『クリエイターのヒミツ基地』

『クリエイターのヒミツ基地』Volume21 マキヒロチ(漫画家)

『クリエイターのヒミツ基地』 Volume21 マキヒロチ(漫画家)

たとえ辛いことがあっても素敵な「朝食」に囲まれれば、鬱々とした気分も晴れるもの――。漫画家のマキヒロチさんが手がける『いつかティファニーで朝食を』を読んでいると、そうした当たり前のようで忘れがちな視点を思い出すことができるでしょう。女性たちのリアルな生活を、オシャレで親しみの湧くタッチで描いた彼女の作品には、まず自分が楽しむことを大切にして創作活動を送ろうとするマキさんの感性が投影されています。読む人を一歩前に踏み出させる力を持つ彼女の漫画は、どのように生み出されているのでしょうか。ユーモアのあるひょうひょうとした語り口が素敵なマキヒロチさんに、柔らかな日の光が差し込む仕事場でお話を伺いました。

テキスト:小林宏彰
撮影:CINRA編集部

マキヒロチ(まきひろち)
第46回小学館新人コミック大賞入選。『ビッグコミックスピリッツ』にてデビュー。2011年に初の著書となる『旅する缶コーヒー』を上梓。また『コミック@バンチ』にて連載中の、朝食をテーマに描く『いつかティファニーで朝食を』単行本第1巻が、2012年9月に発売された。さらに『クロノス日本版』で「ムリやり時計ゼミ」、エッセイコミックWEBマガジン『ゆるっとcafé』で「どうやっても貯められない30代女子の貯金改革!」などの連載、またイラストレーターとしても活躍するなど、幅広い活躍が熱い注目を浴びている。

マキヒロチ(まきひろち)

漫画家になったきっかけは「聖闘士星矢」!?

「小さいころから漫画家になろうと思っていた」というマキさん。そう決心するに至ったのには、ちょっと意外な理由がありました。

マキ:小学校のころ、車田正美先生の『聖闘士星矢』が好きで。それを父に伝えたら、なぜかボーイズラブの同人誌をたくさん買ってきてプレゼントされたんですね(笑)。読んでみたら、どうやら車田正美じゃない人が星矢を描いていると。で、「私も描いてみたい」と言っていたら、漫画を描くための道具をお母さんが買ってきてくれたので、じゃあやってみようと。

星矢に入れあげる一方、いくえみ綾やくらもちふさこなどの少女漫画も好きで、小学校6年生ぐらいから『りぼん』に投稿しはじめたというマキさん。当時の少女漫画界では、安野モヨコやジョージ朝倉など、少女漫画の「キラキラした」イメージを変えようとする作家たちが台頭していました。その流れもあって、マキさんの初期作品は「恋人をドラッグで失って女子少年院に入る話」や「プラネタリウムで星を見ながら心中する話」など
超のつくほど過激なものが多かったのだとか。

やがて高校生になり、『ビッグコミックスピリッツ』や『ヤングマガジン』などの週刊誌を夢中になって読むうちに、「私には青年誌のほうが合っているのかも」と思いはじめます。卒業後、美大受験のため予備校に通うようになりましたが、結果は失敗。しかしそんな折り、投稿していた『別冊フレンド』の編集者から、なんと他社である小学館の『ビッグコミックスピリッツ』への応募を薦められることになります。

やはりプロの目は正しかったのか、少女漫画の世界ではなかなか難しかった漫画家デビューは、「キラキラ」だけではない青年誌の舞台で、すんなり決定。目指していた美大進学との迷いはありましたが「大学に行っても、やりたいことが見つからない人のほうが多いんだから」という先生の助言に後押しされ、「きっと大学出ても漫画を描くだろう」と漫画家としての生活をスタートさせることになるのです。

「愚痴」こそが、いいストーリーになる

そんなマキさんの作品には、日常生活を楽しく彩る、食べ物や飲み物がよく登場します。中でも最新作『いつかティファニーで朝食を』は、4人のアラサー女性たちが、さまざまな問題や悩みに直面しながらもたくましく生きていく姿を、実際に存在するお店の「朝ごはん」を軸に物語っていく漫画。

彼女たちが直面している恋愛や仕事についての悩みは、どれも等身大でリアルなものばかり。ストーリーに説得力を持たせるため、マキさんは1話ごとに最低でも1人は身の回りの人物に取材をし、そこで得たエピソードを踏まえて構想を進めていくそう。話を聞く際にもっとも重点を置くのは「愚痴を聞くこと」だとマキさんは言います。

マキ:愚痴の内容って、人となりを一番表す部分だという気がしているんです。あまり構えずに、いろいろと愚痴ってもらいたいので、取材というよりも「飲みにいこうよ」っていう感じで誘いますね。「楽しい」と感じることを聞くだけでは、人間性の奥深い部分はよくわからない。それよりもむしろ、どんなことで怒ったり悩んだりするのかとか、怒ると夜更かしするのか、もしくは食べ過ぎたりしてしまうのかといった、思わず取ってしまう行動についても深く聞き込みます。そうやって具体的に話を伺うことでやっと、ひとつの「情景」を作り上げるための素材になるんです。

ストーリーの根幹についてはもちろんですが、「上司のTシャツから乳首が透けて見えていた」「真夏なのにノルディック柄のパンツを穿いていた」など、作中に登場する印象的なディテールにもエピソードは積極的に活かされ、リアリティーを持った作品に仕上がっていきます。

またお話の舞台となるお店も編集担当と相談の上、取材をして決めているそう。本作の連載をスタートするにあたり、まずはインパクトのあるお店をと考え、初回に選んだのは、千駄ヶ谷の「グッドモーニングカフェ」。名前の通り「忙しい現代人に充実した朝のあるライフスタイル提案する」というコンセプトで早朝から営業しており、マキさん自身が以前から気になっていたお店でした。2話目の舞台となった築地の定食屋「和食 かとう」しかり、第3話の東京タワー近くのベーカリーレストラン「ル・パン・コティディアン」しかり、お店の雰囲気や登場する料理はディテールが豊富に描き込まれ、実際に取材をしているからこその臨場感にあふれています。

マキヒロチさん

綿密な取材に加え、マキさんが漫画という「絵」を用いた表現において、お店で出される食べ物の魅力を伝えるべく、意識してこだわっていることがあります。

マキ:実は情報が少ないものほど、描くのが難しいんです。たとえば、「食パン」。表面に空いている穴だとか、細かいディテールを描きすぎると、ぶつぶつし過ぎの気持ち悪い食パンに見えてしまいますよね。反対に描き込まなければ、ただののっぺりとした空白になってしまう。描くべきポイントはどこなのかをしっかり考えなければならないので、そのために食パンを実際にちぎり、断面をよく観察したりして、特徴をつかむことを大切にしています。読者さんが、絵を見たときにそれが「食パン」だとすぐに分かることがまず大事で、さらにパンの温度や湿り具合といったものまで伝えられるように描きたいと思っているんです。

マキさんにとって初の著書となる『旅する缶コーヒー』には、印象的なエピソードが登場します。カメラマン志望の青年が、あるとき一度も会ったことのなかったプロカメラマンである父親と出会い、缶コーヒーをデッサンするコツを教えてもらう、という内容のお話。ディテールにこだわりすぎる青年に、要点をおさえて簡単に描くほうが見る側に伝わりやすいことを父親が教えてくれ、そのことをきっかけに、二人に心の交流が生まれるのです。マキさんが普段考えたり感じたりしていることは、作品の内容にしっかりと反映されているのですね。

描きたいことと、描けることのあいだで

そんなマキさんですが、本当に描きたいことを素直に作品化できているかというと、そうではないのだといいます。個人的に好きなのは、映画であればデヴィッド・リンチやコーエン兄弟、ミヒャエル・ハネケなど、グロテスクともいえる作品を手がける強烈な個性を持った作家なのだそう。マキさん自身にも、人間の暗黒面に踏み込むようなもの、サスペンスタッチの作品を生み出したいという欲求が渦巻いているようです。

マキ:特に震災が起きて特に肌で感じているのは、読者のみなさんが「明るい」漫画を求めていることなんです。心が癒される作品に触れたい、と思う気持ちは、私にもすごく納得できて。だから、今のニーズがそこにあるのなら、よほど納得のいくものじゃないかぎり、暗い内容の作品は発表できないだろうな、と思っています。実はあたためている企画はあるんですけど、他の漫画家さんはまだチャレンジしたことがなさそうな内容で、身の回りの誰に相談しても「それはうまくいかないよ」って言われるんです。でも、だからこそチャレンジしてみたいと思っています。

自分が期待されている作品とは何なのか、というニーズを見据えながらも、作家として成長しながら「予想を裏切るような作品も描いていきたい」という思いを強く持っているマキさん。読者と編集者、自分との間に、どのような橋を架けられるのかを模索し、苦しみながらも制作を進めていく、誠実な姿勢が印象的でした。

表現したいことを突き詰めるのに貪欲なマキさんですが、「何が何でも生涯現役の漫画家でいたい! とは思ってない」という、ちょっと意外とも思える言葉も飛び出しました。

マキ:飽きっぽい私が漫画だけは飽きずにやってるので、もしかしたら死ぬまで描いてるかもしれないけど、「ずっと描いていくんだ!」と気負わずに、本当に描きたくなくなってしまったら「やめてもいいや」くらいのスタンスで気の赴くままにやっていきたい。だって、50代になってコミケに作品を並べたりしている自分は、あまり想像がつかなくて(笑)。将来の個人的な夢は「ゲームおばさん」になること。『カタンの開拓者たち』のようなボードゲームがとても好きなので、近所の子どもたちと一緒にプレイしたりして過ごしたいなと。子どもたちのお母さんに「あのおばさんと遊んじゃだめよ」って言われたりしながら(笑)。

好きな仕事に日々打ち込みながらも、食事に気を使い、生活リズムを守り、自分の感性に忠実に、マイペースに生きることを選び取る。マキさんが大切にしている「豊かな毎日を過ごす」という指針は、作品の登場人物それぞれに脈打っています。彼女たちに勝るとも劣らない魅力を持つマキさんが、今後どんな物語を届けてくれるのか、ますます注目していきたいですね。

マキさん
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