「弱いまま生きていく」ということをまず肯定したい。高島鈴に聞くこれからの社会のこと

去年10月に発売されたライター高島鈴さんの初単著『布団の中から蜂起せよ―アナーカ・フェミニズムのための断章』(人文書院)。『紀伊國屋じんぶん大賞2023 読者と選ぶ人文書ベスト30』の1位に選出され、韓国語版の発行が決まるなど反響を呼んでいる。

国家や家父長制、資本主義、ルッキズムに異議を唱え、あらゆる権力に抗うことの必要性を説く本書は、読者を鼓舞し、脈打つような言葉にあふれている。とはいえ高島さんは、「布団から起き上がることができなくても、世界は変えられる」とも語りかける。元気がなくても、身体を動かすことができなくても、この社会に抗うことはできる。生存すること自体が、すでに抵抗だと――。

「弱いままでも生きていくことをまず肯定したい」と話す高島さんに、本書を上梓した理由や、「生存は抵抗」というスローガンにどんな思いを込めたのか、インタビューで聞いた。

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初のエッセイ集『布団の中から蜂起せよ』に込めた思い

―『布団の中から蜂起せよ』は、ウェブの連載などでこれまで高島さんが書き溜めてきた文章などをまとめた初のエッセイ集です。本書はどんな構想で刊行まで至ったのか、その経緯からまず聞かせてください。

高島:最初の連載タイトルは「There are many many alternatives. 道なら腐るほどある」だったんです。サッチャーの言葉「There is no alternative.」のもじりで、生き方は一つしかないわけじゃない、ということを言いたかったのだと思います。連載がまとまってきたときに本にする企画を立てたのですが、当時のコンセプトは「しなしなしている人の枕元に置く本」「ノーパワーな人たちをオルグするための本」でした。そこから序文を書き起こして、『布団の中から蜂起せよ』というタイトルを自分で決めました。

序文まで書いてから諸事情で出版社を変えることになって、運良く人文書院さんに声をかけてもらいました。担当の浦田千紘さんが本当にすばらしい人で、私の文体や思想の攻撃的なところをそのまま受け止めていただけたのがありがたかったです。

―私は1989年生まれですが、「生まれてこのかた好景気というものを経験したことがなく、年々全てが悪くなっていくかのようなムードの中で人生を過ごしてきた」と書かれている高島さんの文章にすごく共感するところが多かったです。高島さんはアナーカ・フェミニストを名乗っていて、家父長制も国家そのものもなくすべきと提言していますが、そもそもなぜ家父長制や国家を否定するに至ったのでしょうか。

高島:それは簡単に言えば、それがあったら自分のような人間は生きていけないからだと思います。

このまま家父長制が生き続けている社会だったら、結局自分みたいな「女性」のジェンダーで、クィアであるという人間は、本当に疎外されたままになってしまう。自分だけじゃなくて、同じような立場の人もたくさんいますし、同時に、権力を握り続ける男性中心主義に付いていかなければならない「男性」の人たちも、めちゃくちゃつらいと思うんですよね。

すべての人が生きやすくなるためには、家父長制に追随するという生き方をまずやめないといけないと強く思っているんです。

そして、国家というものは家父長制に基づいてつくられていて、家庭の再生産が奨励されていて、さらに天皇という象徴が置かれている。国家を否定するだけだと、権力構造が発生する共同体のなかで家父長制が生き残ってしまう可能性は十分にある。国家を存続させること自体が家父長制を長生きさせるということと同じだと思っているので、それを考えると、やっぱり両輪で否定しなくてはいけないと思っています。

大学に入ってから、「記号化」されたことへの違和感

―高島さんは大学院に通いながら就業もされていて、ライターとしても活動されてます。いま発信されていることの源流についてもお聞きしたいのですが、本書では、「ゴリゴリの左翼家庭」に育ったこと、フェミニストになる前は「ボンヤリした左翼」だったと書かれていました。

高島:そうですね。世間からみたら、いわゆる変わった家に育ったのかもしれません。おそらく未就学児のときからデモに行っていたはずです。覚えている範囲で一番古いデモの記憶は、イラク戦争反対のデモでした。

―日本でもみられる光景ではあると思うんですが、欧米だと、子連れや家族揃ってデモに参加している人たちというのはとても多いですよね。

高島:私からしたら小さい頃からデモに行くのは当たり前のことで、自然なことでした。デモに行って、「歩くの疲れた」って言って帰ってくる、みたいな。大人になってから知ることもすごく多かったんですけど、両親とも人脈が広かったので、運動関係の人がうちに来たり、遊びに来たりしていました。

海外でいうと、日本のデモは真面目すぎるなって思うときも結構あって、もっと出店とかだしておもしろい感じにすればいいのにとは思います。ただ日本の場合は国会前となると出店をするスペースもないし……。

海外の国会議事堂前などの写真を見てるともっと開けていて、ベンチとかもあって、国会前にもっと人がたまれるような構造になっているのがいいなとすごく思います。日本ではデモ自体があまりオープンではなく、人がたまって情報交換したり友だちになったりできる場所になっていないということはすごく問題だなって思います。

―そういった環境で育った高島さんにとって、大学は「未知の世界」で、入学してからジェンダーについて悩むことになったと振り返っています。

高島:やっぱり大学に入学したことは転機だったと思います。

大学に入って、まずサークルの新歓に行ったんですけど、その時点でもう「あ、1女ね。ようこそ」「1女の好きなタイプは?」みたいな感じで、急に「1女」という「モノ」にされたと思ってびっくりしました。

中高は女子校だったのでそんなことがなかったんですけど、それまでは普通に暮らしていた1人の人間だったはずなのに、大学に入った途端になぜか急に自分が「1女」という塊にされ、突然「記号」にされたみたいな感覚がありました。お互いのことをまったく知らない状態で突然誘われたり、これはいったい何なんだと思って、違和感があり、ずっとモヤモヤしていたんです。

たぶんそれまでもいろんなところで差別もマイクロアグレッションも受けてきたし、嫌な思いをしてきたと思うんですけど、当時は自分で言葉にする能力がまったくありませんでした。

あるとき、そのモヤモヤをちょっと言葉に起こしてみようと思ってブログをちまちまと書き始めて、それが結局ライターになるきっかけになりました。大学に入ってから、いろんなことを言葉にしてもいいんだということを学んだと思います。

「弱いまま生きていく」ということをまず肯定したい

―本書で印象的だったのが、スローガンとして掲げている「生存は抵抗だ」という言葉でした。元気がなくて行動を起こせなくても、生きている時点で抵抗だからというメッセージに、誰も取りこぼしたくないという意志を感じました。

高島:以前から、左翼運動をしている人のなかでも、「とにかく行動しなければ意味がない」みたいな発想の人が結構な数、いるなと思っていました。

でも、「行動しなければ価値がない」みたいな考え方だとしたら、じゃあ「行動ができない人」をどうやって運動に巻き込むのだろうかというのが全然わからなくて、それがまずよくないなと思っていて。

「生存は抵抗だ」という言葉を使い始めたのはうつになる前後の2020年ぐらいだと思います。当時は大学院の修士論文を書き終えた直後だったんですけど、うつ病になってからは本当に何もできなくなってしまって。布団から全然起き上がれないし、働くこともできない。お金だけ減っていくのをずっと見ているみたいな、そういう時期でした。

生産性が測られるいまの社会のなかで、「何もできない」ということは、「無価値である」みたいな扱いを受けてしまいますよね。でも、本来はその生産性みたいな考え方に抗わなければいけない活動家の人たちが「行動を起こさないと意味がない」と言っている。

それはよくないと思いますし、社会に抗うための運動に、一番巻き込まなくちゃいけないのは誰だろうと考えたときに、やっぱりいま動けずにいる人だろうと思ったんです。

自分自身がそうだったからかもしれないんですけど、やっぱり布団のなかにいて「今日死ぬか、明日死ぬか」みたいなことしか考えられないみたいな、そういう状態にいる人たちに、少しでも生きる方向に向かっていってほしい。そして運動に加わってもらいたい。

そう考えたときに、その人たちを巻き込む言葉をつくる必要があると思って「生存は抵抗」という言葉を考えました。

―その考えは、フェミニズムやルッキズムについて書かれた章にも、共通するものを感じました。例えば、「あなたはありのままでかわいい、美しい」というボディ・ポジティブの考え方について、「苦しんでいる主体に対してさらに自己変革を求め、『コンプレックス』を克服せよと迫るのは間違いだ」と言い切り、「私が想像しているのは、己の容姿が嫌いなままでも余裕で生きていける社会である」と書かれています。

高島:「かわいくない」ということがコンプレックスになり、耐えきれない事実になってしまうという社会のあり方そのものが、まず間違っていると強烈に思います。

この本に掲載されている文章の多くは『道なら腐るほどある』というタイトルの連載から持ってきたんですが、本当にいろんな意味で道をつくらなくちゃいけないということを思っていて。ルッキズムに関するムーブメントをみたときに、「自分はかわいくない。だから何?」っていう、かわいくない自分をそのまま受け入れていく生き方や道がないなと思っていました。

2018年以降から特に顕著だったと思うんですけど、フェミニズムが一つのブームみたいに語られるようになって、ボディ・ポジティブとかフェムテックとかが出てきて、すごくポップでキャッチーなものとして、フェミニズムというものが語られるようになったと思います。

ただそのなかに出てきた「自分のことは自分で決める」「私は私」というポジティブな考え方は、「自分のことを自分で経営する」というような新自由主義社会(ネオリベラリズム)の個人像とすごく似通っていると感じていて、それでいいのかと思ってしまって。

自立と依存ということを最近すごく考えるんですが、いろんな人に寄っかかって生きるみたいな、ネガティブな意味で捉えられがちな依存的な態度や生き方自体を否定してしまうような感じがしました。

1人で立って生きていけないみたいなことも含めて、「弱いまま生きていく」ということをまず肯定したかったですし、「自分自身の容姿が嫌いだ」とか「自分自身が生きていることが許せない」みたいに、自分自身に対してネガティブな考えを持っている状態でも、「だから何?」って言いたかったんですね。

そこに開き直りみたいなものを持ち込みたかったというのがあります。その言葉を何より求めてたのは自分だったので、自分がほしいと思っているんだったら、きっとほかの人も必要だと思っているんじゃないのかって思うんです。まだ私自身、まったく開き直るところまでいけていないのですが、時間をかけてそこまで辿り着きたい、と思っています。

いま必要な共同体とは?Discordの流行から考える

―本書は、国家や政府などの権力をなくすというアナーキズムの視点からも、社会の歪さを指摘しています。国家をなくすというのは非現実的な思想に感じる人もいると思うのですが……。

高島:私がアナーキズムに出会ったのは大学院に入ってからで、師匠と思っている先生とある日研究室で喋っているとき、「結局国があるからダメなんですよね」みたいなことを言われて。「国ってなくせるんですか」とびっくりしてしまって、そうしたら「え、なくせますよ」って(笑)。

私も驚いたし、それまで国家をなくせるという発想を持っていなかった自分をすごくその場で恥じました。天皇制にも反対していたし、それなのに「国家に抗う」という発想がなかったことに、自分でびっくりしたというのもあります。

―国家がなくなったら社会は機能するのだろうかってどうしても思ってしまうのですが、そういうわけではないということなんですね。

高島:アナーキストと人文学の深い関わりを示す学問の領域としてアナーキスト人類学というものがあるんですが、それは「国家が人類の文明の到達点ではない」と提言したことで成果を上げた学問でした。私にとってはそれがすごく刺激的で。

例えば、ジェームズ・スコットの『ゾミア―― 脱国家の世界史』(みすず書房、2013)という著作では、中国の支配から逃れて東南アジアの山岳地帯で暮らしている人々の文化と生業について書かれています。

このゾミアという地帯で暮らす人々は何人いるかもわからないし、誰がリーダーなのかもわからないという状態で暮らしている。自分たちの不利益になる国家の支配から逃れ、いわゆる「未開」とされてきたような場所で生活することを選ぶ人たちがすでにいて、その人たちはうまく暮らしている。

それを考えたときに、やっぱり国家ってむしろ害をなす存在なんじゃないのかという疑問を持ちましたし、アナーキスト人類学から導き出せる「国家はなくした方がいいんじゃないか」という考え方が、自分にとってはすごく面白かったんです。

―面白いですね。国家というものはないけど、それぞれのコミュニティーのなかでうまく自治をしていくということなんでしょうか。

高島:自分が思っている理想は、中央集権化されている社会をどんどん地方に権力を移していって、その権力をさらに分解していって、本当に小さなコミュニティーが乱立している状態です。そして、人々がそのコミュニティーを流動的に行き来できるような状態が望ましいと思っています。

いま、権力のない小さなコミュニティーを自分でつくって運営していくことを実践でやっている人はあちこちにいると思っていて、そういう実践を重ねることで、中央集権的な状態を解除していくことはできるんじゃないかと思います。

―例えばどういうものがありますか?

高島:これはネット上のコミュニティーの場合ですけど、例えばアナーキストの人たちのなかに、Discord(※)ですごく繊細に合意形成をしながらコミュニティーをつくっている人たちがいて。

誰か1人に権力が集中しないように、コミュニティーのサーバーを立てた本人はそのあとすぐ別の人にサーバーを管理する権利を譲り渡して、サーバーのルールは流動的に変えられるようにする。そのなかで何か問題が起きたら全員で相談して決める……みたいな、そういうやり方をしている人たちがいて。それはすごく面白いなと思って見ています。

(※)近年ユーザーを増やしている無料のコミュニケーションサービス。ユーザーは自由にサーバーを立ち上げることができ、グループチャット、個人チャット、ボイスチャットや画面共有などを楽しめる。ゲーマーなどのあいだでオンラインコミュニティーの場として普及し、Discordに参画する企業も増加している。

―Discordは次世代SNSとしても、現代的なコミュニティーのあり方としても注目されていますよね。

高島:Discordはサーバーごとにルールを細かく設定できて、そのルールに従わない人は注意を受けたり、あまりにもひどい場合はキックされたりするので、今のところはわりと安全なコミュニティーをつくりやすいし連帯をしやすいのかなと思っています。もちろんルール自体が合議で変化する可能性を前提として、ということですが。

SNS全体がそうなってるかもしれませんが、Twitterはもう誰からフォローをされているのかも、誰が信頼できる人なのかもよくわからないですよね。本来出会って連帯できるはずの人たちがSNSの惨状を見て、ふっと去っていってしまい、出会うべき人に出会えない場所になってしまった、みたいな部分はすごくあると思います。

それを考えると、Discordの内部は人と人が密に関わるという意味ではすごくいい場所だと思います。フォローという概念がないのでタイムラインはみんな平等に見えるようになっているし、直接ボイスチャットで喋ったり、いろいろな投稿を見たりすると、その人がどういう人なのかわかりやすい。いい関係が築けるなということは感じましたし、情報交換の場所としてはすごく豊かな交通があると感じます。

お互いをケアするために「語り合う」という行為が必要

―安全な場所でつながって支え合っていくということは、いますごく必要なのかなとも感じます。

高島:そうですね。クローズドな空間で交流するとエコーチェンバーになってしまうということをよく言われがちだと思うんですけど、似たような考え方の人たちで、ひとまず情報共有することって私は全然悪くないと思うんです。

まず信頼できる相手がいて、信頼できる人に話せるという状況がないとずっと自分のなかにいろんな淀みが溜まっていってしまう。お互いをケアする意味でも、語り合うという行為が必要なんじゃないかと思います。

それに、そもそも似たような考えを持っている人たちにすら自分の考えが伝わらないのであれば、違う考え方をしている人たちには絶対に伝わらない。だから、まず先に、似た考え方の人たちと喋るところから始めるのがいいんじゃないかというのはすごく思うんですよね。そのなかで「自分はこう思ってる」ということを安心して発話できるなら、それはすごく必要な場所だし、いま必要なことなんじゃないかなと思います。

―高島さんは、社会を変えるためのアジテーションとしてこの本を出版したとおっしゃっています。あらためて、高島さんが望む社会や未来とは、どういうものなのか聞かせてください。

高島:国家がなくなるというのもそうですし、とにかく、誰かが王様になるような社会であってほしくないと思います。人と人のあいだに上下関係ができてほしくないし、人間が人間としてシンプルに平等に語らうことができて、語れない人のあいだにも交流があって、誰も疎外されない社会になってほしい。

アナーキストの考え方は究極のユートピア思想だと思っていて、もちろん難しいことは知っているんですが、それでも展望をやめないということがまず大事で。それは本当に信仰と言ってもいいぐらいだと思うんですよね。

でもそういうものを信じるということなしにはやっぱり何も始められないので、ここじゃない社会がありうると信じるところからまず始めなければいけないと思っています。

プロフィール
高島鈴 (たかしま りん)

1995年、東京都生まれ。ライター、アナーカ・フェミニスト。「かしわもち」(柏書房)にてエッセイ「巨大都市殺し」、『シモーヌ』(現代書館)にてエッセイ「シスター、狂っているのか?」を連載中。ほか、『文藝』(河出書房新社)、『ユリイカ』(青土社)、『週刊文春』(文藝春秋)、山下壮起・二木信編著『ヒップホップ・アナムネーシス』(新教出版社)に寄稿。



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