにいる加護。育児ブログで評判を呼ぶ辻の蘇生には、向こう岸にうっすらと見える加護の今が常にあった。この「フジワラノリ化」論は、必要以上に見かける気がする誰かを考察する連載だが、辻の場合においては、なぜかという考察だけではなく、どうやって自分のニーズを戻してきたか、という、高度な考察へ至るかもしれない。辻希美が今こうして主婦として再度ブレイクしているという事実は、村上春樹が1984年を記すのと同等クラスの意味がある。と、しておこうじゃないか。

次回はまだ、モーニング娘。を中心に議論を進めていく。辻希美はモーニング娘。のメンバーとして、どうやって生き残ったのか、どうやって消えていったのか、これを辻以外のメンバーについても記しつつ、辻と比較することで、辻を論じる際の対象としてしまいたい。「辻希美が、モー娘。で晒したこと」と題して、辻希美の今までを明らかにしていく。



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