
塚原悠也×渡邉朋也 アーカイブは100年後の創造性を刺激する
EPAD- インタビュー・テキスト
- 島貫泰介
- 編集:宮原朋之(CINRA.NET編集部)
「修正しやすいもの」として作品をとらえることで、面白い展開が起こる
―この数年、YCAMでは『搬入プロジェクト』のアーカイブ化に関するプロジェクトを進めていますよね。2017年に亡くなった危口統之さんと、彼が主宰した「悪魔のしるし」メンバーが始めた「巨大な物体を作って、それがギリギリ入りそうな空間に搬入する」という作品です。
渡邉:今年の7月の本番に向けて実験として搬入プロジェクトを繰り返してるのも、これまで話してきた問題意識とかなり近いです。ちょうど昨年の10月に鹿児島で「悪魔のしるし」メンバーが関わる『搬入プロジェクト』があって、それを見てきたんですけど、よかったですね。
オリジネイターが主導してるにもかかわらず、搬入中に物体が折れるという派手な失敗をしていたんです。鹿児島では、悪魔のしるしとは別に鹿児島大学のチームも独自のアプローチから物体を作って、搬入してたんですが、そっちは成功してる(苦笑)。打ち上げの席でメンバーの(石川)卓磨さんと助っ人の方が2人で大反省会をしていた。それを見て、オリジネイターがきちんと挑戦したうえで失敗するのは素晴らしいなと。
―別のところでこそ、作品がきちんとアップデートできるという好例ですね。
渡邉:そうですね。YCAMも似たスタンスで、もちろんきちんと検証と実験をするけれど、同時に自分たちなりのアップデートもしていく。それは作品を後世に残すという意味では、とても大切なスタンスだと思っています。
―『搬入プロジェクト』に限らず、Gonzoや『インターネットヤミ市』のスタンスを聞くとオープンにしていく精神が共通してますよね。それって世代的な意識でしょうか?
塚原:世代感はあると思います。固有名詞の弱いアーティスト像というか。もちろんGonzoを始めたのは僕らだけど、自分もそのメソッドを活用するメンバーの一人でしかなく「所有権をことさら主張しないことでもっと面白くなるんちゃう?」って発想が常にある。
YCAMだと、そこにインターネットやハッキングのカルチャーが入ってくるから、より固有名詞の少ない、共有財産のカルチャーの影響が多大にありませんか?
渡邉:そうですね。自分は1984年生まれで、ちょうど思春期の頃にインターネットの普及が始まった世代。その時期はまさにハッキングカルチャーが現代思想のフィールドと結びついた時期で、積極的に「インターネットっていう空間は何ができる場所なんだ?」ってことが議論されていました。そういうインターネットの衝撃は、自分にとって実はアートよりも先にありました。
塚原:僕らより上の世代になると、作品は作家にのみ帰属するという発想が強い。それはもちろんそうなんだけど、もうちょっとモディファイしやすいものとして作品をとらえたほうが面白い展開が起きると思うんですよね。
そういう意味では自分と世代の近い危口さんの『搬入プロジェクト』には共感するし、モディファイしやすさが最初から埋め込まれてる印象がありますね。
渡邉:最近、『美術手帖』のアーカイブ特集(2021年4月号「アーカイヴの創造性」)で、そのあたりのことを簡単にまとめたエッセイを書きましたが、『搬入プロジェクト』はやっぱりモディファイしやすいんですよ。ものすごく雑に言えば、公開されているマニュアルがふんわりしてる。例えば設計の項目だと「物体の模型を作りながら設計し、その形と動きを決める」としか書かれてない(笑)。
―ざっくりしてますね。
渡邉:そのほかに、「たくさんの模型を作り、グループでディスカッションしながらやると良い」、とか書いてあるぐらいで。すごく丁寧に作られたマニュアルに見えて、その通りに現場でやろうとすると「詰む」っていう。
だから自分たちががんばって解釈して前に進めるしかないんだけど、それがすごくいい塩梅なんです。マニュアルで危口さんたちが言っていることと、現実の問題とで引き裂かれる感覚が、結果として作品の再現にもよく働く。
渡邉:マニュアル内で使われている「ギリギリ入る」って表現にしても、それが「何についてのギリギリなのか」明言されているようで、されてない。「悪魔のしるし」がやってきたことを踏まえれば、大きくは「空間に対するギリギリ」なんだろうけれど、上演時間の制約だったり、運び手の肉体的限界も指している可能性もある。そうやって「ギリギリ」という表現一つとっても多様な解釈が生まれるようになっていて、それによってオリジネイターが持ってしまう特権性を崩すように設計されている感じがします。
塚原:危口さん本人のちょっとシャイな感じもうまく反映されてますよね。僕らみたいに本人を知る人らだったらそこも考慮して再現しようとするだろうし、未経験の人は映像を通して理解しようとするだろうし。いろんなケース、ルートが開かれている。
昔の舞踏譜(ダンスを踊るための譜面のような紙資料)を見ると、かなり厳密に再現させようとしてるのがわかります。でも最近のGonzoや危口さんもそうだけど、再現してもらうときの厳密さをあまり追求しないというか。核になるメンタリティーが担保されていれば、間違ってくれたほうがよりおもろい、くらいの発想。
渡邉:危口さんは、『搬入プロジェクト』において、物体の重さ、大きさ、硬さを指して「戯曲」だと言ってるんですね。積極的に誤用を生みやすい素地が準備されていて、それはものすごく戦略的だと思います。
サイト情報

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プロフィール
- 塚原悠也(つかはら ゆうや)
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KYOTO EXPERIMENT共同ディレクター。関西学院大学文学部美学専攻修士課程修了後、NPO法人ダンスボックスのボランティア、運営スタッフを経て、アーティストとして2006年パフォーマンス集団contact Gonzoの活動を開始。2020年、演劇作品『プラータナー:憑依のポートレート』におけるセノグラフィと振付に対し「読売演劇大賞」スタッフ賞を受賞。同年より京都市立芸術大学彫刻科非常勤講師。
- 渡邉朋也(わたなべ ともや)
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1984年生まれ。東京都出身。2010年8月、YCAMのスタッフに着任。展覧会や公演など主催事業全般のドキュメンテーションのほか、YCAMが発表した作品の再制作のプロデュースを手がける。主な著書に『SEIKO MIKAMI-三上晴子 記憶と記録』(2019年/NTT出版/馬定延との共編著)がある。