Licaxxxとなみちえが『ヨコトリ』を通して向き合う「毒的」なもの

人は、「毒」的なるものとどのように付き合ってきたのか? 困難な状況や偏見・差別と対峙したとき、それを打破する術をいかに「独学」で獲得するのか? 既成概念に縛られない「発光」するような生を送るには、何が必要なのか? 7月17日に開幕した『ヨコハマトリエンナーレ2020』は、そんな、現代を生きるヒントが詰まった国際展だ。

インドのアーティスト集団「ラクス・メディア・コレクティヴ」をアーティスティック・ディレクターに迎えた本展では、ひとつのテーマを設けることなく、思考の出発点となる「ソース」と称する資料を出品作家と共有。そこから導かれた「独学」「発光」「ケア」「友情」「毒」という5つのキーワードに呼応した、65組 / 67名の作品が並んだ。

今回は本展を、言葉の多義性を駆使したリリックが魅力のラップや、着ぐるみを用いた美術作品の制作で注目される着ぐるみクリエイター / ラッパーのなみちえさん、ラジオパーソナリティーやエディターなど多彩な活動で知られ、社会問題にも積極的な発信を続けているDJのLicaxxxさんの2人に鑑賞してもらった。他者にまったく媚びることなく、自らの歩みを切り拓いてきた両者は、この展覧会の体験を通してどのような言葉を紡ぐのか?

(メイン画像:ニック・ケイヴ 『回転する森』 2016(2020年再制作)©Nick Cave)

「毒にも薬にもならないものが一番つまらないと思います」(Licaxxx)

左:なみちえ
1997年生まれ、東京芸大卒。ラッパー / 着ぐるみ作家 / 美術家。ソロ活動の他、グローバルシャイやTAMURAKINGでも表現をしている。その表現は単純に二分化されている知覚にグラデーションを起こすための装置である。
右:Licaxxx(りかっくす)
東京を拠点に活動するDJ、ビートメイカー。2016年に出演したBOILER ROOM TOKYOのYoutube再生回数が約50万回再生を記録。DJとして国内外のビッグフェスやクラブに出演する他、世界各国のラジオにDJMIXを提供しメゾンブランドのコレクションやCM等、幅広い分野への楽曲提供を行う。世界中のDJとの交流の場を目指しているビデオストリームラジオ「Tokyo Community Radio」の主宰。

会場は、横浜美術館と、そこから徒歩7分のプロット48。従来、ゲストとともに展覧会をまわるこの手の取材では、作品を順に回りながら、その場でゲストの話を聞いてきた。

しかし、今回のコロナ禍だ。感染防止の観点から、まずは2会場をそれぞれ鑑賞。その後、部屋に移って話を聞いた。会場の至るところには手の消毒液。多くの芸術祭が中止や延期に追い込まれるなか、この渦中で開催に漕ぎ着けた、関係者の切なる思いが感じられた。

会場で、鑑賞者の多くがまず目を引かれるであろう作品が、横浜美術館の巨大なエントランスを占めるニック・ケイヴの『回転する森』だ。天井から吊るされているのは、アメリカの家庭で使われる装飾品「ガーデン・スピナー」。

一見、キラキラと楽しげだが、回転するオブジェの中心に目をやると、ピースマークなどに紛れて銃や弾丸の形状も見え、印象が変わる。銃問題や暴力という暗部を潜ませながら、それでも輝かしさを誇るアメリカ社会への皮肉なのか。あるいは、そんな暗さを抱えながらも、輝きを忘れない世界への賛歌なのか。

ニック・ケイヴ 『回転する森』 2016(2020年再制作)©Nick Cave を鑑賞中

「めちゃくちゃインスタ映えしそうな作品なのに、近寄るとメッセージが強い。溶け込ませ方が上手いな、と。こういういろんな側面がある作品はいいですね」とLicaxxxさん。

社会に潜在するリスク。ときに誰かを傷つけてしまう可能性のある力を持ったもの。そうしたものを一種の「毒」と呼んでいいならば、人間、とくにゲストの2人のような表現者にとって、その存在はどういうものなのか。会場には、そんな問いに連なる作品も多い。

そこで思い出されたのが、Licaxxxさんが以前、自身の中心的な活動拠点であるクラブにこびりついた「危険な場所」というイメージに対して、「そのステレオタイプは完全になくならなくていい。クラブは公園でも学校でもない」と語っていたことだ(参考記事:Licaxxxと、音楽と、「リラックス」の関係。境界を壊すDJの音楽観)。

Licaxxx:やっぱり気持ちのいいことばかりだと、創作の意欲も沸かないと思う。いわゆる平和ボケの状態。

ある種の制限とか、環境とか、みんな、それぞれ何かを抱えていて、それに対する思いから強い作品が生まれるということはある。その意味で、あるときには毒的な部分は必要だし、毒にも薬にもならないものが一番つまらないと思います。

「私にとっていま一番の毒は、他者からの視線や評価かもしれません」(なみちえ)

いま、社会が対峙する最大の毒的なものは新型コロナウイルスだろう。なみちえさんは、そうした新たなリスクが出現したときこそ、アーティストの批評性が問われると話す。

なみちえ:私はコロナ禍を、「地球がライブをしている」ように感じるんです。いくら抑え込もうとしても限界があって、人間が頑張れる範囲は限られている。

でも、アーティストも含めてすべての人に、「無菌」状態が求められて、表現や発言・行動にも制限がかかる状態になっている。そういう意味では、私にとっていま一番の毒は、他者からの視線や評価かもしれません。

そういうときにアーティストに求められるのは、その状況に対する批評性。私は、このコロナ禍で、世間が求める枠組みのなかで表現する人と、その状況自体を俯瞰的に批評して表現する人の2つに、アーティストがはっきり分かれたと思う。

いわば、額縁のなかで表現する人と、額縁自体を疑う人。毒的なものの出現は、それに対する反応を通して、その立ち位置を明確にする。私は後者のアーティストでいたいと思っています。

そう語るなみちえさんが、ニック・ケイヴと同じく「発光」というキーワードに関連した作品で気になったと話すのが、キム・ユンチョルの『クロマ』だ。264個の部品で構成された、結び目が複雑に絡まるオブジェは、あたかも永遠の循環を示しているよう。ひとつずつ異なるセル状の部品は、地球の重力や宇宙からの電波など、目に見えないものを感知して光るシステムになっているという。

キム・ユンチョル『クロマ』 2020 © Kim Yunchulを鑑賞中

なみちえ:あれ、カッコよかったです。単純構造だと思いきや複雑で、しかも発光するし、パキパキ音が鳴っている。ライブで使うサイリュームを思い出した。

とくに驚いたのは、永遠に光ると思っていたら途中で光が消えたこと。終わるんだ! みたいな。永遠と有限性のどちらの印象も受けた。そう思うとあの形も、何かの核のような、心臓のようにも見えました。

無限のなかにある有限なものの生臭さ。それがあの作品を魅力的にしていた気がします。作品に人はいないけど、パフォーマンスに近い作品だと思いました。

「歴史とか個人の記憶が解体されて、再構築されていくことには魅力を感じます」(Licaxxx)

Licaxxxさんが今回観たなかでとくに気になった作品として挙げたのが、エントランスでニック・ケイヴの作品と同じほどの存在感を放っている青野文昭さんの『なおす・代用・合体・侵入・連置「震災後石巻で収集した廃船の復元-2」』だ。

青野文昭 ヨコハマトリエンナーレ2020展示風景(撮影:大塚敬太 写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会)

1990年代から「修復」をテーマに彫刻を作り続けている仙台在住の青野さん。東日本大震災後は、地震や津波で破壊された家具や日用品も素材として取り入れ、それを修復しつなぎ合わせる、まさに「ケア」と呼ぶべき行為を通して、そこに新たな物語を感じさせるような作品を作ってきた。

Licaxxx:青野さんが自ら経験された震災という強烈な出来事からあの作品を作っていることが、とてもいいなと思いました。私、ヨーゼフ・ボイスが好きなんですけど、ちょっとそれに近いのかな、と。

ボイスは戦時中に飛行機で墜落事故に遭い、人に助けられて暖かかったという経験から、脂肪やフェルトを使った作品を作り始めた。そういう個人的で、強烈な体験を背景に持った作品はとても人間的だし、インパクトがありますね。青野さんの作品にもそうしたものを感じます。

同時に、複数のものをつなげて新たな意味を生み出す行為は、Licaxxxさんの行うDJという表現行為にも重なるところがあるのではないか。

Licaxxx:そうですね。歴史とか、個人の記憶とか、いろんなものが解体されて再構築されていくことには魅力を感じるし、自分でも無意識にやったりしてますね。DJだけでなくコミュニケーションとか、何か新しいものを生み出す時には基本的に。

青野さんの作品は、人工物なんだけど、有機物のように成長していっているようにも見えた。「いい展示を観た」という感覚がありました。

「動物や植物といった、人間以外の生物との制作は面白いと思っています」(なみちえ)

「修復」という行為は、なみちえさんが注目した竹村京さんの一連の作品にもつながる。薄暗い展示室に入ると、光る糸によって修繕されたさまざまな日用品が。この糸は、オワンクラゲという発光するクラゲの遺伝子を組み込んだカイコによるもの。竹村さんはその絹糸を使って、誰かが大切にしてきた傷を負ったものたちに息を吹き込み直した。

竹村京 ヨコハマトリエンナーレ2020展示風景 ©Kei Takemura(撮影:大塚敬太 写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会)

もうひとつ、なみちえさんが「次の作品の参考になった」とまで語ったのが、インゲラ・イルマンの作品『ジャイアント・ホグウィード』だ。タイトルにもなっている天井から吊られたこの巨大な植物は、200年前に観賞用植物としてヨーロッパに輸入された。だが、はじめこそ人々から求められたホグウィードだったが、樹液が肌につき、それが光に当たると激しい炎症を引き起こすことから、いまでは嫌悪の対象になってしまった。

なみちえ:私の“おまえをにがす”という曲のMVは、外来種の亀を川に逃すという様子を映像にしている作品なんです。このホグウィードも、見た目がいいからという理由で輸入されたけれど、じつは毒性があった。

綺麗なだけでなく毒があった。私の亀も、小さいと可愛いけれど、成長すると持つだけで手が傷だらけになる。植物や動物を勝手に移動させるその人間のエゴに私は関心があって、そこで傷を負うのは当然だし、むしろ嬉しくもなるんです。

トリエンナーレの企画統括を担当したキュレーター、木村絵理子さんから、作者のイルマンも「かぶれた跡がキスマークのようだったことから、自らの身体にキスマークをつけるようなパフォーマンスをしている」と聞くと……。

なみちえ:めっちゃ面白い! 私も亀に引っ掻かれた跡が新しい手相みたいになったんです。そういうエゴの代償みたいな傷は面白い。

この2月、宮古島に行ったのですが、そこにヤエヤマイシガメという亀がいるんです。複雑なのは、その亀は石垣島や八重山諸島だと天然記念物として捕獲が禁止されているんですけど、宮古島では国内外来種として駆除対象になっていて。そうした動物の複雑な動きには興味があるし、竹村さんのカイコも含めて、動物や植物といった人間以外の生物との制作というのは面白いと思っています。

インゲラ・イルマン 『ジャイアント・ホグウィード』2016(2020再制作)©Ingela Ihrman を鑑賞中

「女性DJ」「女性ラッパー」――社会が与えるイメージと2人はどう付き合っていく?

会場には、誰かによって押し付けられる常識や偏見、差別をめぐる作品、そして、そうしたものを乗り越える術を示すような作品も並んでいる。たとえば、そのひとつが、タウス・マハチェヴァの『目標の定量的無限性』だ。

空間に置かれているのは、器械体操に使われる無機質な道具たち。そこにスピーカーから、「あなたは幸せよ」「女の子なんだから、身だしなみに気をつけなさい」といった、他者のあり方を規定する言葉が聞こえてくる。こうした言葉は、ときに私たちの思考や行動を硬直させ、方向付けてしまう。

Licaxxx:運動を促すはずの道具なのに、同時にすごく制限されている。こういう他者からの固定概念の押し付けって誰でも抱えていて、勝手に嵌めてくれるな、と思います。

私も以前、よく「女性DJ」とわざわざ性別をつけられることがあって、違和感があった。それで持ち上げられたこともあったけど、その時点で全員同じフィールドに乗れていないわけですよね。

性別で実力を測るな、と。最近は気をつける人も増えてきたし、自分の活動が長くなるにつれて言われなくなりました。実力がステレオタイプに勝った瞬間というか、肩書きを付けなくても自分が何者なのか伝わってきたということですかね。

タウス・マハチェヴァ『目標の定量的無限性』2019-2020 ©Taus Makhacheva を鑑賞中

マハチェヴァの出身地ロシアでは、器械体操はとくに人気の高いスポーツであり、軍隊の規律訓練とも結びついているという。つまり、本来は個々にユニークなはずの身体を、他者が決めた「理想」の型にはめること。同作は、その抑圧性に疑問を投げかける。

なみちえ:「スポーツ」の語源には、「楽しむ」という意味もありますよね。でも、この空間はぜんぜん楽しくない(笑)。ただ、それが「普通」の社会だなという気もします。

私も、たくさんのカテゴライズをされてきた。男性なら「男性ラッパー」とは言われないのに、「女性ラッパー」と言われることに、仕方がないことだと思いながらも、少しばかり疑問は持つし、正直な思いで言うと、BLM(Black Lives Matter)運動についての仕事を受けることが最近増えましたが、正当に反差別を提唱し行動する人がアメリカにいるなか、日本で私がBLMに言及してお金を貰うことさえも疑問を持っています。つまり、いま、私は差別に搾取されているし差別を搾取しているのです。そして私は正義とされることを提唱することと自分がしたい表現との間で矛盾を感じ始めているのにも気づいています。

これからは、そしてこれからも着ぐるみクリエイターとラッパーという2つの顔の使い分けもそうだし、世間が求めるステレオタイプに乗るか乗らないか、さまざまな顔を自分でうまく使いこなしたいと思っています。

社会が与えるイメージやルールを脱構築し、自分なりのゲームに変えること。なみちえさんが語るそうしたタフネスは、バカげた行為や衣装によって、女性たちが器械体操の道具をナンセンス化するニルバー・ギュレシの写真作品とも響きあう。

ニルバー・ギュレシ『鞍馬』(「知られざるスポーツ」より) (部分) 2009 © Nilbar Güreş, Courtesy of Galerist
ニルバー・ギュレシ 『ヨコハマトリエンナーレ2020』展示風景 Courtesy of the artist and Galerist, Istanbul

Licaxxxさんも、自分のパブリックイメージとうまく付き合いながら、日々の判断をしている部分があるという。

Licaxxx:私の場合、最大の目的は、クラブみたいな自分の遊んできた場所、周りの環境をいかに楽しい場所にしていくのか、ということなんです。日本にも時代ごとに楽しいクラブシーンはあるけど、現状はヨーロッパほど規模が大きくないし、根付いてない。

個人の感情を超え、その幅を広げていくことが目標だから、その都度、DJである「Licaxxx的な存在はどうすべきか」を考えて行動しているところがあります。外に出しているのは、完全に生身の自分じゃない。そういう割り切りがあるから、タフでいられるんじゃないかなと思います。

コロナ以前からあった不寛容さに、あらためて気づかされる展示の数々。我々はどのようにして、他者とのよりよい未来を築けるか?

ある環境において、与えられた条件を甘受せず、「独学」でその場を切り拓く術を見つけること。今回の『ヨコハマトリエンナーレ2020』で、ある意味その象徴とも言えるのが、もうひとつの会場であるプロット48にある、飯川雄大の作品『デコレータークラブ 配置・調整・周遊』だ。

事前予約制、体験型の同作については、詳細を明かすことが許されていない。そのため、書けることはあまりないのだが、会場に入った観客ははじめ、一見何もない空間に通される。監視スタッフからも何の指示もなく、途方に暮れるが、「ある行為」によって道が開ける。ひとつ言えるのは、そこでは普段、展覧会場で推奨されない行為が鍵を握ることだ。

なみちえ:受動的な人は、他人から起承転結を与えられると思っているけど、あの空間では自分で起承転結を作らないといけない。

Licaxxx:人は促されないとなかなか動けないんだな、と。それと、共同作業の大切さも感じましたね。あの空間に一人でいたら、何も変えられなかったかもしれない(笑)。

飯川雄大『デコレータークラブ 配置・調整・周遊』2020 ©Takehiro Iikawa を鑑賞・体験中

実際、互いにあまり会話することなく黙々と鑑賞していた2人だが、飯川作品の部屋からは笑顔で話しながら出てきたのが印象的だった。能動性を求められる困難な状況との対峙。そうしたものから、他者との協働の道も開けていくのかもしれない。

ちなみに同じプロット48には、なみちえさんが気になったと話す、ナイジェリアのボコ・ハラム(イスラム過激派組織)に制圧された女学校を取材したラヒマ・ガンボの作品、記憶を失いつつある祖母とタイという国家の記憶を詩的に交錯させ、生と死の問題を描いたコラクリット・アルナーノンチャイの作品など、興味深い作品が並んでいる。長尺の映像作品も多いため、可能な限り時間的な余裕を持って回ることをお勧めしたい。

ハイグ・アイヴァジアン『1,2,3 ソレイユ!(2020)』2020 ©Haig Aivazian 鑑賞中
ラス・リグタス『プラネット・ブルー』2020 鑑賞中
横浜美術館とプロット48は徒歩7分ほどの距離にある。会場移動中の2人

最後に、会場全体をめぐった感想を2人に尋ねた。今回の『ヨコハマトリエンナーレ2020』には、「毒」のようなリスクを持つ存在や、社会が与える固定概念との向き合いを問う作品、そこで求められる他者との協働や、自分自身の身体を通したルールの書き換えを見せる作品があった。

しかし、目下、コロナ禍に直面する社会では、ある種のリスクや軋轢を完全に回避しようとする思考や、「帰国者」「他県ナンバー」「夜の街」のようなレッテルで自他を分ける思考が加速しているように見える。そうした思考は、コロナ以前から社会のなかにあった不寛容さにこそ、根差しているのだろう。そんな時代に、我々はどのようにして自分と異なる存在との回路を開き、よりよい未来のために行動することができるのだろうか?

なみちえ:今回、あらためて思ったのは、強烈な個を持った人とは協働がしやすいんだということ。コロナによって距離を保つことが求められる社会は、私にとってはじつは居心地がよくもあるんです。

なぜなら、そうした「距離」は、コロナ以前から私の周囲に差別や偏見というかたちであったから。コロナは、彼らと距離を取る「言い訳」をくれた。

私は、距離のもたらす孤独のなかで自己を構築してきました。そうした孤独が育む個の意識を持っていると、人の個も判断しやすい。お互いに孤独を抱えている人とは、その穴を埋め合わせることはできないけれど、孤独をシェアすることはできる。

自分を「最高」と言うのと同じように、相手のことも「最高」と言えるつながりを持つことができる。そうした孤独や個の共有から、他者との協働を探ることができたら面白いと思います。

一方のLicaxxxさんは、こう語る。

Licaxxx:リスクや不快感を与える何かと距離をとって生きられる未来は、たぶん訪れないと思うんです。むしろ、どんどん関わることが求められるんじゃないか。もちろん、それを苦痛に感じる人もいるだろうけど、それが当たり前だと考えたら、慣れていかないといけないし、日常の延長線上で大きな問題にどう向き合うかという視点を持てた方がいい。

そのとき、少数でいいから、自分の視点を話せる仲間がいるといいですよね。その意味で今回の展示は、感覚をザワザワさせる有機的な作品も多くて、ただ単純に「綺麗」な作品というのはほとんどなかったと思う。

恋人とのデートとか、仲間とワイワイ訪れられる場所というのが最近のアートの展覧会に求められるイメージになってしまっているけど、そうしたものとは違う、一緒に来た人と話す契機になるような作品が並んでいると思います。

その言葉に付け加えて、「そうしたきっかけを、自分の活動を通しても少しずつ押し広げていきたい」とLicaxxxさん。たとえ、自身の小さな気づきであっても、そのものに対しての能動的な行動を行うことができれば、そこから新しい視野が開けてくることはある。そうした手応えを、この夏、『ヨコハマトリエンナーレ2020』の会場で多くの人に掴んでほしい。

イベント情報
『ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」』

2020年7月17日(金)~10月11日(日)
会場:神奈川県 みなとみらい 横浜美術館、プロット48、日本郵船歴史博物館
時間:10:00~18:00(金、土曜、10月11日は20:00まで、10月2日、10月3日、10月8日~10月10日は21:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休場日:木曜(10月8日は開場)
チケット:日時指定予約制。料金など詳細は下記をご覧ください

プロフィール
Licaxxx (りかっくす)

東京を拠点に活動するDJ、ビートメイカー、編集者、ラジオパーソナリティ。2010年にDJをスタート。マシーンテクノ / ハウスを基調にしながら、ユースカルチャーの影響を感じさせるテンションを操る。2016年に『Boiler Room Tokyo』に出演した際の動画は40万回近く再生されており、『Fuji Rock Festival』など日本国内の大型音楽フェスや、『CIRCOLOCO』などヨーロッパを代表するイベントにも多数出演。日本国内ではPeggy Gou、Randomer、Mall Grab、DJ HAUS、Anthony Naples、Max Greaf、Lapaluxらの来日をサポートし、共演している。さらに、NTS RadioやRince Franceなどのローカルなラジオにミックスを提供するなど幅広い活動を行っている。ビデオストリームラジオ「Tokyo Community Radio」の主宰。若い才能に焦点を当て、日本のローカルDJのレギュラー放送に加え、東京を訪れた世界中のローカルDJとの交流の場を目指している。

なみちえ

1997年生まれ、東京芸術大学先端芸術表現科卒。在学時に平山郁夫賞、買い上げ賞を受賞。ラッパー/着ぐるみ作家/美術家。文藝 2019年冬季号に寄稿したりクローズアップ現代+に出演するなど多岐にわたり活動を行なっている。ソロ活動の他、バンド:グローバルシャイやクリエイティブユニットTAMURAKINGでも表現をしている。その表現は単純に二分化されている知覚にグラデーションを起こすための装置である。



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